2016年12月27日火曜日

立岩(三重県津市)



三重県津市美里町南長野

立岩
たていははし(立岩橋)

立岩
長野川の真ん中に、2体の巨岩がもたれ合う。
これを立岩大明神・夫婦岩と呼び、かつてはここに立岩神社があったという。
(どのように祠がまつられていたかは情報収集不足につき不詳)
現在は長野神社に合祀。

立岩
立岩の中心に梵字が刻まれているのが確認できる。

津市の民俗有形文化財に指定されているが、現在は信仰・祭祀は継続されていないらしい。

2016年12月23日金曜日

カエデの森(三重県津市)



所在地:三重県津市白山町真見59-2


Googleで「磐座 三重」と打つと、トップページが上の画像のようになります。最近になって気づきました。

「カエデの森・磐座遺跡」
なんだろうここは。
三重県在住で磐座歴15年ですが、このような場所は初めて聞きました。

おそらく、この表示はGoogleMapで地点登録されたことによるもの。

この地点登録の手続きや基準を私は知りませんが、私がどうあがいても到達できない検索1ページ目をやすやすと叶えてしまうのだから、なんとも虚無感があります。

ということで、さっそく先日現地を見に行ってきました。三重県民として。


2016年12月17日土曜日

渭伊神社境内遺跡(静岡県浜松市)

所在地



静岡県浜松市北区引佐町井伊谷字天白

出典

辰巳和弘・編 『天白磐座遺跡』(引佐町の古墳文化5) 引佐町教育委員会 1992年
辰巳和弘 『シリーズ「遺跡を学ぶ」033 聖なる水の祀りと古代王権・天白磐座遺跡』 新泉社 2006年
藤本浩一  『磐座紀行』 向陽書房 1982年

渭伊神社境内遺跡

いわゆる「天白磐座遺跡」に対しての警鐘 


渭伊神社の背後に薬師山(標高41.75m)があり、頂上に多数の岩塊が露頭している。
これが渭伊神社境内遺跡である。
山頂の露岩群を中心に、古墳時代から鎌倉時代前期まで連続した祭祀遺物・祭祀関係遺物が出土した。

遺跡発見者であり、発掘調査を主導した辰巳和弘氏が「天白磐座遺跡」と命名した。
一般にはこの名前が知られる遺跡だが、史跡登録時の正式名称は、渭伊神社境内遺跡である。

遺跡発見より遡ること約10年前、『磐座紀行』著者の藤本浩一氏が当地を訪れ、同書にて磐座の例として紹介した。
現地には同書に影響を受けたと思われる説明板も立てられている。
このことから、氏の紹介以降、当地が「磐座」と呼ばれるようになったようである。

元々、地元ではここは「おがみ所」という名前で呼ばれていたという。

以上の経緯から、当地は旧来から「磐座」と呼ばれていたというわけではないことに注意を払いたい。
文字記録がなくまだはっきりしたことがわからない古墳時代の遺跡に対して、容易に「神の御座所」という意味合いを持つ「磐座」という語を当てはめて良いとは私は思わない。

当遺跡の古墳時代の遺物の出土状況から、特定の岩(報告書中で「岩A」と称されている)をまつった様子は推定できるが、それがすなわち「磐座」とは即断できない。「石神」など他の可能性も否定できないからだ。
このような現状で、「磐座」という限定的な意味を持つ名称を付することには慎重でありたい。

地元で真に伝承されてきた「磐座」であればいいものの、今回のように、外部の人間が持ちこんだ外来語としての「磐座」がないまぜになって、後世に勘違いが起こることを防ぐのは私たちの役目であると思う。

露岩群の岩の割れ目より平安~鎌倉時代の経筒外容器が出土していることから、中世に当遺跡は経塚として機能していたことが明らかになっている。
ということは、当遺跡は、年代によってさまざまな性格・役割を持つ複合遺跡であると言える。

であるならば、当遺跡の名称は古墳時代に偏重し中世の経塚を切り捨てる「天白磐座遺跡」ではなく、史跡の正式名称であり、あえて言うなら「現代」の状態を忠実に示す「渭伊神社境内遺跡」の名称を私は使用したい。

本例から、「磐座」の用語濫用で本来の歴史を改変してしまう諸問題が全国各地で起こっていることに、せめて読者の方は関心を持っていただければ嬉しい。

なお、この露岩群から西斜面に下ると、神宮寺川の崖沿いに「鳴岩」と呼ばれる巨岩が存在する。

2016年12月13日火曜日

高座山(愛知県春日井市)

所在地




愛知県春日井市高座町

出典

高蔵寺町 『高蔵寺町誌』 東春日井郡高蔵寺町役場 1932年(ブックショップ「マイタウン」 1988年復刻版)

高蔵神社合成

高座山

情報

・標高194m。山頂付近に高蔵神社が鎮座し、社祠の背後に岩盤の露頭が認められる。

・高蔵神社は熱田神宮の奥ノ院と伝承され、熱田神宮付近と同じあるいは似通った地名が高座山周辺に残るという。

・高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)は、元来高座山に鎮座していたのが『延喜式神名帳』編纂以前に熱田に遷座したという話もあるが実際は不明である。

・本事例に関して、次の興味深い情報がある。
「名古屋権現坊古文書に曰く、昔シ熱田ノ蓬ゲ原即チ島山ノ時海シヨウノ上ル時ハ熱田神宮御神体ヲ高蔵神社(○この高蔵神社は熱田の高蔵神社ならん。)ノ裏ニアル大磐石ニ御移シ給ヒシト之レヲ高御座ト称セリ。 註 本村高蔵社の裏亦大磐石存せり。」
(高蔵寺町『高蔵寺町誌』1932年。旧字体は新字体に直した)

2016年12月9日金曜日

新溝神社(愛知県岩倉市)

所在地




愛知県岩倉市本町宮西

出典

岩倉町史編纂委員会 「新溝古墳」「岩倉と磐座」「新溝神社」 『岩倉町史』 岩倉町 1955年
浅野平雄 『磐座』 岩倉史談会 1978年
中根洋治 「岩倉市」 『愛知発巨石信仰』 愛知磐座研究会 2002年

概要

新溝古墳という円墳の上に建てられている神社。

円墳上には古くから岩石群があったといい、大正初年に社殿を改築した際に岩石群を動かし、一部を拝石としてまつり、一部を石段の台石などに利用したという。

岩倉市の地名の由来になった「いわくら」とされている。


2016年12月5日月曜日

真清田神社の神体石と覚王山日泰寺の真清田弘法

所在地


真清田神社・・・愛知県一宮市真清田1丁目2-1
真清田弘法・・・愛知県名古屋市千種区法王町1丁目1 覚王山日泰寺境内

出典

遠山正雄 「尾張地方のイハクラに就いて」 『愛知教育』第551号 1933年
遠山正雄 「愛知県一ノ宮国幣中社真清田神社本殿の後方にありしもの」 『皇学』第3巻第3号 1935年
森徳一郎「郷土史談(三二) 真清田神宝流出記(5) 十六 龍神石」『一宮市公報』No.180~No.181 1935年
森徳一郎  『真清田神社江戸時代の神宝と流出』 (一宮史談会叢書8) 一宮史談会 1964年
真清田神社史編纂委員会編  『真清田神社史』 『同資料編』 1995年
真清田神社造営奉賛会編・発行 『真清田神社復興造営誌』 1969年
小池昭 『民俗・習俗を科学する―カミ・神・神社とその周辺―』(小池昭著作集 一) 2000年
山口恵三 『尾張一の宮私考―真清田神社七不思議―』(一宮史談会叢書21) 一宮史談会 1995年
チェリーさん・酔石亭主さん・管理人MURYによる当サイト掲示板への投稿 (2013年9月12日~2014年5月8日)
現地看板

2016年12月1日木曜日

平津豊『イワクラ学初級編』(2016年)書評

イワクラ(磐座)についての最新書となるので即購入しました。


著者の平津豊氏は、イワクラ(磐座)学会理事です。

正式な書籍タイトルは『ギザの大ピラミッド、ナスカの地上絵より精緻!地球最古の先駆け文明【イワクラ学初級編】縄文の壮大なる巨石モニュメント』(ともはつよし社、2016年11月刊)

長い(笑)
平津氏のブログ(10/30記事)を見ると、キャッチコピーは出版社がつけたそうですが、書誌情報泣かせですね。

ブログに先行公開されていた下の目次に惹かれました。
  • 「磐座」という言葉
  • 「磐境」・「神籬」という言葉
  • 「神奈備」という言葉
  • 「石神」という言葉
  • 「磐座」の分類
  • イワクラ(磐座)学会の定義
イワクラ(磐座)学会の最新定義も気になっていたので、この本で私自身のイワクラに対する考えもアップデートしておきたいと思いました。

2016年11月28日月曜日

『日本の石の民俗』全六巻(明玄書房)

堀田吉雄・橋本鉄男・印南敏秀・小谷方明・酒向伸行・鹿谷勲・吉川寿洋『近畿地方の石の民俗』(明玄書房、1987年)を購入。


200ページ弱で、そこまで分厚い本ではありません。


県別に、各県の専門家が石の民俗を執筆しています。

民俗事例ごとに項目を分けて書いています。
写真の目次を見るとすごそうに見えますが、そこまで一例一例の詳細は書いていません。
民俗調査報告書のように、研究に引用できるほどの詳細さはありません。
そういう場所もあるのか、と事例リストに入れるにはじゅうぶん。その事例を知る手始めの書ですね。

あと、所在地などがはっきり書いていないことが多く、情報検索性は正直低い。
昔の文献によくある、各事例を筆の進むままに書き連ねていく内容です。

でも、正直、この本でまだまだ知らない事例に出会いました。感謝以外の何物でもありません。

そもそも、こんな本が刊行されていたことを知れたのが嬉しかったです。
石の文献を探して15年強。
もう石の民俗事例集は出尽くしたと思っていました。
まだ出会えますね。


『日本の石の民俗』全六巻のシリーズの1つでした。地方別に巻が分かれています。
近畿地方で4800円。全巻だと31800円・・・。
どうしようかな(笑)


2016年11月25日金曜日

乳岩(岐阜県関市)



所在地:岐阜県関市下之保轡野


車1台がやっと通り抜けられる車幅の峠道沿いにある

乳岩
「乳岩」「乳岩さま」と呼ばれる鍾乳石があり、乳岩神社としてまつられる

乳岩
鍾乳石の乳岩

乳岩からは常時雫が滴り落ちており、それを受ける容器にはなみなみと水がたたえられている。
水からは乳の甘い匂いがするといい、乳の出が悪い人や、乳の出すぎる人にとってもご利益のある霊水という。後年には、癌封じにも霊験ありといわれるようになった。

傍らには柄杓があり、霊水をすくえるようになっている。
願いが叶った暁には、布きれを作って奉納するしきたりがあったという。

乳を求めた赤ん坊が、この乳岩の水を飲んで泣き止んだという地元の伝説が残っている(詳細は参考文献参照)

■参考文献
NPO法人日本平成村 武儀のむかし話伝説ロマンウォークの会 『武儀のむかし話伝説ロマンウォーク 下之保轡野コース』(発行年不明)

