2016年5月31日火曜日

石の本リスト2016 in 山口

山口県立山口図書館が良いページを作りました。

ニュースを読む「地球のかけら『石』の世界 ~『県の石』制定~」

石にまつわる本を紹介しています。

石の本にはアンテナを張っているつもりでしたが、特に気になるのがこの3冊。

  • 石 伝説と信仰     長山幹丸‖著     秋田文化出版     1994.1
  • とちぎ石ものがたり 人と石の文化史     栃木県立博物館‖編集     栃木県立博物館     2007.10
  • 日本の名随筆88 石         作品社     1990.2

3冊目の随筆集の目次が、版元の作品社のホームページにありました。

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【内容目次】
會津八一  一片の石
青柳瑞穂  石皿との出会
網野菊   石
石川淳   武田石翁
井伏鱒二  石臼の話
上村貞章  石の表情
宇佐美英治 殺生石
小川国夫  ロワール河畔 ジェルミニ・デ・プレ、アゼール・リドー、キュノー
尾崎方哉  石
折口信夫  石の信仰とさえの神と
唐木順三  石
北畠五鼎  子石と卵石
北畠五鼎  石眼
北畠雙耳  子石と卵石
北畠雙耳  石眼
草野心平  石
久門正雄  愛石志(抄)
小泉八雲  日本の庭(抄)
佐藤宗太郎 恐山の石
澁澤龍彦  石の夢
薄田泣菫  石を愛するもの
竹山道雄  竜安寺石庭
豊島與志雄 狸石 寓話
中勘助   独り碁
中沢けい  ひでちゃんの白い石
奈良本辰也 萩の武家屋敷の石垣 山口
長谷川四郎 石の中の魚
別所梅之助 石を積む
堀多恵子  リルケの墓で
堀口大學  石 [巻頭詩]
森銑三   石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭
矢内原伊作 石との対話(抄)
山本健吉  石位寺の石仏

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すごくおもしろそう。

私の今の興味関心を満たしそうなタイトルがずらりです。

郷土資料に類する本や、私家版にはまだまだ知らない世界が広がっています。



2016年5月26日木曜日

新・三大古代の巨石

マツコ有吉の怒り新党で巨石特集あったらしいですね。

新・三大古代の巨石

毎週見ていたのに、今回に限って見れなかったとは・・・・・・。

妻を洗脳する絶好のチャンスを逃すとは、残業なんてするもんじゃないな。

2016年5月14日土曜日

文献紹介 本間久英『石の魔力で夢をかなえる』(マガジンハウス、1996年)

 筆者の本間久英氏は、下の論文で先日紹介しました。

文献紹介 本間久英「埼玉県に言い伝えられている石(岩石)」(2002年)

 専門は地質学者という本間氏。
 上の論文も専門をやや飛び越えたものでしたが、今回紹介する『石の魔力で夢をかなえる』も、なかなかの攻めのタイトル。

 タイトルと筆者経歴から、石の魔力を理化学的な視点で解説してくれる新境地の本かと勝手に想像していました。
 2割ぐらいはその内容もありましたが、予想よりもパワーストーンの概説書でした。水晶など、宝石の記述に偏り気味です。いわゆる花崗岩など、ありふれた岩石はスルーされています。

 見出しの中にはチャクラやヒーリング、チャネリング、ダウジング、水晶占い、気功・・・と、1996年当時のブームの香りをふんだんに反映した内容。

 これはこれで貴重ではないでしょうか。
 というのも、最近、あまりこれらの言葉、聞かなくなったと思いませんか。
 数年前のスピリチュアルブームで、この業界の空気も完全に変わったと感じます。
 はやりものというものも、諸行無常です。

 本書を執筆するにあたって、本間氏はおそらく当時のはやりものを渉猟して、それに立脚したのだと思います。
 たとえばダイヤモンドは「理不尽な命令をはねのけ、自分が正しいと信じている方向へ進めるように持ち主を導く」(p50)と断言し、アマゾナイトは「冒険と夢の石」で「見果てぬ夢を追いかけて、その実現に努力する」(p67)効果があり、オブシディアン(黒曜石)は「常に戦う心を持ち続け、冒険を恐れない人」(p73)にふさわしいといいます。
 「~という」と伝聞形ですが、その根拠や出典がはっきり書かれていません。

 こう見るとトンデモ系と評価付けられかねないのですが、そこは本書の「はじめに」と「あとがき」を読むと、本文との温度差があり、味わい深いものがあります。
 本間氏は「わかって書いている」節があります。科学者としてこのような本を書いていいものか逡巡したことや、パワーストーンの効能は科学的な立証はないと断りを入れています。全体的に初心者向けの文章構成にしていることや、わざとらしいくらいにハウツー本を意識した手引き的要素が濃い。いずれも、わかってやっている感が漂います。
 本間氏の言葉を借りるならば「そのようなことがあっても不思議はないな――」(p164)というスタンスです。

