インタビュー掲載(2024.2.7)

2016年3月3日木曜日

日本の岩石信仰は、いつどのように始まったのか?

岩石信仰の始まりはいつか?
これは大きなテーマです。

しばしば、縄文時代から巨石信仰があったという前提で話をされている方や、超古代文明・古史古伝・神代文字・ペトログリフ・ペトログラフ・日本ピラミッドと絡めて磐座を取り上げられる方がいます。
このあたりについての調査は、かつて数年自分なりに納得するまで追究したことがありますが、結局確たる根拠を掴むことはできなかった思い出があります。
確たる根拠がないのに、それを前提として語ることは、歴史への捏造にもつながるわけですから、歴史を語る者は自制するべきでしょう。

今回は、あくまでも考古学的根拠からこのテーマについて回答します。
回答内容は地味に見えるかもしれません。でも、おおむね歴史というのはそういう性質のものだと思います。地味と片付けられがちな人々の足跡に、どう目線を向けるかです。

文字が登場する前の時代から岩石信仰があったとして、土の中から出てきた石の遺物や遺構を、考古学的にどのように判断するかにかかっているでしょう。

私は、岩石信仰の始まりに次の3つのパターンが想定されると考えています。

(1)自然石を信仰したパターン
(2)人工的に整えた岩石を信仰したパターン
(3)岩石を使って、別のものを信仰したパターン

考古学的に、日本最古と言えるのは(2)か(3)のパターンでしょうか。


旧石器時代の岩石信仰の有無


最古級の考古学的発見としては、後期旧石器時代(約20000~15000年前)に岩偶が出土した事例があります(大分県岩戸遺跡出土例)。

岩戸遺跡 文化遺産オンライン

岩偶は、自然石の表面に刻み線を入れて人間などの生物の姿を表現した遺物とされています。
岩戸遺跡の出土例も「こけし形」と形容される頭部と胴部からなり、目の窪みなどの整形が施されています。
これが人を模したものであるなら、当時、石を加工しようとここまで手間をかけて作ったものが単なる人形であるとは言い切れず、信仰に関わるものだったのではないかと推測されるわけです。

当時は打製石器の時代でしたから、石器は「割る・欠く」だけでした。
その時代に「人の形に整える」「線を彫る」までしたことで、単なる石器を超えた手の掛けよう、力の入れようが見られます。

これは私の考えですが、当時で言う「最先端技術」を込めた石に、信仰の意味を持たせたというのはあながちおかしい論理ではないと思います。
(時代は下りますが、弥生時代の銅鐸や、古墳時代の須恵器がそれぞれの時代で祭りの道具として神聖視された理由も、それらが当時最高の技術を持って作られた最先端の品だったからとする考えが考古学の研究であります)

つまり、最古級の岩石信仰が自然石ではなく人工の岩石(岩偶)だったとするならば、その理由はここにあったかもしれないということです。

ただし、この岩偶が本当に人間を模したものかは、線刻がまだ曖昧な部分もあるので分かりません。

石の人形は「(2)人工的に整えた岩石を信仰したパターン」に属すかもしれませんが、人形イコール信仰の対象だったかと言うと、そうとも言い切れません。
別の何かを信仰するために、祭りに使う道具として人形を作ったという「(3)岩石を使って、別のものを信仰したパターン」かもしれませんよね。この人形を祭りに使ったどうかもわかりませんが。

別の何かを信仰していたのなら、岩石は信仰の対象ではなく、信仰・祭祀をするための素材として利用されたという視点の切り分けが必要でしょう。
そして、岩石がそのままでは存在できなかったという点で、自然石への信仰というよりは自然石を一種のキャンパスにして、製作者が岩石に表現をしたかったという痕跡がこれらの石器となります。

まだまだ旧石器時代の信仰については不明点が多いのです。だから、岩石信仰の始まりというテーマは語りにくいのですね。


縄文時代の岩石信仰について


そこで縄文時代になるとどうかという話ですが、岩偶のほかに岩版、石棒、石冠、御物石器など、精神的道具といわれる石器の出土が増加します。
石棒や石冠はそれぞれ男女の生殖器を象り、遺物の検出状況から石棒に火をかけたり摩耗痕があったり使用後に打ち欠いたりと、考古学的にも性信仰にかかわる祭祀行為が推測されている状況です。
この場合、信仰の中心は生殖器・性信仰にあり、岩石はその信仰を体現するため人為的に手を入れられた素材・キャンパスであるということに、基本的に旧石器時代と岩石の置かれた状況は変わりません。

さて、縄文時代早期になると、集石土壙墓を嚆矢とした配石遺構も登場します。
これは、地面に穴を掘ってその下に死者を葬るというお墓の一種で、その墓穴を覆った土の上に小石が集められています。

行司免遺跡の土坑墓(配置墓)

お墓というものは、亡くなった人を葬ってその心を鎮め、死者の心を祖先の霊に転化させ、自分たち子孫をいろいろな面で守護する存在に導く施設と考えられます。
お墓は葬儀の場所ということで、祭祀行為とは別物に思われがちなのですが、祖霊を対象にまつるという点で、お墓も立派な祭祀施設です。