2016年11月22日火曜日

日本人も日本の巨石に熱い視線を注いでほしいですね

海外には奇想天外な巨石がたくさんあると私は思うのですが、海外の人から見ても、日本の巨石や石造物には何か惹きつける魅力があるのでしょうか。







見ていると、古墳の石室など人工的な造形や、周囲の景色とのギャップに目が止まった感じ。
私も負けずに、造形的におっ?と思ったコレクションを貼ります。


岩室稲荷神社奥の院

五枚岩

2016年11月16日水曜日

「岩石信仰と歴史観」授業後コメント


「歴史観の形成」の授業後、100を越すたくさんの感想をいただきました。

いずれも熱いコメントばかりでした。ありがとうございます。
学ぶこと、研究することに対する、皆さんのはちきれんばかりの知的好奇心を感じられました。

皆さんのこれからの研究活動に、岩石信仰の世界や視点が加味されることを願います。

思う人10000人、始める人100人、続ける人1人といいます。

今回の講義は100人の方が聞いてくれたので、1人でも岩石信仰研究を始めてくれたらラッキー中のラッキーと思いたいです。

すべてのコメントを載せることはできないので、一部をご紹介したいと思います。

 
 あなたの人生観を考え直すきっかけを与えられたのなら、こんなにうれしいことはありません。

ぜひ、みんなが注目していないことに注目してみてください。

 
 人生一度しかないですから・・・。あなたの好きなことをを後押しできていたら良いです。

2016年11月10日木曜日

参考文献~祭祀・信仰研究全般~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~事例研究~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~岩石信仰に関する一般書~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~オンライン文献~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~岩石信仰のテーマ別研究~

旧ホームページより掲載します。

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参考文献~岩石信仰の古典的研究~

旧ホームページに載せていた参考文献リストをもう一度UPしてほしいというリクエストをいただきましたので、このブログに再掲します。

旧サイトからコピーするだけなので楽です。
ただ、量が膨大なので、ジャンルごとに分けて掲載します。
まずは、岩石信仰を取りあげたバイブル的な位置付けの重要文献をご紹介します。

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「君の名は。」の御神体について知りたいです

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"山の中にある経塚と「君の名は。」に出てくる宮水神社の岩石は、何がどう違うのか気になりました。もし自分が山の中に行く機会があった時、詳しく見たりしたらバチが当たりますか?中をのぞいてみようと思います!!"(3回生の方より)

「君の名は。」の質問もいただきました。
おかげさまで、このブログでぶっちぎりのpv数が以前書いた「君の名は。」のページになっています。
ブログへ来た検索ワードの約半分もこの映画関連です。
(他の岩石信仰のページも見てね)

■御神体の見学のしかた


さて、ご質問の答えについてですが、
バチが当たるかも、という気持ちがあれば大丈夫だと思いますよ。


私が岩石信仰に接する時のモットーは「信仰している人に失礼がないように」です。
その岩石を守り続けてきた、語り続けてきた人の意思を尊重します。

山に入ってはいけないというルールがあれば入りませんし、岩石に触ってはいけないという約束があれば触りません。
触ると指の脂が付きますし、苔も取れます。一人が触っただけではたいしたことなくても、みんながそれをすれば、きっと岩石の肌を改変する手伝いをしてしまうので、基本しません。


禁足地などの明確なルールがない場合は、観察・記録したいという気持ちが勝ります。
時折、長年誰も見ていないがために、岩石の所在や事実があやふやになっているケースがあります。
この場合、足を踏み入れないことで、道が消滅し、岩石の物語が消滅し、一つの歴史が消滅するという手伝いをしていることになります。
過去に、その岩石に接してきた人々に対して、それは失礼であろうと感じるのです。だから私が記録しておこうというおこがましい気持ちが出てきます。

ぜひ、謙虚さと相手への尊重と、知的好奇心のせめぎ合いの中でバランスを取られると、うまくいくのではないかと思います。


■経塚と御神体の比較


経塚と宮水神社の御神体との違いについても質問をいただいたのでそちらも回答します。

私が先日の授業で例示した経塚は、三重県の多度経塚でした。
自然の岩と岩の割れ目などを利用して、お経を埋納するスペースにしている例です。
(経塚には、いちから人工的に塚を構築したタイプもあります)

経塚というのは、お経を経筒という入れ物に入れ、その経筒をさらに収納した入れ物です。
中に収めるものが人に代われば、古墳の石室のような働きになります。遺骸を棺桶に収納し、さらにそれを石室でくるむ。
中に神を収める施設なら、「君の名は。」の御神体と同じ働きになります。神を宿す石祠をさらに御神体の岩で格納しています。

違いは、中に入れるものが道具か人か神かということに尽きますが、
なぜ、いずれも二重に入れ物で覆っているのでしょうね?
お経そのもの、遺骸そのもの、神そのものを直視しないことに価値を置いているように見受けられます。隠されると神秘性が増す・・・隠されると、より惹きつけられる・・・

人の心理に、共通する何かがあるのかもと思えます。


■あるがままの岩石への思い入れ

自然の岩石に少し人工的な細工を加えて祭祀の場に仕立てているのも特徴の一つです。

宮水神社の御神体や多度経塚は、自然の岩の状態を利用して、その隙間や空間に寄生して祭祀をしています。
ただ入れ物としたいだけなら、全部人工でもよさそうなものです。その方が、作り手にとって意図通りの入れ物になります。

しかし実際は、人工的な加工や補填はごく一部にとどめられており、メインを占めるのは元からそこにあった岩石です。
その辺に、入れ物の機能性だけに終始しない、自然石への思い入れのようなものを感じます。


■不便さが、人ならざるものの力を帯びる


最後に、山の中という人里離れた不便な場所に、なぜ御神体や経塚といった入れ物を用意したのかというポイントに触れておきたいです。

「君の名は。」の御神体は、森林限界のような高所感のある山頂に舞台化されています。
糸森の町からの距離の遠さがツッコまれ、「あんなところに短時間で往復できるの?」とか「雨の中登れるの?」など話題になっていたのを見たことがあります。

経塚も、末法の世に仏法が絶えないように、そしていつか来臨する弥勒菩薩のために、経文を保管しておく施設です。
では、そのお経が永久に残り続けると信じられた場所は、決して寺や神社の建物の中ではなかったわけです。
人里離れた山の中が永久に残ると信じられ、弥勒に見つけてもらえる場所だとも信じられ、もっと言えば、岩石の中に宿すことが選ばれたわけです。

なぜ不便な場所に、入れ物を置いたのかの答えが、その辺りにある気がします。
人にとって不便なものほど、人ではないものにとってはイイのかもしれませんね。


2016年11月7日月曜日

人間にとって岩石はどういうものなのですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"今回の授業で人間にとっての「石」というものがどういうものか分からなくなりました。人間は石自体を信仰しているのか、石に内蔵した仏を信仰しているのか、石に彫ったものを信仰しているのかがよく分からなかったのですが、石というものが人にとって特別な力を感じさせるものだということは分かりました。"(1回生の方より)

"祭祀、信仰の対象としての石と祭祀をするための道具としての石ではどのように石に対する考え方や扱い方が違うのか疑問に思いました。"(4回生の方より)

これは嬉しい反応です。
そうなんです。いろいろな岩石を見れば見るほど、こういう疑問が私も湧いてきたのです。
この疑問を多くの人と分かち合いたいと思って、先日の授業の中ではわざと、バラバラな用途や役割を持った岩石信仰の事例をスライドで列挙しました。

「人間にとっての石というものがどういうものか分からなくなった」ということですが、岩石に意味づけを与えるのが人間の心という前提に立つなら、それは自然なことだと思います。
人間の考えていることがみんな一緒ではなく、人間の心とは何?と一言でまとめられるほど単純ではないように、岩石を通した思考パターンも指で数えられるような量には収まりきらないということでしょう。

といったらあまりに投げっぱなしすぎるので、具体的にどれくらいの思考パターンが見出せるか、この辺りは1000例を超える国内の事例に当たって以前調査したことがあります。
その詳しい結果は、自著にまとめた岩石祭祀の機能分類をご覧ください(宣伝。笑)
分類発表後5年たちますが、いまだ改訂の必要性に迫られる事例に出会っていません。 この分類のどれかには当てはまります。


人間が石自体を信仰していた。そういう人もいたと思います。
狭義の岩石信仰とは、これを指しますし、私の興味関心の最終ゴールはこの心理を知ることです。

石に内蔵した仏を信仰した人もいたでしょう。石に彫ったものを信仰した人もいたでしょう。その人にとって、石はただの素材であり道具だった。石に特別な力はなかった。この思考パターンもあると思います。一方、素材や道具でも霊性を認めた人もいたかもしれませんね。

これに通ずる話として、次のようなご質問もありました。

イスラームのカーバ神殿やメデューサの石化も、石に対する畏敬の表れでしょうか。(2回生の方より)

私のフィールドは日本列島なので、海外の岩石信仰は力量を超えてしまい、下手なことは口出すべきではありませんが、カーバ神殿の黒石も、石に特別な力を認めるムスリムから、石自体を信仰しているわけではないというムスリムの声もあるとwikipediaに載っていたので(出典wikipediaですみません)、黒石に対する思考パターンにも幅が出ているようです。
私が思うに、文字で明文化されていない部分に、人間のグラデーションが出るのでしょう。そこに宗派や教派というものが生まれる余地があります。
むしろこのことから、人の心全体から文字化された部分は、極めて限定的・表層的ということがわかります。

そういう意味では、メデューサの神話も、作者が意図したにせよしなかったにせよ、受け取り手には行間を味わう性質を帯びますから、そこに人間の心の自由さが出ます。

岩石を見るという行動は、言語化・文字化するという行動から最も遠いところにいるのかもしれません。

岩石信仰は、教祖や教典が人の思考を縛る世界観ではなく、人が岩石を通じて自ら発想を生み出していく世界です。
岩石を見ながら個々人の心を見ることができる、とても知的好奇心を刺激されるとりくみだと私は思っています。


2016年11月5日土曜日

パワーストーンや宝石をどのように考えるか

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"吉川さんは比較的大きい石の話をしていらっしゃいましたが、パワーストーンのような小さい石、宝石については、何か研究していらっしゃらないのかなと気になりました。"(3回生の方より)

大きい石の話が印象に強かったようで、反省です。
どうしても巨石は印象が残りやすいので、バランスをとるためにも、小さい石へのまなざしを持っているつもりでしたが、まだまだバランスが足りないようです。精進します。

パワーストーンや宝石についても、研究の対象としています。
ただ、今の私の興味関心が、パワーストーンや宝石ではない「ただの石」に向いていることも否定しません。

なぜかというと、パワーストーンや宝石という稀少性の高い石に惹かれる人の心は共感しやすいですが、「ただの石」に惹かれる人の心は理解しにくく、だから研究の対象としたいからです。

パワーストーンは、能書きを見て選ぶ場合と、能書きを見ずに石だけを見て選ぶパターンがあると思います。
能書きを見て選ぶ人の心理は分かりやすいですが、石だけを見てパワーを信じる人の心理にはとても興味があります。
一言で言えば、理屈で解決できない、言語化されていない人の感情に興味があり、研究したいと思っています。

宝石になると、私たちが事前に仕入れている知識が、宝石そのものを純粋に見る目を曇らせているような気がします。
能書きもしっかりあり、値段という社会的身分もあり、市民権を得ている石。それが宝石です。
あえて言うなら、宝石を覆っているそういう御託や殻のようなものを全部剥ぎ取ってしまい、石だけを見て宝石を語りたいです。
そのためには、自分自身の知識の殻もジャマなので破り去ってしまいたいものですが。

