2016年8月17日水曜日

小泉八雲「日本の庭―抄―」~『日本の名随筆 石』を読む その7~

――日本の庭園美を理解するためには、ぜひとも、石の美しさを理解すること。

まるで『作庭記』のようなことを言う小泉八雲は、事前のイメージ通り、日本人の精神性を事細かくついてくる。石一つとっても、その記述に手は抜かれていない。彼をそこまで突き立てた衝動は何だったのだろうか。

――人間の手が細工を施した石の美しさではない。天然自然によって形のそなわった石の美しさである。

日本人は生まれながらにして、自然のあるがままの美しさを身につけているから、欧米人は日本で暮らして感得してみるべしと薦める。
いや、今の日本人もどうかな・・・自分含めて自信はない。

――ちょっとそこらの町を歩けば、諸君の修むべき石の美学の問題集は、見まいとしても目にはいってくる。寺院の入口、道のはた、鎮守の森の前、さては到るところの公園・遊園地。あるいは墓地

四角四面に切った石柱や、神仏を彫りこんだ石碑よりも、自然石を用いた墓石のほうが値段は高いという。
自然石に数多く触れることで、自然石それぞれの性格、そして、自然石の色調や明暗を知ること ができるという。

――かりに諸君が、多少でも生得の美的感覚をもちあわしているとすると、これらの自然石が、石工の手に切り刻まれたどんな加工石よりも、それほど美しいかということを、遅かれ早かれ、かならず発見されるにちがいない。

若干の上から目線は置いておき(笑)、ありふれている光景こそが、美しいという価値を持つことを八雲は論じていると言える。ありふれているのに、美しいと認めることは相反する現象にはなりはしないか。
異形な石、巨大な石こそが、価値を持つのではないか。そう後世の学者は説明してきた。

――石の形によって、文字のあるなしがきまっているかのごとく、この石なら文字がない、この石なら文字がないはずだと、文字のない石、ないはずの石に、べつの彫刻、あるいは碑銘のようなものを、しぜんと捜すようなことになってくるだろう。

墓碑や石碑、石塔、石仏に、精緻に掘りこまれたものと、なぜか自然のままのものがある。
そこに法則性や一体感は一見認められない。
しかし、石の形によって文字のあるなしが決まっていたとするなら、私はその次元に達していない。

――とくに日本の国は、石の形に暗示的なものが多い国だ。(略)天然物の形からくる暗示が、こんなふうに認識されている国では、おそらくそういうこともあろうと想像されるとおり、日本の国には、石に関する奇妙な信仰や迷信がじつにたくさんある。

八雲はその例の1つとして、釈迦のことばを説いた相手が、大燈大師にお辞儀をした石だったという話を取り上げているが、このチョイスがすでにマニアック。
どこにある何という石なのか思い当たらない。ご存知の方はお教えください。

2016年8月11日木曜日

生名島(愛媛県越智郡上島町)



立石/メンヒル

生名島
巨石好きの間ではあまりにも有名なこの事例。
やっとお目にかかれることができ、素直に感動。

 奥に立石山が控える
 
この立石は、生名島の石ではなく、海上運搬されたという看板が立っていることでも有名。 
その割には、石質が書いていない。また、表面を見ただけでは石質はわからない(それくらい目視による石の同定は難しい)こともあるのにはっきり断言して良いのか。こういうのも批判的に見ていきたい。

立石山遺跡

生名島
生名島は、因島から車ごとフェリーに積んで移動できる。
(写真対岸が因島。フェリー移動時間5分)

生名島
山頂の立石山遺跡。大小の露岩が散在する。
磐座と名付けられ、一部に杯状穴・陽石・陰石との名称も当てられている。
命名時期・命名者は不明。

生名島
写真左手前が陽石

陰石。山頂から少しだけ北側斜面を下る。
規模もそこまで大きくなく、陰陽の関連性を認めるには説得力が足りない。


立石山遺跡は弥生時代の高地性集落遺跡の例として取り上げられることがある。
集落(軍事)遺跡と、祭祀遺跡の両立は十分あるが、ではこの露岩群がすべて祭祀用とは言えない。
もちろん、生活(軍事)用としてすべて見るのもよく分からない。
むしろ生活面と祭祀面を二分するのがナンセンスであり、同時に語られて初めて実際に即していると言える。