そんなお墓に、小石を集めて地表に露出させることで、ここが祖先の眠る場だとわかるようにしたのでしょう。
土を埋めるだけでいいはずなのに、あえて地表面にだけ岩石を集めた。この心の動きを墓標という概念で表せるのかもしれません。

岩石を墓標としたことで、岩石はおのずと、祖先の霊と交流できる場所の意味を持ち、信仰の要素を帯びます。

墓標は明らかに「(3)岩石を使って、別のものを信仰したパターン」と言えるでしょう。
集石を通して、そこにはもういない形而上的存在である祖先をまつったのです。

すべての配石遺構が地下に埋葬施設をもっているわけではないのですが、お墓として用いた配石遺構が存在するという事実をもって、岩石を使って祖霊信仰をしていたことを縄文時代早期以降は認めて良いと思います。


自然石信仰が始まった時期


ところで、おそらく岩石信仰という言葉でイメージされやすいのは、「(1)自然石を信仰したパターン」なのではないかと思います。
これの最古級はどこまで遡れるかという話ですが、考古学者によって見解が分かれていて、縄文時代という人と、弥生時代という人と、古墳時代からだという人がいます。

・縄文時代派
縄文時代の遺物が見つかる遺跡から、自然石・自然岩がみつかる例も複数報告されている。船引・堂平遺跡(福島県田村市)、皆野岩鼻遺跡(埼玉県秩父郡皆野町)、合角中組遺跡(埼玉県秩父郡小鹿野町)、女夫石遺跡(山梨県韮崎市)が代表的な例で、それぞれ高さは人の身長をやや越えるかくらいの岩塊ながら、その傍らから石棒(時には土偶も)が検出されるという傾向がある。
ほかに、縄文時代の集落遺跡から丸い石(おそらく川の浸食作用で磨かれた自然石)が固まって出土する例が複数見られる。この丸石を信仰の石とみなす説がある(ただしそれ以上の論が発展しない)



当ブログ記事より
女夫石遺跡(山梨県韮崎市)


・弥生時代派
自然石や岩肌の近くから青銅器(銅鐸など)が発見される場合があり、青銅器を埋納祭祀した信仰だったとする説がある。しかし、これらの青銅祭器は中世の再埋納の痕跡が見つかっている例もあることから、弥生時代の配置のままではないとする反論も根強く有力。

肯定的な事例
梅ヶ畑遺跡~自然石傍の銅鐸出土地と古代祭祀遺跡~(京都府京都市)

否定的な事例
気比遺跡/気比銅鐸出土地(兵庫県豊岡市)


・古墳時代派
奈良県三輪山の磐座、福岡県沖ノ島の磐座、島根県大船山の石神など、自然石を神の座る場所や神そのものとしてまつる遺跡が各地で確認されている。これに反対する研究者はほぼおらず、定説化している。

奈良県三輪山の山ノ神遺跡。古墳時代の磐座遺跡として有名。


よって、自然石への信仰時期について全員が文句なく従うのは古墳時代前期です。
古事記に「磐座」という岩石信仰の記述が登場する300年前ということで、学術的にはそんなに古くは遡れていないのが現状です。

でも、自然の岩石というのは、言葉の通り「自然のまま」のため、自然に対する人の信仰というのは最も科学的に証明しにくい領域の一つだと思います。
考古学は岩石に限らず何でもそうですが、土の中から見つからない物はまだ「ない」ものとして判断するしかないので、これは逆に言えば「まだわからないロマンの部分」で後世の研究の楽しみに任せられて、それはそれでいいのではないでしょうかと思います。

このように、岩石信仰の始まりというテーマだけでも、将来的な研究の余地は大きく残されています。

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2 件のコメント:

  1. ペトログリフ(ペトログラフ)という書き方ではなく、ここではペトログリフだけで良いのではないでしょうか?もしくはペトログリフ・ペトログラフと書いたほうが適当と思います。

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    1. ご指摘ありがとうございます。ペトログリフ・ペトログラフの併記とさせていただきました。
      かっこ付けにしていた理由は、ペトログラフは日本限定で、ペトログリフに代わる用語として使用されていることへの皮肉でしたが、本来別の意味ですから確かに良くないですね。

      典拠は、と学会『トンデモ本の逆襲』(洋泉社 1996年)で、山本弘氏が吉田信啓氏の著書に向けて指摘した以下記述によります。

      「古代人が岩に刻んだ絵や記号のことを、欧米では一般的にペトログリフ(petroglyph)と呼んでいる。日本のものをそれと区別するためにペトログラフ(petrograph)と名付けたのはこの吉田氏である。『超古代、日本語が地球共通語だった!』(徳間書店・一九九一)には、『国際岩刻画学会連合(IFRAO)に登録し、欧米の関係学会でも日本のものについてはペトログラフを使うことが認知された』とある。『ペトログラフ』とは日本でしか通用しない用語なのだ。」(前掲書より)

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