宝石やパワーストーンのような「価値」を認められていない、周縁に追いやられた「ただの石」には、そのような御託も殻もついていないので、ある意味、純粋な気持ちで観察ができます。
そういう「無価値」な石につい肩入れしたくなるのが、私の興味関心や優先順位の基準のような気がします。


2016年11月4日金曜日

墓石や石のことわざも岩石信仰なんですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"日本には墓石や「石の上にも三年」ということわざがあるように、人の生活と石には、密接な関係があると思うのですが、これらはどのような岩石信仰によるものなのでしょうか?また、岩石信仰なのでしょうか?"(4回生の方より)

"日本のお墓に石が使われるのは、ただ「長持ちするから」だけではないのかなと思いました。"(1回生の方より) 

■ 石のことわざから、人と石の関係を考える

 石に関わることわざは、検索すると次のようなものがあるようですね。
  1.     雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
  2.     石が流れて木の葉が沈む(いしがながれてこのはがしずむ)
  3.     石に灸(いしにきゅう)
  4.     石に漱ぎ流れに枕す(いしにくちすすぎながれにまくらす)
  5.     石に立つ矢(いしにたつや)
  6.     石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)
  7.     石橋を叩いて渡る(いしばしをたたいてわたる)
  8.     一石二鳥(いっせきにちょう)
  9.     木仏金仏石仏(きぶつかなぶついしぼとけ)
  10.     玉石混淆(ぎょくせきこんこう)
  11.     金石の交わり(きんせきのまじわり)
  12.     転がる石には苔が生えぬ(ころがるいしにはこけがはえぬ)
  13.     他山の石(たざんのいし)
  14.     他山の石以て玉を攻むべし(たざんのいしもってたまをおさむべし)
  15.     点滴石を穿つ(てんてきいしをうがつ)
  16.     焼け石に水(やけいしにみず)
「故事ことわざ辞典」2016年11月4日アクセス)

正直、知らなかったことわざもあります(苦笑)
上のことわざが、石をどのような象徴として表現しているかをまとめてみましょう。

  1. 石を硬いものとして表現している。
  2. 石を重いもの、動かないものとして表現している。
  3. 石を硬いもの、傷つかず変わらないものとして表現している。
  4. 石を硬いもの、頑固なものとして表現している。
  5. 石を硬いものとして表現している。
  6. 石を冷たいもの、温もりを持たないものとして表現している。
  7. 石を頑丈なものとして表現している。
  8. 石をお手軽な道具として表現している。
  9. 石仏から由来した言葉として使われる。
  10. 石を稀少性のないもの、ありふれた存在として表現している。
  11. 石を硬いもの、壊れないものとして表現している。
  12. 石を動かないものとはとらえず、動いて転々とする小石として表現している。
  13. 石を一見価値がないように見えて、考え方、使い方しだいで価値がある二面性を表現している。
  14. 上に同じ
  15. 1に同じ
  16. 石を一度熱するとなかなか変わらないものとして表現している。

こうして抽出してみると、石は堅固なもの、生気のないもの(動かない、冷たい)、価値のない石ころとして登場しているものが多いように見えます。これらはみなさんのイメージ通りではないでしょうか?
一方で、12のように活動的な象徴として石を使ったり、13のように見方しだいで価値のあるものとして石を語ったり、16のように「冷たい石」と逆の発想から表すものもあったりと、人間生活の中で語られる石のイメージは一枚岩ではないようです。

質問の中で「石は長持ち」というコメントもありましたが、以前このブログで紹介した會津八一の「一片の石」の中では、石は逆に「長持ちしないもの」として語られています。
石に対して人が抱く発想が多面的であることを示しています。まさに「他山の石」の世界観です。

■ 信仰のイメージ


目に見えないものを信じる。それが信仰です。
予見できないことや、事実がはっきりしないものに対して、自分の予測、思いを信じる。これも信じることです。
「信仰」と書くから大仰に捉えがちになるだけで、信じることとは人間にとってごくありふれた、切り離せない感情ではないのかなと思います。

信じる矛先が、目に見えない出来事や結果ではなく、それを担保してくれる存在に向いた時、それを「カミ」や「ホトケ」や「霊」と名付けた人がいた。名付けていない人も、お天道様の前では悪さができないと思っているかもしれません。
人間のこういう心理は、決してハードルが高い、限られた特殊な感情ではなく、神を信じない人にも理解できないものではないと思います。

同様に、信仰対象を必要としない人は心が強いとか、迷信に興味がないといった一面的な評価をされるものでもないでしょう。
自分が見えないことを、まだ「だれか」に担保してもらう必要がないということです。


■ 墓石の前に立って、人は一種類の行動しかしませんか?


お墓に石が使われている理由。
葬儀を祖先への祭祀・信仰と定義すれば、墓石は否応なく「信仰・祭祀に用いられた石」にはなりますが、おそらく皆さんの興味関心はその辞典的定義付けではなく、石に「信仰」の思いが込められているか、霊石としての働きがあるのかというところでしょう。
そういう論点で回答すれば、墓石は岩石信仰であり、岩石信仰でないかもしれません。

墓石の前に行けば、お墓に祖先が(あの世から)現われると思ってお墓参りする人もいるでしょう。
墓石の前に行けば、自分の思いが(あの世の)祖先に気持ちが届くと思ってお墓参りする人もいるでしょう。
石が、祖先の宿るものになったり、あの世に思いを届ける転送装置になったりしています。
それとは別に、墓石をいつまでも残る石材として見ている人も言えるでしょう。思い入れがあるのは石ではなく、祖先なのだから。

そう考えると、少なくとも、墓石は神そのものではなさそうですね。

そもそも、墓石に対してそんなこと考えもしないという人が大半ではないかと、私は思います。
考えないというのも、人が墓石に対して行った1つの選択であり、尊重されるべき思いです。無意識だった人に、研究者が無理に考えさせたり、回答を求めたら、その人の思いは捻じ曲げられたものになるでしょう。

このように、人の意識や思い、それに基づく行動や選択というのは、境界線のないグラデーションのような繊細なものです。
思いや考えというのは、本来、目に見えないものなのですから。

私の回答が1つの結論を提示しない理由は、皆さんに無理に結論を求めると、石に対して皆さんが元々持っていたピュアな感情を無理に捻じ曲げ、変節させてしまう危険性があるからです。
教祖が信者の心を一方向に導く宗教とは違い、石は人の意思をコントロールしない自然物です。
石に対して人が取る選択は無限大ですから、皆さんが自由に接してほしいです。

2016年11月2日水曜日

古代人は巨石をどのように運んだのですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

 "疑問としては巨石をどのように運び出し、祀ったのかということです。"(2回生の方より)

■巨石の運び方

運び出し方について、最も基本に忠実な説明をされているのが下記の研究です。

中根洋治ほか「運ばれた巨石に関する一考察」(土木学会第63回年次学術講演会、2008年発表)
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2008/63-04/63-04-0190.pdf

巨石の移動・運搬は超技術ではなく、古代人の多大かつ地道な努力により説明できる現象です。説明はできますが、いま目の前にある巨石が実際に古代人が運んだ産物なのか、それとも運ばれたわけではなく、自然の力でそこに行きついた産物なのかは、また別の議論になるので注意が必要です。

その岩石が、自然そのままのものであるのか、人工的にもってきたり組み合わせたものであるのか。
この結論をはっきり出したいなら、必ず理化学的な調査が必要です。
でも、理化学的な調査には専用の装置と調査費がかかるため、一個人には大変です。

■地学的な知識で推定する


そこで、見た目からある程度の推定ができると良いですね。

見た目からは、自然とも人工とも即断できないことが多いですが、地学的な知識をある程度持っていれば、推定することはできます。
その点で、 下記の研究は巨石の成因の地学的裏付けを学ぶにあたって参考になります。

吉村光敏「信仰巨石の地学観察技能講座」(2016年発表)
http://chibataki.moo.jp/kyosekitigaku/slideindex.html

巨石が織りなす光景を見て、それを人工の産物と感じるか、自然の産物と見るかは、ひとえに受け取り側の「常識」に委ねられています。
「常識」を飛び超えた瞬間、その人にとって「これは自然では説明できない=人工である」という図式が成り立つわけですから。
であるなら、その「常識」を形作る知識は事前に広げておくことが求められると思います。

個人的には、各地の巨石を巡れば巡るほど、自然が織りなす光景は、人間の常識や経験則なんてものを軽々と凌駕していることに気づけると思います。

■古地磁気調査の取り扱いは注意

一方で、巨石の人工設置説を証明する方法として、古地磁気調査がしばしば援用されます。
下記の研究が著名ではないでしょうか。

森永速男「雑感 古地磁気研究が縁で関わった『巨石文化!?』について考える」(『文化財と探査』6巻1号、2005年発表を『イワクラ』4号に掲載したもの)
http://iwakura.main.jp/magazine/4-10.pdf

古地磁気とは、火山岩が冷却される時に、当時の地球の磁場と同じ磁気が岩石に帯びたもので、磁気の向きは地球の磁場と同様に一定の向きに揃います。
つまり、岩石が冷却後ずっとそのままその場所にあるのなら、岩石の磁場は一定の方向に向いたままと仮定でき、一方で、岩石の磁場の向きがバラバラだったり自然の磁場の向きに逆らうものであれば、その岩石は人工的に運搬・設置された証拠になるのではという見方をします。

この論理に立って、高知県唐人駄馬の巨石群や、岐阜県の金山巨石群、奈良県の鍋倉渓、岡山県の高島・白石島巨石群の4か所が上記論文で取り上げられていて、そのうち前3者について、磁気の方向が一定しないことから、岩石同士が「回転・移動」していることは証明されたといいます。

この「回転・移動」が曲者です。さすが上記論文の森永氏は職業研究者だけあって全編にわたって理性的な記述にとどめていますが、「回転・移動」の動作主が人間か自然かについては一言も決めつけていません。
それは当然、森永氏は巨石群の歴史学的な研究者ではないからです。この態度が学問的態度というものです。

しかも、高島・白石島の例からは、冷却時の古地磁気が後世、二次的な原因により攪乱されてしまう岩石もあることを指摘しており、あらゆる火山岩がこの方法で「回転・移動の有無」を明らかにするわけでもないことを記しています。巨石人工設置説に立つ方々は、あまりこの点に触れませんが・・・。

そもそも、この古地磁気調査の安易な援用を気をつけなければいけないのは、それぞれの立地や地理的環境を考慮していないことでしょう。
冷却時の岩石が、ずっとそのままの位置にあるだけが自然のままとは言えず、後世の自然災害により岩石が二次的に動くのも自然の範疇であり、立地的に傾斜している場所であれば、地面から浮いた巨石が別の巨石の上に乗りかかったり、より傾斜下に移動することも自然の範疇でしょう。

実際、岐阜県の金山巨石群は、立地的に地滑りで原位置を動いた自然配置の巨石群の可能性が指摘されており(宮下敦「岩屋岩蔭遺跡」http://earthprobe.blue.coocan.jp/megalith/iwaya.html、2016年11月2日閲覧)、古地磁気で磁気の向きが一定ではないことが、すなわち人為を証明するわけではないことを押さえておかないといけません。