 では、本間氏をそう思わせ、本書を書き上げた動機とは何なのか。
 それは周りの人に石にはまる知人や教え子が多く、彼らから聞く話に、石を持ってから体が治ったり、子供が生まれたり、探し人が分かったりしたという奇跡的なエピソードを複数聞いたことが大きいようです。
 それはもちろん、石とエピソードの因果関係の裏取はなく、また統計的な根拠にも欠けるものでしょう。本間氏もすべてを信じすぎではないかと思いますが、周りがそういう人たちで固められていたのなら、これも1つの心理として自然です。

 私は、周りにそういう人もいなく、自分自身にそういう体験がなかったので、まるで本間氏の世界が別世界です。 世界が違うのです。

 言うなれば、これは本間氏にとっての石の哲学書です。
 もう少し正確に言うなら、1996年の時代の香りを吸いすぎた、石の哲学かもしれません。
 この「世界の違い」を違和感を抱きながらも読み、理解するという作業は、哲学的です。私にとっての本書の楽しみ方とは、ここにあります。

 コラム「食べる石」は、石が漢方の世界では薬として食べられていたことを概覧するもの。このページは知識面で勉強になりました。
 こういう学問的内容もいきなり登場するのが本書の特徴。

2016年5月13日金曜日

書評 比田井克仁氏論文「東日本における磐座祭祀の淵源」を読んで

1、はじめに

 比田井克仁氏の論文「東日本における磐座祭祀の淵源」は、早稲田大学考古学会の発行する機関誌『古代』第118号(2005年3月刊行)に所収されています。

 磐座をテーマにした考古学の論文は、最近ではほとんど見なかっただけに驚きました。それだけに、この種の研究ジャンルでは極めて貴重な研究論文と言えます。私もさっそく読んでみたわけですが、読み進めていくと「初めて出会う解釈」が多く、少なからず当惑しました。
 もちろん賛同した部分も多くありました が、どうやら岩石祭祀に関わる基本的なところで考え方の相違があるようで、どうしても納得のいかない部分もありました。

そこで私なりに培ってき た岩石祭祀研究の立場から、比田井氏論文に触発されて色々と考えたことをまとまりもなく書きました。
 批判にもなっていないかもしれませんが、磐座・磐境に といったものに対してこういう風に考えている立場もあるんだよということを、この場を借りて少しでも表明できればと思います。


2016年5月8日日曜日

なぜ岩石祭祀と言わなくなったのですか?

 2001年~2015年の15年間、岩石祭祀学提唱地という名前のウェブサイトを続けていました。

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、岩石祭祀学という看板を外して、今このブログを書いています。

 これもお気づきの方がいるかもしれませんが、ここ5年ぐらい、岩石祭祀という言葉をあまり使わないようになり、そのかわり岩石信仰という言葉を使う機会が増えました。

 細かい自分語りなのですが、このことについて話そうと思います。

 そもそも、岩石祭祀学という学問を提唱するなんて言っていたのですが、たぶん本気(?)で思っていたのは最初の1~2年です。サイト開設当時18歳。若気の至りです。
 その後問題意識が変わり、岩石祭祀学などというあまりにも小さい学問をつくるなんて生産的でないと考えるようになりました。
 実際は、歴史学という既存のカテゴリーの中に置くべき"いち研究テーマ"が岩石祭祀なのですね。 こう思ったのも、もう10年以上前です。

 というわけで一言で言えば、最初に掲げた岩石祭祀学という大仰な看板をいつ外そうかという問題だけでした。結局、外せないままズルズル来たわけですけど。

 2013年に、福岡大学名誉教授の小田富士雄先生が「沖ノ島祭祀遺跡の再検討3」(『宗像・沖ノ島と関連遺跡群』研究報告Ⅲ)という論文を書いておられます。ここで抜き刷りのpdfが見られます。

 この中に磐座や巨岩信仰の研究史を振り返るページがあり、僭越ながら私の名前も出していただいているのですが、「吉川宗明氏は岩石祭祀学を提唱し、全国各地の事例を集成して大場分類をこえた分類の作成をすすめている」と書かれているのです。
 すでに本気で言っていない岩石祭祀学をまだ提唱していると思われている。まずい。

 また、2011年に『岩石を信仰していた日本人』という本を出したのですが、秋月俊也氏が『京都民俗』第29号(2012年)で書評を書いてくださっています。ここでも、岩石祭祀学という学問の名前を取り上げていただいていて、恥ずかしい。
 拙著の中では、1回も岩石祭祀学という名前は出していませんでしたが、やはりホームページのタイトルに堂々とついているのは、弁解しようもないなと。

 ということで、岩石祭祀学の看板は早く降ろそうと思っていたところ、たまたまプロバイダの変更によって2015年ホームページを閉鎖するタイミングになり、これで一度リセットしようと思ったのです。
 今のブログに名前が変わったのは、そういう理由です。