2016年8月7日日曜日

艮神社(広島県尾道市)

所在地:広島県尾道市長江一丁目3-5



艮神社


拝殿に隣接して、上写真の岩塊に注連縄が巻かれている。

訪問時点では、鳥居より先は安全上の理由で立ち入り禁止となっており、近くから観察することはかなわなかった。

この岩塊の名前が紹介されていない。
「磐座」と呼んでいる人もいるが・・・早計である。

千光寺(広島県尾道市)

所在地:尾道市東土堂町15-1




玉の岩

三重岩

有名すぎて・・・
ここは、私がコメントするよりも、もっと有益な情報を載せている方がweb上に何人もいます。

寺務所で『千光寺と文学のこみち』(2012年)購入。ここでしか買えない本。
境内地の岩の情報も比較的まとまっています。

2016年7月20日水曜日

Hampi

ハンピ

旧名・ヴィジャヤナガル。

ヴィジャヤナガル王国の首都。世界史で習いました。



Hampi 

Hampi 

写真を見て、こんな場所とは思っていませんでした。

いま、世界で最も行きたい場所です。



2016年7月19日火曜日

唐木順三「石」~『日本の名随筆 石』を読む その6~

――彼は石について語らなかった。語りたがらなかった。語らなかったからこそ、石が彼に語ってくれたのかもしれない。

「彼」とは、筆者の唐木順三が知る一人の教師である。
学校では子供たちに慕われていて、快活な性格の教師だったが、酒を飲むと、彼は石に会いたくなるのだという。
天竜川の川原をさまよい、石を見つめるだけではたりず、頬にこすりつけたり、持って帰って部屋に並べたりするのだそうである。

彼の部屋に並べられた石には手脂がしみていた。並々ならぬ思いがそこからも感じられるが、彼は石に対する思いを決して人には語らなかったという。

モダン・アートの画家である沢野井信夫が『石にたずねる』(創元社、1958年)という本を出した。
これを唐木は「内容はつまらない」と断じた。
その理由は「石庭の石であったり、城壁の石、石段の石、道路標の石」で「みな人間の手の加はつた石」だったからだという。

この時、唐木はふと、冒頭で紹介した教師に「同じ題名で書かせたい」と思った。
「彼が石を書いたら、どういふものになつたらう。」
彼が石に多弁であることはなかったが、もし石の本を書いたら、石を書くとともに己れを書いたのではないか?唐木はそう妄想する。


ここからは私(吉川)の個人的な実感を話すが、世に発行されている石の本はそう数が多いものではないが、そんな狭い石の世界の中でも、人の興味関心は千差万別であると感じることが多々ある。
作者によって、石を取り上げる角度のふり幅は広い。
私が本を書いた動機も、私と同じ視点で石を見ている本を見つけられなかったから、である。

私は考古学畑で石に接することが多かったが、考古学における石の取り上げられ方も、極めて一面的である。歴史学全体に目を広げても、一緒かもしれない。
特定の本を例に出すと棘があるので自粛するが、唐木と同じく「人間の手の加わった石」だけに目を向けているケースが多い。
「石の~」と題しているのに、その実は勾玉だけだったり、石棺だけだったり、石はそっちのけで仏像の話に終始していたりする。何かが違う気がする。

 一方、宝石や特別な種類の石にばかり執着するのも、また一面的である。

かつて、宝石や珍しい石を集める人に出会ったことがある。
この人の中に、路傍の石はどう映っているのか、恐くて聞けなかった。

男根や陰石など、性神の類する石を追いかける人もいる。それは石そのものというより、他のものを追い求めているようだ。
巨石を好む人にも、私は路傍の小石をどう思っているのか、恐くて聞けない。