私の疑問としては、「自然のまま長年の時を経た露岩群=磁気の向きが一定になる」 という仮定が正しいかということです。
サンプル抜き取り調査という意味で、自然の露岩群に対しても何例か古地磁気調査をかけてみてはいかがでしょうか?
その結果と、人工的に配置した岩石群との結果との間に有意差があるかをまず明らかにするべきでしょう。

■考古学抜きの議論はありえない


文献が残っていない時代の巨石人工移動・運搬を説明するには、考古学抜きでの議論はありえません。

上記の巨石群を縄文時代の巨石文明の例と主張する方々を見かけることがありますが、共通して言えるのは、縄文時代を専門とする考古学者が介在しないまま、縄文時代の「遺跡」として語られている異様さです。

縄文時代がどういう時代か、どのような遺構と遺物に基づいている時代なのか、熟知して語られているとは思えません。
少なくとも、縄文時代という一つの時代と、日本列島というひとくくりの空間幅で語られるほど安易なものではないのです。それこそ、数多の考古学の成果が蓄積されています。

私ですら専門は古墳時代なので、現在の考古学の縄文時代研究について熟知している人間ではないことを自覚しています。だから私も、縄文時代の岩石信仰の有無については保留の立場です。

考古学は、人が活動した痕跡である遺構・遺物が確認されて、初めて研究できます。

文献が登場する奈良時代以降であれば、文章に書かれてさえあれば、現地に痕跡がなくても、人の思いを抜き出すことができますが、古墳時代以前は文字資料が激減するため、遺構と遺物に依拠しなければいけません。

そのため、まず遺構・遺物が巨石群から見つかることが大前提です。見つかっていなければ、そもそも人が関わった岩石であることを説明できないからです。
遺構・遺物が見つかっただけでも、まだまだです。巨石との関連がまだ説明されていないことに気づかないといけません。

そこからの分析方法はケースバイケースです。
岩石そのものが自然石でも、それを据えつけた場所・地層自体が整地されていないか、噛ませ石など周囲の痕跡がないか、岩石自体に運搬・移動の痕跡を見つけるかなど。

私は、巨石であればあるほど、それを無理に移動したことによる考古学的痕跡が残るのではないかと思っています。
つまり、逆にそれが確認できないということは、人為性は疑わしいとも思っています。

ただし、私はそう判断できるほど理系の専門を歩んでいないので、今後、そのようなアプローチから研究される方が現われることを待っています。
私は、私が活躍できるであろうアプローチで岩石信仰の研究を研鑽していきます。



2016年10月30日日曜日

飛鳥の石造物は岩石信仰なんですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"奈良の飛鳥の方に亀石などたくさん「謎の石」があるから、石を加工することだとか、モチーフだとか、そういったことについて授業としてお聞きしたいなあと思いました。"(1回生の方より)

"私は奈良県出身です。石舞台古墳であったり、鬼のまな板など石をたくさん使用したものがたくさんあったことを授業をきいて思い出しました。明日香には行ったことはありますか?あれらも吉川さんの研究している岩石信仰に分類されるものなのでしょうか。"(2回生の方より)

飛鳥の石造物に対する私の考えを述べます。
明日香村には行ったことありますよ。

亀形石造物

鬼の雪隠

鬼の俎

亀石

石舞台古墳

須弥山石(飛鳥資料館内に展示)

猿石

益田の岩船

さらに、明日香村には下の石造物や、それに類する岩石があります。
がんばれば1日かけて回れますので、ご参考に。

―――

御厨子神社の月輪石
御厨子山妙法寺の光明不動
天香山神社
天岩戸神社
天香久山の「月の誕生石」と「蛇つなぎ石」
豊浦の立石
須弥山石・石人像
弥勒石
飛鳥坐神社の立石群
小原の立石
亀形石造物
岡の酒船石
出水の酒船石
川原の立石
岡寺奥の院彌勒堂
岡の立石
上居の立石
マラ石
フグリ山/ミワ山
くつな石
橘寺(二面石・三光石)
立部の立石
亀石
鬼の俎と鬼の雪隠/鬼の厠
猿石
高取の猿石
益田の岩船
人頭石
天津石戸別神社

―――

『日本書紀』の斉明天皇条に、多量の石を用いた土木工事を乱発していたことが記されています。
飛鳥の石造物群のいくつかは、この時に人工的に造られ、設置されたものというのが一般的な説です。

この石造物群の用途が、鑑賞目的(庭園施設など)か、実用目的(石垣・暦施設など)か、祭祀目的(信仰の対象や結界厄除、祭具など)かによって、岩石信仰の跡ととらえるか否かが当然異なってきます。
ということで、信仰なのか信仰でないのかの境界線上に漂う事例群のため、自ずから私の研究対象には入っていることになります。


「謎の石造物」という枕詞が先行していますが、当然、石舞台古墳は古墳の石室ですし、鬼の雪隠・俎、益田の岩船なども諸説あるといわれながら、古墳石材の一部という説が有力であることも、ここ20年以上固定化されており、有効な代替案は提示されていません。
立石群についても、当時の都の境界石という説が提示されています。石造物のいくつかも、水を通す構造を共通して持ち、斉明期に宮都で用いられた施設の一部と推測されています。

同時期の遺跡として同村には、水時計の遺構が詳細に解明された水落遺跡もあります。イメージされているよりも、飛鳥の「謎」は解明されつつあります。


ただ、こうやって書くと「実用=非祭祀」 のように受け取られるかもしれませんが、そこには注意が必要です。
先述の水落遺跡で言えば、時間を管理することは天子の特権であると中国では考えられていたことから、水時計というのは、単に時間を知るためのものではなく、王権というものが時間管理という形而上の世界にまで広がったという解釈もできるでしょう。
そもそも祭と政が混然一体となっていた当時、実用と非実用という分け方が現代的感覚であり、あらゆる行為に宗教的な素地があってもおかしくはありません。

他にも、こういう論点も出せます。
「庭園=観賞用=信仰ではない」
この図式が成り立つかどうかということです。
講義では『作庭記』における石の禁忌・霊性の話に触れましたが、これも庭に対する価値観を現代的にイメージしては、過去の人々の思いを取り違えてしまいかねません。

「美」と「聖」の境界線とは何か、線引きできるもの何か、そもそも別物として分けるものなのか。
信仰を考えるということは、信仰でないものを考えることも同等に重要であり、であるからこそ信仰以外に視野を広げなければ、一面的な理解とイメージを喧伝する人になってしまうでしょう。私も自戒の意味で述べました。

何にしても、現代人の感覚で遺物や遺構をイメージしては、危ないのです。

古代文明や古代文化、超古代文明でもいいですが、たびたび「謎の○○文明」といったセンセーショナルなキャッチコピーが冠されたりします。
講義の中でも触れましたが、その「誰かが用意した情報」に対して、私たちがどう反応を「選択」するか、が試されていると言って良いでしょう。
人間の動物的な本能として、センセーショナルなものには、センセーショナルに反応したいですからね。
最初は動物的反応でいいのですが、後は、その外部情報をどのような解釈幅で判断するかという私たちのリテラシーにかかっているでしょう。




2016年10月29日土曜日

岩石信仰と歴史観 in 立命館大学

先日、母校の立命館大学で外部講師として講義をさせていただきました。
(文学部教養科目「歴史観の形成」の1コマ)

90分、岩石信仰の世界にお付き合いいただいた皆さま、本当にありがとうございました。


2016年10月19日水曜日

奇岩巨石磐座ニュースさんと情報交歓


奇岩巨石磐座ニュースさんに、各種媒体からもっと取材が来ないのが不思議ですね。

一人占めしてはいけないようなネタを、たくさん持っている方です。

先日、9年ぶりにお会いしました。








9年もたつと、いろいろため込んだ話が出てきます。

石の話から、トイレの話まで・・・

1世帯しかない集落の話

宮崎高千穂神社の(近くの)話

国東半島の登ってはいけない山の話

山形が熱い

etc...


石の業界的に、氏の分身がいればなあと感じました。
業界の大きな損失ですよ。

・・・と、何回か伝えていけば、何か刺激になるかな?なんて。



ふだん、石の話を相談できる人が私にはいないので、私からは自分が今ためこんでいるアイデアの相談を。

氏はアイデアマンなので、次に考えていることを聞きたいのです。
私はアイデアを産むのが苦手なので(仕事でも)参考にするのです。



お互い、相手に対して思っていることも話しました。

考えていることが一緒じゃなくてよかった、と思います。
一緒の方向だと、キャラかぶりというか、太刀打ちできませんもん。
そのぶん、自分が今後していったほうがいいことを、より鮮明にできました。


石の業界ってマイノリティーですが、そんな小さい業界の中で、一人一人が石に対して違うことを考えてます。
だから、業界がまとまらないのかもしれませんが、それも石らしい。

いつか、石ウォッチャーの観察研究をしたいなあ、と改めて感じた時間でした。

2016年10月1日土曜日

「依代」と「御形」と「磐座」について―祭祀考古学の最新研究から―(後編)


前編からの続きとなります。


■笹生衛氏が切り開いた祭祀研究の新地平

笹生衛氏は、考古学が旨とする資料第一主義を徹底され、長年停滞していた祭祀考古学の諸研究の中で、資料性・説得性の高い新研究を打ち立てられています。
古墳時代の祭祀研究をテーマにする人たちにとっては、今もっとも耳を傾け、議論にすべき研究が詰まっていると私は思います。

笹生氏の独創性を示す部分を、下記論文から紹介したいと思います。
※以下、括弧内は笹生論文から引用

笹生衛「日本における古代祭祀研究と沖ノ島祭祀. ―主に祭祀遺跡研究の流れと沖ノ島祭祀遺跡の関係から―」(『「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告II‐1』2012年)
http://www.okinoshima-heritage.jp/reports/index/18

まず、笹生氏は「神道考古学を提唱した大場磐雄氏は、古墳時代の祭具の中心に石製・土製模造品や手捏土器を位置づけた」が、「昭和50年代以降、祭祀遺跡・遺物の資料が増加した結果、再検討が必要となってきた」と、従来の学説からの批判的発展を提起しています。

笹生氏が注目するのは、「5世紀前半から中頃、初期の祭祀遺跡の中で保存状態の良好な事例では、石製模造品以外に一定量の鉄製品が使用されていたこと」と、「さらに、紡錘車と初期須恵器が伴うこと」です。
これらは「中国大陸・朝鮮半島からもたらされた当時としては最新の技術と素材で作られた最上の品々だった」と評価しました。なぜ、これらの遺物が祭祀用とされたのだろうかという従来の疑問に対して、単に実用/非実用といった使い古された議論から脱却し、歴史的位置づけを鮮明にしたのが笹生氏です。

もう1つ、氏によって新地平が開かれた古墳時代祭祀の議論は、葬と祭の分化・未分化の問題です。
笹生氏は「埼玉県行田市埼玉古墳群の稲荷山古墳第1主体部から出土した辛亥年銘金象嵌鉄剣に刻まれた『上祖』の文字」に着目し、「『上祖(とおつおや)』『祖(おや)』の文字は、記紀・『風土記』では古代氏族の系譜で起点となる人物を指す」と指摘します。
ここから、古墳時代における古墳葬送儀礼には、祖霊信仰の観念があったことが認められます。確かに、金石文という古墳時代当時の文字資料が「祖」を使ったことには、有無を言わせない説得力があります。