 岩石祭祀から岩石信仰に比重が変わったのは、シンプルに、祭祀という目に見えるものを研究材料とする考古学的な視点からシフトして、信仰という内面的なところまでを研究の視野に入れたいと思ったからです。
 祭祀は、まつるという目に見える行動で、信仰は、内面の心の部分で、目に見えない。
 考古学は前者を対象にできるが、後者は考古学的手法のみでは限界がある。私の力不足かもしれませんが、5年ぐらい考古学の中で信仰・祭祀研究と向き合った結果、そう思いました。
 そこで、心の内面を文字化した文献史学や、必ずしも形になっているとは限らないものを話者が口述する民俗学の出番というわけです。それだけでなく、哲学や心理学の領域にもわたるテーマが信仰です。

 私は祭祀という行動だけを知りたいのではなく、行動の裏にある心の動きを知りたいのです。
 岩石祭祀で終始するのではなく、岩石祭祀を通して岩石信仰を知りたい。
 拙著のタイトルを「岩石を信仰していた」にした理由は、そういう気持ちからです。

 以上、私の気持ちの細かな移り変わりトークでした。

2016年5月7日土曜日

磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?

 これはよく出る質問です。

 磐座(いわくら)という言葉が氾濫しています。
 ここ10年の話ではなく、私が調べた限りでは、ここ80年ぐらい、磐座という言葉が勘違いされてきた節があります。

 奈良県桜井市大神神社の宮司だった遠山正雄氏が「いはくらについて」という論文を1933年に発表しました(『皇学』第一巻第二号)。この論文で、遠山氏は磐境も神籬も磐城もすべて「いはくら(いわくら)」と呼ぶべきだという主張をしました。祭りや宗教に関わる聖なる石をすべて磐座とひっくるめてしまう風潮は、この辺りから始まったと思います。
 この主張に対しては後年、國學院大學教授の大場磐雄氏によってその主張の誤りが具体的な論証の末指摘され、乱暴な主張であったことがはっきりしています(「磐座・磐境などの考古学的考察」『考古学雑誌』32-8、1942年)。
 しかし遠山氏が神社界の大家で影響力の大きい人物だったこともあるのか、はたまた、こういった仔細を無視した主張はシンプルでわかりやすいのか、今でも様々なところで、この類の石をなんでも磐座と呼んでOKとしている現状があります。

 大場氏は前掲論文で、磐座などの言葉が濫用されていることを憂えていました。すでに70年以上も前に。
 この21世紀でも、その過ちをまた繰り返しているのです。

 だから、この機会に磐座の正しい語義を紹介しておきたいと思います。

2016年5月5日木曜日

Megalith Collection開催

Collectionのページを上に追加しました。

かっこよく、2016SS Japanese Megalith Collectionだなんて冠して、遊びました。
このページだけ全世界水準――
パリコレのパクリです。

メガコレ。

メガコレで検索したら、すでにメガネ男子のマンガがありました。この略称使えないですね。

石コレも岩コレもうーん。

01 勝菅の岩屋(滋賀県)

旧サイトからやっていた、岩石信仰・岩石祭祀を視覚で親しむコーナーの2016年SS版です。
岩石に関心のない人を、直感的にふりむかせたい衝動につきうごかされる時があります。
私が推す27か所です。見たみなさん、ぜひ布教してください。
ときどき差し替えようかな。


2016年5月3日火曜日

妙義山・妙義神社・中之嶽神社(群馬県富岡市)

所在地:群馬県富岡市妙義町妙義



妙義山


 妙義山
 日本三奇勝(耶馬溪・寒霞渓・妙義山)の一つ
 両毛三山(赤城山・榛名山・妙義山)の一つ

2016年5月2日月曜日

与喜山第11次調査(2016.5.2)

今回の調査目的

  • 藤本浩一氏が報告した「三の磐座」の場所の特定
  • 『豊山玉石集』が示す「去來諾尊 陽父 去來册尊 陰母 影向石」の踏査
  • 堝倉神社旧社地(鍋倉垣内)の踏査
  • 化粧坂の化粧石の踏査

結果

  • 「三の磐座」発見できず。
  • 『豊山玉石集』が示す位置にめぼしい岩石はなし。
  • 旧社地と思しき平坦地を確認。その背後にあったという鶯墳のおおよその位置も把握。
  • 化粧坂にて化粧石の候補を数ヶ所確認。特定はできず。

踏査ルート


三ツ石(長野県北佐久郡軽井沢町)

所在地:長野県北佐久郡軽井沢町追分三ツ石

三ツ石という地名が目に止まり、道路沿いの公民館の広場に岩石が集積していたので立ち寄った。



三ツ石

三ツ石

3つの岩石が集まっているようにも見えるが、これが三ツ石かどうかは不明である。

隣接する家の敷地などにも、これよりも大きい岩石が置かれていた。

いずれも、浅間山由来の火山岩だろう。

帰宅してから三ツ石の地名由来を軽く調べたが、今のところ、これはという情報に出会えていない。

おそらく軽井沢町が発行している自治体史など、地名を説明する郷土資料に出会えれば進展するものと思っている。

有力情報募集中です。