人の興味関心は細分化されすぎていて、あれもこれも、抜け落ちるものなのだ。
私だって、石と天文の関係については興味が薄いため、あまり首を突っ込まない。自分の身の程を察しての防衛本能だが。
しかし、岩石信仰に触れるなら、決してそんなことはしてはいけないはず。
なぜなら、岩石信仰という言葉は、細分化されすぎた人の興味関心を集約化した上に成り立つ世界だからだ。

この矛盾をどう解決したら良いのか?
各個人が好き勝手言っている時代は終わり、学際という言葉が生まれているように、各分野の専門家が1つのテーマをすり合わせる段階なのかもしれない。

その時代についていくためにも、私はいましばらく、歴史と文学と哲学の狭間を磨き上げていくことにしたい。

2016年7月7日木曜日

薄田泣菫「石を愛するもの」~『日本の名随筆 石』を読む その5~

――いろんなものを愛撫し尽した果が、石に来るといふことをよく聞いた。

本作は、石を愛する者の伝記を数名紹介したものである。

1人目
屠琴塢(清朝の文人)
一生かけて36個の奇石を集めた。その1つ1つに名前を付けて、来客に見せびらかした。

2人目
鄭板橋(同じく清朝の文人)
石の絵を好んで描いた。なぜか醜くも、雄偉な石を描いた。

3人目
東坡(宋の文人)
「石は文にして醜だ」といった。石の醜さを含めて愛した。

4人目
米元章(宋の文人)
醜くも大きな石を見ると、衣冠を整えてお辞儀をして、その石を「兄弟」と呼んだ。

5人目
瞿稼軒(明の武人)
石を見かけると、そのまま通り過ぎることができない人だった。
石の形相を見て、襟を正し、お辞儀をして、いつまでも立ち去ろうとしなかった。


取り上げられたラインナップが、宋~清の文化人ばかりである。
詩人である薄田の嗜好によるものであろうが、やや偏りがあるのは否めない。
いわゆる"名もなき庶民たち"の石の接し方はどうだっただろうか。

2016年7月4日月曜日

上村貞章「石の表情」 ~『日本の名随筆 石』を読む その4~

――いま私は石を研究の対象としようとしているのではなく、石のなかに一つの人生を見たいと思っているに過ぎないのです。

上村貞章は、石を見ることで、石を見ている人間の「欲情」や「私自身」が見えてくるという。それをまとめて石は「人間の模造品」と評す。

上村が呈する石の魅力は以下の点である。
  1. 夜の石のたたずまいや、雨風にさらされている石は、木石ならぬと形容される人間よりも立派である。
  2. 草も木も人もいなくても、石があるだけで落ち着くさまは、かえって人の醜さを浮きだたせる。
  3. 人の意図が入った石庭などではなく、人の手が入っていない石にこそ美しさがある。
  4. 石ほど、濡れて美しさを増すものはない。
  5. 机にすえて眺めるもよし、掌の上にのせるもよし、石のそばに佇むもよし、石を見に行くもよし。石の表情を見る楽しみ方はいろいろある。

これらの点から伝わるのは、あわただしく考え、動き回る人間と、まったく動かない石との対比である。
足し算的発想を「発展」ととらえる人間の価値観を全否定するかのように、石は引き算的発想の極致にこそ価値観があることを語っている。

夜になるのも、水に濡れるのも、周りに何もないのも、それが天の配剤であれば、それは人には全く見当の及ばない「表情」として映る。

石は、人とは完全に対照的な存在として描かれている。

石と人はまったく相いれない性質の存在だからこそ、石に対峙する楽しみかたは自由であり、おそらくは、その自由な選択をした結果見えてくる各人間のキャラクターが逆に映し出されるのだということを上村は語っているのではないか。