笹生氏によれば「古墳に副葬された鉄製武器・武具、農・工具、鉄素材の鉄鋌は、5世紀中頃までに成立した祭祀遺跡の鉄製品と基本的に共通」することから、「『上祖』『祖』への祭祀と、自然環境に由来する『神』への祭祀は、別系統で存在しながらも、ともに貴重な品と飲食を捧げる共通した形で行われたと考えてよいだろう」と論じました。


2016年9月30日金曜日

「依代」と「御形」と「磐座」について―祭祀考古学の最新研究から―(前編)

■はじめに

いつかこの問題について触れようと思っていました。

主に祭祀考古学の分野で、神観念の研究は進展しています。その嚆矢となったのが國學院大学教授・笹生衛氏です。
笹生氏は、民俗学者の折口信夫が提唱した依代の概念や、かつて同じ國學院大学教授の大場磐雄氏が形作った原始神道的世界観に関して批判的検討をおこなっています。

國學院大學において、神聖な権威になっているであろう大場磐雄氏に対して、批判的な分析を加えられたその意志に、まず私は並々ならぬものを感じます。真に学者だと思います。

ここでは、web上に公開されている以下の論文を参照して、考古学分野以外にあまり広まっていない現今の研究状況の紹介と、私の感想を述べたいと思います。


笹生衛「日本における古代祭祀研究と沖ノ島祭祀. ―主に祭祀遺跡研究の流れと沖ノ島祭祀遺跡の関係から―」(『「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告II‐1』2012年)
http://www.okinoshima-heritage.jp/reports/index/18

時枝務「神道考古学における依代の問題」(『立正大学大学院紀要』第31号 2015年)
http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/5656
(笹生氏の研究を受けた形で、同じく旧来の民俗学・考古学における依代について再検討している)


2016年9月23日金曜日

會津八一「一片の石」~『日本の名随筆 石』を読む その10~

――石は案外脆いもので寿命はかへつて紙墨にも及ばないから、人間はもつと確かなものに憑らなければならぬ。

今まで紹介した随筆群とは毛色が異なる。

石は堅固で、恒久性の象徴として描かれることが多かった。
會津八一はそうみなしていない。
厳密に言えば、石が一般的にそのようにイメージされていること自体は理解しているが、そのイメージが実体とは違うと指摘するのが本論である。

――石といへども、千年の風霜に曝露されて、平気でゐるものではない。

それは、古い墓石を遡れば遡るほど、人が死に、造られた墓石の数は累々たるものであるはずなのに、現存する数が造られた数に比して少ないと目されることからもわかる。

その原因は、火災などの自然災害に起因するものもあれば、人が押し倒して墓石を蔵の土台や石垣の下積みなどへ再利用したケースもあったのではないかと會津は思いをはせる。

會津は、 中国・晋王朝の偉人として知られる羊祜と杜預のエピソードを紹介している。
羊祜は、山が宇宙開闢から変わらぬ形であるのだから、私の死後、私を思い出してくれる人がいるなら、私の魂魄はこの変わらぬ山にあるだろうと言い、死後、それを聞いた人々が羊祜を顕彰する石碑を建てたという。
杜預は、自らの業績を刻んだ石碑を二基造らせ、一基を山の上に、一基を海の底に沈めた。後世、天変地異が起こって山が海に沈んだとしても、逆に海底の石碑が地上に現われるだろうと踏んでの策だった。

はたしてこれらがどうなったかというと、杜預の石碑は二基とも行方知れずとなり、羊祜の石碑も死後270年を経過した頃、破損が目立ったため、摩耗した石碑の残石を用いて文字を彫り直したということである。
しかも、一度修繕したはずのこの石碑が、後代、唐の李白の歌に読まれているのだが、そこでは石碑どころか一片の石と化しており、そこには苔が一面に覆っているありさまだったという。

羊祜・杜預の著作は後世に残っているのに、紙よりも頑丈と信じられたはずの石が、期待に反して後代に残らないこの不思議さに、會津の関心興味はある。

このような石の現実があるのに、人間たちは根気よく、今も石に頼り続けている。
いつもでもこの世にとどめたいと思うものを欲するために、石は用いられる。
石がまるで故人であるかのように拝まれる。
その石が大きいほど貞女孝子と褒められる風潮がある。
會津から言わせると、これは極めて滑稽な現象ということにならないか。


では私は、會津が触れなかった視点を1つ述べてみたい。
人が人工的に刻み、置くのが石碑である。置かれた場所は自然のままではなく人間の意思が介在し、自然が造った石肌のままでもなく、人が刻みを入れた加飾によって石碑はできあがる。

その石碑が、僅かな時間で摩耗し、消滅してしまうという話である。
それは、石本来が持つ特性を生かしているようで、生かしていない。

自然の場所に根ざし、自然の肌を持ったままの石は、悠久の姿を保っているものも多いのではないか。
また、人の目につきたいという欲のもと造られた石碑よりも、人が目につけていない自然石こそ、逆説的に長く生き永らえるという性質が得られるのではないか。

石の性質をあれこれものしたり定義付けるのも、人間の意思の介入しだいな気がする。

2016年9月16日金曜日

竹山道雄「竜安寺石庭」~『日本の名随筆 石』を読む その9~

――「お前の世界表象はあまりにも凡庸で日常的だ。ただ受身に外界を映しているだけだ。このように自分が構成する可能性をもて」といわれた気がした。

竜安寺石庭を見た時の竹山道雄(ドイツ文学者)の感想である。

竹山は竜安寺石庭を様々な言葉で評する。
列挙しよう。

  • 世界の裏側を見せられたような気になる。
  • 石庭に使われた石は決して立派なものではなく、貧弱である。
  • 逆に、堂々とした巨石を置いたら、ここまで評価されなかっただっただろう。
  • わざと貧弱な石を用いて、石の形ではなく、石の配置に価値観を持たせることに集中した。
  • 竜安寺石庭は池に水もない、砂面にも何もない、目を見張る石もないの、ないないづくしである。
  • 見る人が、そのないないづくしの空白を埋めるようにしてあるようだ。


竹山は、石のフォルムが持つ性質に「絶対感」と「無限感」を挙げている。
竜安寺石庭には、とりわけ「虚」「空」「否定」という意味合いの無限感があるという。

人にとって、とりつくしまもないような雰囲気を「絶対感」「無限感」と表現したのかもしれない。
今回は、石のフォルムや規模ではなく、石の並べ方で「否定」の世界観を伝えた。
竜安寺石庭に並べられた十五個の石は、完全な円弧の配置ではなく、不規則で、不完全な弧を描いて並べられている。
これはわざとである。「一つの石も動かせない」のだそうである。

1つ1つの石は貧弱であることから、石が本来持つ性質は発揮されていない。
それでも、石が持つ「無限感」を、石そのもの以外の要素である「配置」によって表現した。

だから、竹山の言葉を借りれば、竜安寺石庭は「石」の庭ではなく、むしろ砂庭なのだという。

――茫漠たる大洋を見まわしたときと、その中に遠く一点の孤島を認めたときとでは、われわれの心的状態はちがう。

庭石だけでしか岩石を哲学できないわけではないが、竜安寺石庭という一つのモチーフ(しかも人為的な石の作品)から、逆説的に岩石の性質があぶりだされているような名文に感じた。


2016年9月11日日曜日

石はいつでも人の心の写し鏡

【動画】アヒル顔の名物岩、観光客に破壊される
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/090800336/
(ナショナルジオグラフィックス日本版)


中国人観光客が韓国の“文化財”持ち去り!?中国メディアは指摘した韓国議員に「過去にも中国に難癖つけた」と反発
http://www.recordchina.co.jp/a150074.html
(Record China)


石は、人によって勝手に人気者にされ、人の都合で壊され、石を守ろうとするのも人。

石はどっしりと構えているように見えて、人にされるがままの存在でもあります。

いつまでもあるように見えて、あっという間になくなる一面も持ちます。

石の目の前で何が起こっても、石自体は黙して語らず、石を代弁するのはいつでもどこでも、人であることに気づかされます。

人の心と最も遠い次元にある石を通して、人のあらゆる心が透けて見えます。

人の心には、醜いもきれいもありますが・・・

だから岩石信仰を見続けるのを、私は止められないと、ここ一年ほど感じています。


2016年9月4日日曜日

「君の名は。」を通して知る日本の岩石信仰

デザイン・視覚表現の雑誌『月刊MdN』vol.270(2016年10月号)
「特集 君の名は。 彼と彼女と、そして風景が紡ぐ物語」にコラムを書きました。

新海誠監督手がけるヒット中のアニメ映画「君の名は。」の特集記事の一つです。

先月、試写会に参加させていただいた上で書きましたが、事前知識なしで見たのでびっくりしました。心洗われる映画です。私の中では浄化されたという表現が一番ぴったりきます。

人間の最もピュアな面を照射されるような、あるいは、えぐられるような。
えぐられると、照れが出たり、目を背けたくなるかもしれませんが、まっすぐ受けとめて楽しんだもの勝ちだと私は感じました。
このあたり、見る人によって受けとめ方は変わるのではないでしょうか。


劇中に石の御神体が登場することから、「日本の岩石信仰」というテーマで依頼をいただきました。
極めてマニアックな「君の名は。」特集なのではないでしょうか。
ただ、日本列島に残る岩石信仰の世界を、一人でも多くの方に知ってもらえる機会をいただき感謝です。

岩石信仰の一般的な概要紹介というより、「君の名は。」に登場する様々な要素とリンクさせながら書いたつもりです。 ぜひお手にとってご覧いただければと思います。

Amazonリンク(9月6日発売)
月刊MdN 2016年10月号(特集:君の名は。 彼と彼女と、そして風景が紡ぐ物語 / 新海誠)
雑誌版(新品完売) https://www.amazon.co.jp/dp/B01KNCSZ3I
kindle版もあります https://www.amazon.co.jp/dp/B01HPLSZDA


2016年9月1日木曜日

久門正雄『愛石志 抄』~『日本の名随筆 石』を読む その8~

 文章がやや難解かつ長いので、内容を簡単に咀嚼して箇条書きにしておく。

  • 人が美しいと感じるものには、自然物と人為物がある。
  • 人為物には、よほどの作品でない限り、意恣が見える。
  • 自然物にはそれがない。人間の体臭からは程遠い存在である。
  • 築庭における捨石は、橋や路傍や滝などに風致を添える石のこと。
  • 庭に対しては無用の用を果たしているが、そういう実用性がない分、むしろ石そのものを生かした存在となっている。
  • 捨石は、茶道の寂の精神に通ずる。自然さ、静けさ、古めかしさ、内包感、安定感。石の持つ属性に通ずる。
  • 実用でなく、非実用に存在している地道な味わいが、石の性にふさわしい。
  • 飛石は、庭において歩道としての実用性を持った石である。実用物なのに美しさを感じる理由は何か。
  • 一つは、美しさを狙って置いたものではなく、実用に終始する忠実さ、つつましさ。そこに美を発見した。
  • 二つは、石を歩く間隔にただ並べただけという簡素さの美。土偶・埴輪・神社・茶室・能の所作・茶器・和歌・俳句などに通ずる簡約の美である。
  • 護岸石は、掲げて見るものでも、正面に立てて観賞するものでもなく、土に埋もれ、地と一緒になり、崩れの支えとなっている。
  • 石を愛する者は、自然の状態にある頑石らしい頑石を好む。その意味では、偶然に観賞する対象となるのが始めで、それを日常の手近なところに持ってこようとしたのが庭石である。

庭石という世界の中でしか、石は語れないだろうか?

