2016年4月28日木曜日

『泊瀬神秘之事』(1581年)

解題

『泊瀬神秘之事』は、天理大学附属天理図書館が所蔵している古文献である。
 天正9年(1581年)の日付が記されているが、これが原本の制作年か、写本としての制作年かははっきりしない。著者の署名はなく不明。
 近年まで全文が公にされることはなかったが、横田隆志氏によりその全文の翻刻がなされており、詳細は氏の論文「天理大学附属天理図書館『泊瀬神秘之事』」(『大阪国文』第四十一号、2011年)を参照されたい。

 本書は、初瀬の地の地名の由来を項目別に紹介するという体裁をとっており、この中に与喜山の岩石信仰に関わる部分も記されている。横田氏論文に基づいて、重要部分を以下に紹介しよう。


■与喜山について

本書では、与喜山の別名が数多く紹介される。列挙する。
  • 大泊瀬山(太泊瀬山)・・・泊瀬山には2つあり、こちらの方が大きいので大泊瀬山と呼んだという。小さい方は、長谷寺が建つ方の小泊瀬山である。
  • 八色岡(ヤシホノ岡)・・・天照大神・春日大明神・八幡大菩薩の三神が影向した時、八色の雲が立ち上ったことからこの名があるという。あるいは、この山の麓に八海の相があることからこの名があるという説も併記している。
  • 与喜・・・『長谷寺縁起文』の由来通りの紹介。

 大泊瀬山を陽ノ嶺、小泊瀬山を陰ノ嶺とし、両山で金胎両部の曼荼羅とみなす記述もあるが、このような解釈は他書では書かれていないことは特筆しておきたい。

 また、「瀧 八色ノ岡ノ山ノコシニ有」という記述がある。
 「山の腰」ということから、これは北の谷にある「仙宮の滝」ではなく、与喜山東麓にある多羅尾滝のことを指すと考えて良いだろう。

■三玉石について

八色岡(与喜山)にあり、 天照大神・春日大明神・八幡大菩薩の三神が影向した石であり、その名を「カキヤウ」「クツカタ」「シヤウセキ」と記している。神石であり、宝石であると評している。
 三玉石の読み方を本文中に明記する文献としては最古のものか。
 「是ハツセノ神所第一ノ秘所也。可秘也」と、特に秘すべき事項として強調されている。 

 このように、本書は『縁起文』『密奏記』『験記』の長谷寺三大新縁起(平安末~鎌倉時代)から、『豊山玉石集』(江戸時代)の間を取り持つ文献である。
 初瀬の信仰世界が時代ごとで変わりゆく中で、該期の状態を把握できる貴重な記録だろう。全体的な印象としては、江戸時代以降の言説よりというよりは、まだ鎌倉時代の言説寄りの世界観で占められている印象がある。

 最後に1点。本書において、元伊勢伝承(倭姫命)をにおわせる記述は見られない。 時代が下って宝暦10年(1760年)成立の『豊山玉石集』には元伊勢伝承の原型らしき情報が散りばめられていることから、初瀬における磯城厳樫本宮の伝承成立はこの間かと類推される。
 初瀬の門前町の厳樫家が、自らを厳樫の姓で呼んだのが江戸時代後期と称しているのもこれと一致するようである。その盛り上がりの中で、本居宣長が初瀬を訪れたという流れになる。


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