2016年6月19日日曜日

尾崎放哉「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その3~

――私は、平素、路上にころがつて居る小さな、つまらない石ッころに向つて、たまらない一種のなつかし味を感じて居るのであります。

大きな巨石や、形が変わった奇岩怪石を嬉しがらないのが尾崎放哉である。
小さな石ころにこそ、可愛いという愛情を抱くらしい。
そういう意味では、すべての石に興味を持つのではなく、人工の石造物でもなく、自然の小石に愛着を持つ男の一人語りと言える。

――なんで、こんなつまらない石ッころに深い愛情を感じて居るのでせうか。つまり、考えて見ると、蹴られても、踏まれても何とされても、いつでも黙々としてだまつて居る・・・・・・其辺にありはしないでせうか。

堀口大學の「石は黙ってものを言ふ」に通ずるものがある。
堀口は、これを石の反抗心と捉え、尾崎はされるがまま黙る石を愛らしく感じた。

――物の云へない石は死んで居るのでせうか、私にはどうもさう思へない。反対に、すべての石は生きて居ると思ふのです。

――石は生きて居るが故に、その沈黙は益々意味の深いものとなつて行くのであります。

引き算的発想で、何もしない、何もない、静の世界に意味を求めるのは、人のどのような思いによるものだろうか。

――鉱物学だとか、地文学だとか云ふ見地から、総て解決し、説明し得たりと思つて居ると大変な間違ひであります。石工の人々にためしに聞いて御覧なさい。必ず異口同音に答へるでせう。石は生きて居ります・・・・・・と。 

石が石を産む話や、石が大きくなるという話を、学術的見地から説明することのナンセンスさを指摘している。
尾崎は石を加工する石工から、木でいう木目を石の場合「くろたま」と呼ぶことを聞きとっている。

――石も、山の中だとか、草ッ原で呑気に遊んで居る時はよいのですが、一度吾々の手にかかつて加工されると、それつ切りで死んでしまふのであります。

しかし、自然の石をひとたび切りとり、加工してしまうと、その石は死んでしまうのだという。
たとえば、墓石の石塔として一度切り出された石を、後で他のものに代用し直す場合、石の表面を削ると中身はボロボロになっているのだという。これをもって、尾崎は石が死んでいると悟った。
尾崎は、墓石塔が立ち並ぶ姿を、その地中に眠る死者と同様、「みんなが死んで立つて居る」ように見ている。
自然の石も黙っていて、加工された石塔も同じく黙っているが、前者は生きていて後者は死に絶えていることの表れだとみなす。

では、文字を刻まれた石は、傷ついているのだろうか。
石に何も施さないことが、石にとってもっとも「ピンピン」していると感じる価値観をここに見るのだった。

2016年6月18日土曜日

草野心平「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その2~

――庭の樹木の全部をひつこぬいてしまひたいと思ふ。そしてずしんと大きな石を、それも何丈かある石を一つだけ埋めてやりたい。
庭の作り方を考え続けた草野心平が最後に辿りついた境地が上の文である。

自然の山とあえて区別するために、庭には人工的な造作を込めて作る。
それは木の種類の選定から、木を産める位置、木の数に至るまで、人の意思が介在する。

しかし、ややもすると庭にあれやこれやと多種の木を植えてしまうことで、「乱然」で「幼稚」な庭の世界が完成する。

草野が行きついた境地は、このような足し算的発想とは対極の引き算の発想である。
木を植えない庭ということになるが、その代替案として草野が提示するのが「石の庭」である。

草野は「竜安寺以外に石の庭はあるのだらうか。ないとしたならばどうしてないのだらうか」と疑問を呈する。

その難しさを、草野は自分自身でたとえようとする。

いわく「石を、庭のまんなかに一つどつかとおくことはをかしな話でもなささうである」と言いながらも、「私の現実はその実行よりはずゐぶんとほい」と評し、その理由を「今晩のおかずは何んにするか」「せつかくとつてきた苔もまだそのままだ」と、自らの現状の雑念や足し算的発想に求めるのである。

自分が欲してつくろうとする庭を、石一つに託せるかどうかという気持ちの問題である。