2016年8月17日水曜日

小泉八雲「日本の庭―抄―」~『日本の名随筆 石』を読む その7~

――日本の庭園美を理解するためには、ぜひとも、石の美しさを理解すること。

まるで『作庭記』のようなことを言う小泉八雲は、事前のイメージ通り、日本人の精神性を事細かくついてくる。石一つとっても、その記述に手は抜かれていない。彼をそこまで突き立てた衝動は何だったのだろうか。

――人間の手が細工を施した石の美しさではない。天然自然によって形のそなわった石の美しさである。

日本人は生まれながらにして、自然のあるがままの美しさを身につけているから、欧米人は日本で暮らして感得してみるべしと薦める。
いや、今の日本人もどうかな・・・自分含めて自信はない。

――ちょっとそこらの町を歩けば、諸君の修むべき石の美学の問題集は、見まいとしても目にはいってくる。寺院の入口、道のはた、鎮守の森の前、さては到るところの公園・遊園地。あるいは墓地

四角四面に切った石柱や、神仏を彫りこんだ石碑よりも、自然石を用いた墓石のほうが値段は高いという。
自然石に数多く触れることで、自然石それぞれの性格、そして、自然石の色調や明暗を知ること ができるという。

――かりに諸君が、多少でも生得の美的感覚をもちあわしているとすると、これらの自然石が、石工の手に切り刻まれたどんな加工石よりも、それほど美しいかということを、遅かれ早かれ、かならず発見されるにちがいない。

若干の上から目線は置いておき(笑)、ありふれている光景こそが、美しいという価値を持つことを八雲は論じていると言える。ありふれているのに、美しいと認めることは相反する現象にはなりはしないか。
異形な石、巨大な石こそが、価値を持つのではないか。そう後世の学者は説明してきた。

――石の形によって、文字のあるなしがきまっているかのごとく、この石なら文字がない、この石なら文字がないはずだと、文字のない石、ないはずの石に、べつの彫刻、あるいは碑銘のようなものを、しぜんと捜すようなことになってくるだろう。

墓碑や石碑、石塔、石仏に、精緻に掘りこまれたものと、なぜか自然のままのものがある。
そこに法則性や一体感は一見認められない。
しかし、石の形によって文字のあるなしが決まっていたとするなら、私はその次元に達していない。

――とくに日本の国は、石の形に暗示的なものが多い国だ。(略)天然物の形からくる暗示が、こんなふうに認識されている国では、おそらくそういうこともあろうと想像されるとおり、日本の国には、石に関する奇妙な信仰や迷信がじつにたくさんある。

八雲はその例の1つとして、釈迦のことばを説いた相手が、大燈大師にお辞儀をした石だったという話を取り上げているが、このチョイスがすでにマニアック。
どこにある何という石なのか思い当たらない。ご存知の方はお教えください。

2016年8月11日木曜日

生名島(愛媛県越智郡上島町)



立石/メンヒル

生名島
巨石好きの間ではあまりにも有名なこの事例。
やっとお目にかかれることができ、素直に感動。

 奥に立石山が控える
 
この立石は、生名島の石ではなく、海上運搬されたという看板が立っていることでも有名。 
その割には、石質が書いていない。また、表面を見ただけでは石質はわからない(それくらい目視による石の同定は難しい)こともあるのにはっきり断言して良いのか。こういうのも批判的に見ていきたい。

立石山遺跡

生名島
生名島は、因島から車ごとフェリーに積んで移動できる。
(写真対岸が因島。フェリー移動時間5分)

生名島
山頂の立石山遺跡。大小の露岩が散在する。
磐座と名付けられ、一部に杯状穴・陽石・陰石との名称も当てられている。
命名時期・命名者は不明。

生名島
写真左手前が陽石

陰石。山頂から少しだけ北側斜面を下る。
規模もそこまで大きくなく、陰陽の関連性を認めるには説得力が足りない。


立石山遺跡は弥生時代の高地性集落遺跡の例として取り上げられることがある。
集落(軍事)遺跡と、祭祀遺跡の両立は十分あるが、ではこの露岩群がすべて祭祀用とは言えない。
もちろん、生活(軍事)用としてすべて見るのもよく分からない。
むしろ生活面と祭祀面を二分するのがナンセンスであり、同時に語られて初めて実際に即していると言える。


2016年8月7日日曜日

艮神社(広島県尾道市)

所在地:広島県尾道市長江一丁目3-5



艮神社


拝殿に隣接して、上写真の岩塊に注連縄が巻かれている。

訪問時点では、鳥居より先は安全上の理由で立ち入り禁止となっており、近くから観察することはかなわなかった。

この岩塊の名前が紹介されていない。
「磐座」と呼んでいる人もいるが・・・早計である。

千光寺(広島県尾道市)

所在地:尾道市東土堂町15-1




玉の岩

三重岩

有名すぎて・・・
ここは、私がコメントするよりも、もっと有益な情報を載せている方がweb上に何人もいます。

寺務所で『千光寺と文学のこみち』(2012年)購入。ここでしか買えない本。
境内地の岩の情報も比較的まとまっています。

2016年7月20日水曜日

Hampi

ハンピ

旧名・ヴィジャヤナガル。

ヴィジャヤナガル王国の首都。世界史で習いました。



Hampi 

Hampi 

写真を見て、こんな場所とは思っていませんでした。

いま、世界で最も行きたい場所です。



2016年7月19日火曜日

唐木順三「石」~『日本の名随筆 石』を読む その6~

――彼は石について語らなかった。語りたがらなかった。語らなかったからこそ、石が彼に語ってくれたのかもしれない。

「彼」とは、筆者の唐木順三が知る一人の教師である。
学校では子供たちに慕われていて、快活な性格の教師だったが、酒を飲むと、彼は石に会いたくなるのだという。
天竜川の川原をさまよい、石を見つめるだけではたりず、頬にこすりつけたり、持って帰って部屋に並べたりするのだそうである。

彼の部屋に並べられた石には手脂がしみていた。並々ならぬ思いがそこからも感じられるが、彼は石に対する思いを決して人には語らなかったという。

モダン・アートの画家である沢野井信夫が『石にたずねる』(創元社、1958年)という本を出した。
これを唐木は「内容はつまらない」と断じた。
その理由は「石庭の石であったり、城壁の石、石段の石、道路標の石」で「みな人間の手の加はつた石」だったからだという。

この時、唐木はふと、冒頭で紹介した教師に「同じ題名で書かせたい」と思った。
「彼が石を書いたら、どういふものになつたらう。」
彼が石に多弁であることはなかったが、もし石の本を書いたら、石を書くとともに己れを書いたのではないか?唐木はそう妄想する。


ここからは私(吉川)の個人的な実感を話すが、世に発行されている石の本はそう数が多いものではないが、そんな狭い石の世界の中でも、人の興味関心は千差万別であると感じることが多々ある。
作者によって、石を取り上げる角度のふり幅は広い。
私が本を書いた動機も、私と同じ視点で石を見ている本を見つけられなかったから、である。

私は考古学畑で石に接することが多かったが、考古学における石の取り上げられ方も、極めて一面的である。歴史学全体に目を広げても、一緒かもしれない。
特定の本を例に出すと棘があるので自粛するが、唐木と同じく「人間の手の加わった石」だけに目を向けているケースが多い。
「石の~」と題しているのに、その実は勾玉だけだったり、石棺だけだったり、石はそっちのけで仏像の話に終始していたりする。何かが違う気がする。

 一方、宝石や特別な種類の石にばかり執着するのも、また一面的である。

かつて、宝石や珍しい石を集める人に出会ったことがある。
この人の中に、路傍の石はどう映っているのか、恐くて聞けなかった。

男根や陰石など、性神の類する石を追いかける人もいる。それは石そのものというより、他のものを追い求めているようだ。
巨石を好む人にも、私は路傍の小石をどう思っているのか、恐くて聞けない。

人の興味関心は細分化されすぎていて、あれもこれも、抜け落ちるものなのだ。
私だって、石と天文の関係については興味が薄いため、あまり首を突っ込まない。自分の身の程を察しての防衛本能だが。
しかし、岩石信仰に触れるなら、決してそんなことはしてはいけないはず。
なぜなら、岩石信仰という言葉は、細分化されすぎた人の興味関心を集約化した上に成り立つ世界だからだ。

この矛盾をどう解決したら良いのか?
各個人が好き勝手言っている時代は終わり、学際という言葉が生まれているように、各分野の専門家が1つのテーマをすり合わせる段階なのかもしれない。

その時代についていくためにも、私はいましばらく、歴史と文学と哲学の狭間を磨き上げていくことにしたい。

2016年7月7日木曜日

薄田泣菫「石を愛するもの」~『日本の名随筆 石』を読む その5~

――いろんなものを愛撫し尽した果が、石に来るといふことをよく聞いた。

本作は、石を愛する者の伝記を数名紹介したものである。

1人目
屠琴塢(清朝の文人)
一生かけて36個の奇石を集めた。その1つ1つに名前を付けて、来客に見せびらかした。

2人目
鄭板橋(同じく清朝の文人)
石の絵を好んで描いた。なぜか醜くも、雄偉な石を描いた。

3人目
東坡(宋の文人)
「石は文にして醜だ」といった。石の醜さを含めて愛した。

4人目
米元章(宋の文人)
醜くも大きな石を見ると、衣冠を整えてお辞儀をして、その石を「兄弟」と呼んだ。

5人目
瞿稼軒(明の武人)
石を見かけると、そのまま通り過ぎることができない人だった。
石の形相を見て、襟を正し、お辞儀をして、いつまでも立ち去ろうとしなかった。


取り上げられたラインナップが、宋~清の文化人ばかりである。
詩人である薄田の嗜好によるものであろうが、やや偏りがあるのは否めない。
いわゆる"名もなき庶民たち"の石の接し方はどうだっただろうか。

2016年7月4日月曜日

上村貞章「石の表情」 ~『日本の名随筆 石』を読む その4~

――いま私は石を研究の対象としようとしているのではなく、石のなかに一つの人生を見たいと思っているに過ぎないのです。

上村貞章は、石を見ることで、石を見ている人間の「欲情」や「私自身」が見えてくるという。それをまとめて石は「人間の模造品」と評す。

上村が呈する石の魅力は以下の点である。
  1. 夜の石のたたずまいや、雨風にさらされている石は、木石ならぬと形容される人間よりも立派である。
  2. 草も木も人もいなくても、石があるだけで落ち着くさまは、かえって人の醜さを浮きだたせる。
  3. 人の意図が入った石庭などではなく、人の手が入っていない石にこそ美しさがある。
  4. 石ほど、濡れて美しさを増すものはない。
  5. 机にすえて眺めるもよし、掌の上にのせるもよし、石のそばに佇むもよし、石を見に行くもよし。石の表情を見る楽しみ方はいろいろある。

これらの点から伝わるのは、あわただしく考え、動き回る人間と、まったく動かない石との対比である。
足し算的発想を「発展」ととらえる人間の価値観を全否定するかのように、石は引き算的発想の極致にこそ価値観があることを語っている。

夜になるのも、水に濡れるのも、周りに何もないのも、それが天の配剤であれば、それは人には全く見当の及ばない「表情」として映る。

石は、人とは完全に対照的な存在として描かれている。

石と人はまったく相いれない性質の存在だからこそ、石に対峙する楽しみかたは自由であり、おそらくは、その自由な選択をした結果見えてくる各人間のキャラクターが逆に映し出されるのだということを上村は語っているのではないか。

2016年6月19日日曜日

尾崎放哉「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その3~

――私は、平素、路上にころがつて居る小さな、つまらない石ッころに向つて、たまらない一種のなつかし味を感じて居るのであります。

大きな巨石や、形が変わった奇岩怪石を嬉しがらないのが尾崎放哉である。
小さな石ころにこそ、可愛いという愛情を抱くらしい。
そういう意味では、すべての石に興味を持つのではなく、人工の石造物でもなく、自然の小石に愛着を持つ男の一人語りと言える。

――なんで、こんなつまらない石ッころに深い愛情を感じて居るのでせうか。つまり、考えて見ると、蹴られても、踏まれても何とされても、いつでも黙々としてだまつて居る・・・・・・其辺にありはしないでせうか。

堀口大學の「石は黙ってものを言ふ」に通ずるものがある。
堀口は、これを石の反抗心と捉え、尾崎はされるがまま黙る石を愛らしく感じた。

――物の云へない石は死んで居るのでせうか、私にはどうもさう思へない。反対に、すべての石は生きて居ると思ふのです。

――石は生きて居るが故に、その沈黙は益々意味の深いものとなつて行くのであります。

引き算的発想で、何もしない、何もない、静の世界に意味を求めるのは、人のどのような思いによるものだろうか。

――鉱物学だとか、地文学だとか云ふ見地から、総て解決し、説明し得たりと思つて居ると大変な間違ひであります。石工の人々にためしに聞いて御覧なさい。必ず異口同音に答へるでせう。石は生きて居ります・・・・・・と。 

石が石を産む話や、石が大きくなるという話を、学術的見地から説明することのナンセンスさを指摘している。
尾崎は石を加工する石工から、木でいう木目を石の場合「くろたま」と呼ぶことを聞きとっている。

――石も、山の中だとか、草ッ原で呑気に遊んで居る時はよいのですが、一度吾々の手にかかつて加工されると、それつ切りで死んでしまふのであります。

しかし、自然の石をひとたび切りとり、加工してしまうと、その石は死んでしまうのだという。
たとえば、墓石の石塔として一度切り出された石を、後で他のものに代用し直す場合、石の表面を削ると中身はボロボロになっているのだという。これをもって、尾崎は石が死んでいると悟った。
尾崎は、墓石塔が立ち並ぶ姿を、その地中に眠る死者と同様、「みんなが死んで立つて居る」ように見ている。
自然の石も黙っていて、加工された石塔も同じく黙っているが、前者は生きていて後者は死に絶えていることの表れだとみなす。

では、文字を刻まれた石は、傷ついているのだろうか。
石に何も施さないことが、石にとってもっとも「ピンピン」していると感じる価値観をここに見るのだった。

2016年6月18日土曜日

草野心平「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その2~

――庭の樹木の全部をひつこぬいてしまひたいと思ふ。そしてずしんと大きな石を、それも何丈かある石を一つだけ埋めてやりたい。
庭の作り方を考え続けた草野心平が最後に辿りついた境地が上の文である。

自然の山とあえて区別するために、庭には人工的な造作を込めて作る。
それは木の種類の選定から、木を産める位置、木の数に至るまで、人の意思が介在する。

しかし、ややもすると庭にあれやこれやと多種の木を植えてしまうことで、「乱然」で「幼稚」な庭の世界が完成する。

草野が行きついた境地は、このような足し算的発想とは対極の引き算の発想である。
木を植えない庭ということになるが、その代替案として草野が提示するのが「石の庭」である。

草野は「竜安寺以外に石の庭はあるのだらうか。ないとしたならばどうしてないのだらうか」と疑問を呈する。

その難しさを、草野は自分自身でたとえようとする。

いわく「石を、庭のまんなかに一つどつかとおくことはをかしな話でもなささうである」と言いながらも、「私の現実はその実行よりはずゐぶんとほい」と評し、その理由を「今晩のおかずは何んにするか」「せつかくとつてきた苔もまだそのままだ」と、自らの現状の雑念や足し算的発想に求めるのである。

自分が欲してつくろうとする庭を、石一つに託せるかどうかという気持ちの問題である。

2016年6月16日木曜日

堀口大學「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その1~

奈良本辰也・編『日本の名随筆88 石』(作品社 1990年)を購入しました。


















こんな本があるなんて、石に魂を惹かれていない人には微塵も想像できないでしょう。























裏面に収録作一覧。

石・石・石・・・

巻末に、思ってみなかった収穫がありました。























石にまつわる随筆・エッセイの文献一覧が収録されており、石の世界は果てしなく広がります。

石に"狂"じた人々の随筆は、彼らの中だけの哲学と決めつけることはできません。

石に惹かれていない人の中にも眠る、石の哲学の共通項が見出せるのではないか?
この視点から、石に一念を持つ者と持たざる者の比較対照をおこなっていきたい。

1作ずつ読みながら、私の思うところも述べていこうと思います。



堀口大學「石」
―― 石は黙ってものを言ふ
六行の散文詩。
メインテーマは冒頭の引用部分。

雨で濡れようが、太陽で乾こうが、川の流れに当たろうが、それこそ雨にも負けず風にも負けず、泰然自若とする石。
普通は、それに何の意思も気持ちもこもっていないと捉えるのが常識的発想。

堀口大學は、そこに「動かないという主張」を見た。
動かないのは頑固で、反抗的で、周りにおもむらないことの反映。
今風に言えば、空気が読めない。
空気が読めないということは、当世風な存在ではなく、時代を超越した存在とも言える。

単に、悠久不変と石を評価付ける以上の何かは得られそうである。


2016年6月11日土曜日

基盤岩信仰~京都市北部に岩石信仰が芽生えた理由を地質面から解説する~

記事の紹介です。

京都盆地の基盤岩: 露頭する岩石、磐座信仰
(京都高低差崖会ホームページより)

京都盆地は、北へ行けばいくほど地中の岩盤(基盤岩)と地表との距離が浅くなります。

だから岩倉に代表されるように、露岩をまつる信仰の場が複数残っているんですね。

船岡山の露岩群もこの事例に入るのかな。

基盤岩信仰という言葉、勉強させていただきました。

2016年6月6日月曜日

考古学と磐座

祭祀に関わる岩や石を磐座と総称するのは、最新の研究状況からは遅れています。

磐座と呼ばれていない岩や石が山ほどあることを、もう知っておかなければいけません。

まず隗より始めよということで、この固定観念が治るまでは、一人ぐらいは言い続けないと、と思ってやっています。
かつて埋蔵文化財の報告書を漁っていた時も、問題意識なく磐座という言葉を当てているケースが多く、みんなでイメージを固定化させていく様が悲しかったです。

ここ5年くらいはどうかな?と思い、リポジトリ化されている報告書の中で磐座の記載があるものをピックアップしてみました。
どんな文脈で磐座を使っているか、いっしょに見ていきましょう。

2016年6月2日木曜日

磐境(いわさか)とはどういう意味ですか?

私が石・岩の分野に興味を持ったとして、ネットでなら、どんな言葉で検索するだろう?

そんなことを考えても自分を客観視できないのですが、おそらく磐座・巨石の次に入れる言葉が、この磐境でしょうか。

その昔、大学の友人に「磐座・磐境に興味がある」という話をしたら、

「磐座・磐境なんて、高校の日本史の問題集で1回見かけたぐらいやわ。よくそんなマニアックな用語しっとるな~」

と、別の意味で感心されたものです。
逆に、高校日本史で一応出てくるレベルの言葉なんですね。磐座・磐境。


2016年5月31日火曜日

石の本リスト2016 in 山口

山口県立山口図書館が良いページを作りました。

ニュースを読む「地球のかけら『石』の世界 ~『県の石』制定~」

石にまつわる本を紹介しています。

石の本にはアンテナを張っているつもりでしたが、特に気になるのがこの3冊。

  • 石 伝説と信仰     長山幹丸‖著     秋田文化出版     1994.1
  • とちぎ石ものがたり 人と石の文化史     栃木県立博物館‖編集     栃木県立博物館     2007.10
  • 日本の名随筆88 石         作品社     1990.2

3冊目の随筆集の目次が、版元の作品社のホームページにありました。

   ~~~
【内容目次】
會津八一  一片の石
青柳瑞穂  石皿との出会
網野菊   石
石川淳   武田石翁
井伏鱒二  石臼の話
上村貞章  石の表情
宇佐美英治 殺生石
小川国夫  ロワール河畔 ジェルミニ・デ・プレ、アゼール・リドー、キュノー
尾崎方哉  石
折口信夫  石の信仰とさえの神と
唐木順三  石
北畠五鼎  子石と卵石
北畠五鼎  石眼
北畠雙耳  子石と卵石
北畠雙耳  石眼
草野心平  石
久門正雄  愛石志(抄)
小泉八雲  日本の庭(抄)
佐藤宗太郎 恐山の石
澁澤龍彦  石の夢
薄田泣菫  石を愛するもの
竹山道雄  竜安寺石庭
豊島與志雄 狸石 寓話
中勘助   独り碁
中沢けい  ひでちゃんの白い石
奈良本辰也 萩の武家屋敷の石垣 山口
長谷川四郎 石の中の魚
別所梅之助 石を積む
堀多恵子  リルケの墓で
堀口大學  石 [巻頭詩]
森銑三   石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭
矢内原伊作 石との対話(抄)
山本健吉  石位寺の石仏

   ~~~

すごくおもしろそう。

私の今の興味関心を満たしそうなタイトルがずらりです。

郷土資料に類する本や、私家版にはまだまだ知らない世界が広がっています。



2016年5月26日木曜日

新・三大古代の巨石

マツコ有吉の怒り新党で巨石特集あったらしいですね。

新・三大古代の巨石

毎週見ていたのに、今回に限って見れなかったとは・・・・・・。

妻を洗脳する絶好のチャンスを逃すとは、残業なんてするもんじゃないな。

2016年5月14日土曜日

文献紹介 本間久英『石の魔力で夢をかなえる』(マガジンハウス、1996年)

 筆者の本間久英氏は、下の論文で先日紹介しました。

文献紹介 本間久英「埼玉県に言い伝えられている石(岩石)」(2002年)

 専門は地質学者という本間氏。
 上の論文も専門をやや飛び越えたものでしたが、今回紹介する『石の魔力で夢をかなえる』も、なかなかの攻めのタイトル。

 タイトルと筆者経歴から、石の魔力を理化学的な視点で解説してくれる新境地の本かと勝手に想像していました。
 2割ぐらいはその内容もありましたが、予想よりもパワーストーンの概説書でした。水晶など、宝石の記述に偏り気味です。いわゆる花崗岩など、ありふれた岩石はスルーされています。

 見出しの中にはチャクラやヒーリング、チャネリング、ダウジング、水晶占い、気功・・・と、1996年当時のブームの香りをふんだんに反映した内容。

 これはこれで貴重ではないでしょうか。
 というのも、最近、あまりこれらの言葉、聞かなくなったと思いませんか。
 数年前のスピリチュアルブームで、この業界の空気も完全に変わったと感じます。
 はやりものというものも、諸行無常です。

 本書を執筆するにあたって、本間氏はおそらく当時のはやりものを渉猟して、それに立脚したのだと思います。
 たとえばダイヤモンドは「理不尽な命令をはねのけ、自分が正しいと信じている方向へ進めるように持ち主を導く」(p50)と断言し、アマゾナイトは「冒険と夢の石」で「見果てぬ夢を追いかけて、その実現に努力する」(p67)効果があり、オブシディアン(黒曜石)は「常に戦う心を持ち続け、冒険を恐れない人」(p73)にふさわしいといいます。
 「~という」と伝聞形ですが、その根拠や出典がはっきり書かれていません。

 こう見るとトンデモ系と評価付けられかねないのですが、そこは本書の「はじめに」と「あとがき」を読むと、本文との温度差があり、味わい深いものがあります。
 本間氏は「わかって書いている」節があります。科学者としてこのような本を書いていいものか逡巡したことや、パワーストーンの効能は科学的な立証はないと断りを入れています。全体的に初心者向けの文章構成にしていることや、わざとらしいくらいにハウツー本を意識した手引き的要素が濃い。いずれも、わかってやっている感が漂います。
 本間氏の言葉を借りるならば「そのようなことがあっても不思議はないな――」(p164)というスタンスです。

 では、本間氏をそう思わせ、本書を書き上げた動機とは何なのか。
 それは周りの人に石にはまる知人や教え子が多く、彼らから聞く話に、石を持ってから体が治ったり、子供が生まれたり、探し人が分かったりしたという奇跡的なエピソードを複数聞いたことが大きいようです。
 それはもちろん、石とエピソードの因果関係の裏取はなく、また統計的な根拠にも欠けるものでしょう。本間氏もすべてを信じすぎではないかと思いますが、周りがそういう人たちで固められていたのなら、これも1つの心理として自然です。

 私は、周りにそういう人もいなく、自分自身にそういう体験がなかったので、まるで本間氏の世界が別世界です。 世界が違うのです。

 言うなれば、これは本間氏にとっての石の哲学書です。
 もう少し正確に言うなら、1996年の時代の香りを吸いすぎた、石の哲学かもしれません。
 この「世界の違い」を違和感を抱きながらも読み、理解するという作業は、哲学的です。私にとっての本書の楽しみ方とは、ここにあります。

 コラム「食べる石」は、石が漢方の世界では薬として食べられていたことを概覧するもの。このページは知識面で勉強になりました。
 こういう学問的内容もいきなり登場するのが本書の特徴。

2016年5月13日金曜日

書評 比田井克仁氏論文「東日本における磐座祭祀の淵源」を読んで

1、はじめに

 比田井克仁氏の論文「東日本における磐座祭祀の淵源」は、早稲田大学考古学会の発行する機関誌『古代』第118号(2005年3月刊行)に所収されています。

 磐座をテーマにした考古学の論文は、最近ではほとんど見なかっただけに驚きました。それだけに、この種の研究ジャンルでは極めて貴重な研究論文と言えます。私もさっそく読んでみたわけですが、読み進めていくと「初めて出会う解釈」が多く、少なからず当惑しました。
 もちろん賛同した部分も多くありました が、どうやら岩石祭祀に関わる基本的なところで考え方の相違があるようで、どうしても納得のいかない部分もありました。

そこで私なりに培ってき た岩石祭祀研究の立場から、比田井氏論文に触発されて色々と考えたことをまとまりもなく書きました。
 批判にもなっていないかもしれませんが、磐座・磐境に といったものに対してこういう風に考えている立場もあるんだよということを、この場を借りて少しでも表明できればと思います。


2016年5月8日日曜日

なぜ岩石祭祀と言わなくなったのですか?

 2001年~2015年の15年間、岩石祭祀学提唱地という名前のウェブサイトを続けていました。

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、岩石祭祀学という看板を外して、今このブログを書いています。

 これもお気づきの方がいるかもしれませんが、ここ5年ぐらい、岩石祭祀という言葉をあまり使わないようになり、そのかわり岩石信仰という言葉を使う機会が増えました。

 細かい自分語りなのですが、このことについて話そうと思います。

 そもそも、岩石祭祀学という学問を提唱するなんて言っていたのですが、たぶん本気(?)で思っていたのは最初の1~2年です。サイト開設当時18歳。若気の至りです。
 その後問題意識が変わり、岩石祭祀学などというあまりにも小さい学問をつくるなんて生産的でないと考えるようになりました。
 実際は、歴史学という既存のカテゴリーの中に置くべき"いち研究テーマ"が岩石祭祀なのですね。 こう思ったのも、もう10年以上前です。

 というわけで一言で言えば、最初に掲げた岩石祭祀学という大仰な看板をいつ外そうかという問題だけでした。結局、外せないままズルズル来たわけですけど。

 2013年に、福岡大学名誉教授の小田富士雄先生が「沖ノ島祭祀遺跡の再検討3」(『宗像・沖ノ島と関連遺跡群』研究報告Ⅲ)という論文を書いておられます。ここで抜き刷りのpdfが見られます。

 この中に磐座や巨岩信仰の研究史を振り返るページがあり、僭越ながら私の名前も出していただいているのですが、「吉川宗明氏は岩石祭祀学を提唱し、全国各地の事例を集成して大場分類をこえた分類の作成をすすめている」と書かれているのです。
 すでに本気で言っていない岩石祭祀学をまだ提唱していると思われている。まずい。

 また、2011年に『岩石を信仰していた日本人』という本を出したのですが、秋月俊也氏が『京都民俗』第29号(2012年)で書評を書いてくださっています。ここでも、岩石祭祀学という学問の名前を取り上げていただいていて、恥ずかしい。
 拙著の中では、1回も岩石祭祀学という名前は出していませんでしたが、やはりホームページのタイトルに堂々とついているのは、弁解しようもないなと。

 ということで、岩石祭祀学の看板は早く降ろそうと思っていたところ、たまたまプロバイダの変更によって2015年ホームページを閉鎖するタイミングになり、これで一度リセットしようと思ったのです。
 今のブログに名前が変わったのは、そういう理由です。

 岩石祭祀から岩石信仰に比重が変わったのは、シンプルに、祭祀という目に見えるものを研究材料とする考古学的な視点からシフトして、信仰という内面的なところまでを研究の視野に入れたいと思ったからです。
 祭祀は、まつるという目に見える行動で、信仰は、内面の心の部分で、目に見えない。
 考古学は前者を対象にできるが、後者は考古学的手法のみでは限界がある。私の力不足かもしれませんが、5年ぐらい考古学の中で信仰・祭祀研究と向き合った結果、そう思いました。
 そこで、心の内面を文字化した文献史学や、必ずしも形になっているとは限らないものを話者が口述する民俗学の出番というわけです。それだけでなく、哲学や心理学の領域にもわたるテーマが信仰です。

 私は祭祀という行動だけを知りたいのではなく、行動の裏にある心の動きを知りたいのです。
 岩石祭祀で終始するのではなく、岩石祭祀を通して岩石信仰を知りたい。
 拙著のタイトルを「岩石を信仰していた」にした理由は、そういう気持ちからです。

 以上、私の気持ちの細かな移り変わりトークでした。

2016年5月7日土曜日

磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?

 これはよく出る質問です。

 磐座(いわくら)という言葉が氾濫しています。
 ここ10年の話ではなく、私が調べた限りでは、ここ80年ぐらい、磐座という言葉が勘違いされてきた節があります。

 奈良県桜井市大神神社の宮司だった遠山正雄氏が「いはくらについて」という論文を1933年に発表しました(『皇学』第一巻第二号)。

 この論文で、遠山氏は磐境も神籬も磐城もすべて「いはくら(いわくら)」と呼ぶべきだという主張をしました。
 祭りや宗教に関わる聖なる石をすべて磐座とひっくるめてしまう風潮は、この辺りから始まったと思います。

 この主張に対しては、後年、國學院大學教授の大場磐雄氏によってその主張の誤りが具体的な論証の末指摘され、乱暴な主張であったことがはっきりしています(「磐座・磐境などの考古学的考察」『考古学雑誌』32-8、1942年)。

 しかし遠山氏が神社界の大家で影響力の大きい人物だったこともあるのか、はたまた、こういった仔細を無視した主張はシンプルでわかりやすいのか、今でも様々なところで、この類の石をなんでも磐座と呼んでOKとしている現状があります。

 大場氏は前掲論文で、磐座などの言葉が濫用されていることを憂えていました。すでに70年以上も前に。
 この21世紀でも、その過ちをまた繰り返しているのです。

 だから、この機会に磐座の正しい語義を紹介しておきたいと思います。


2016年5月5日木曜日

Megalith Collection開催

Collectionのページを上に追加しました。

かっこよく、2016SS Japanese Megalith Collectionだなんて冠して、遊びました。
このページだけ全世界水準――
パリコレのパクリです。

メガコレ。

メガコレで検索したら、すでにメガネ男子のマンガがありました。この略称使えないですね。

石コレも岩コレもうーん。

01 勝菅の岩屋(滋賀県)

旧サイトからやっていた、岩石信仰・岩石祭祀を視覚で親しむコーナーの2016年SS版です。
岩石に関心のない人を、直感的にふりむかせたい衝動につきうごかされる時があります。
私が推す27か所です。見たみなさん、ぜひ布教してください。
ときどき差し替えようかな。


2016年5月3日火曜日

妙義山・妙義神社・中之嶽神社(群馬県富岡市)

所在地:群馬県富岡市妙義町妙義



妙義山


 妙義山
 日本三奇勝(耶馬溪・寒霞渓・妙義山)の一つ
 両毛三山(赤城山・榛名山・妙義山)の一つ

2016年5月2日月曜日

与喜山第11次調査(2016.5.2)

今回の調査目的

  • 藤本浩一氏が報告した「三の磐座」の場所の特定
  • 『豊山玉石集』が示す「去來諾尊 陽父 去來册尊 陰母 影向石」の踏査
  • 堝倉神社旧社地(鍋倉垣内)の踏査
  • 化粧坂の化粧石の踏査

結果

  • 「三の磐座」発見できず。
  • 『豊山玉石集』が示す位置にめぼしい岩石はなし。
  • 旧社地と思しき平坦地を確認。その背後にあったという鶯墳のおおよその位置も把握。
  • 化粧坂にて化粧石の候補を数ヶ所確認。特定はできず。

踏査ルート


三ツ石(長野県北佐久郡軽井沢町)

所在地:長野県北佐久郡軽井沢町追分三ツ石

三ツ石という地名が目に止まり、道路沿いの公民館の広場に岩石が集積していたので立ち寄った。



三ツ石

三ツ石

3つの岩石が集まっているようにも見えるが、これが三ツ石かどうかは不明である。

隣接する家の敷地などにも、これよりも大きい岩石が置かれていた。

いずれも、浅間山由来の火山岩だろう。

帰宅してから三ツ石の地名由来を軽く調べたが、今のところ、これはという情報に出会えていない。

おそらく軽井沢町が発行している自治体史など、地名を説明する郷土資料に出会えれば進展するものと思っている。

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