2016年5月2日月曜日

与喜山第11次調査(2016.5.2)

今回の調査目的

  • 藤本浩一氏が報告した「三の磐座」の場所の特定
  • 『豊山玉石集』が示す「去來諾尊 陽父 去來册尊 陰母 影向石」の踏査
  • 堝倉神社旧社地(鍋倉垣内)の踏査
  • 化粧坂の化粧石の踏査

結果

  • 「三の磐座」発見できず。
  • 『豊山玉石集』が示す位置にめぼしい岩石はなし。
  • 旧社地と思しき平坦地を確認。その背後にあったという鶯墳のおおよその位置も把握。
  • 化粧坂にて化粧石の候補を数ヶ所確認。特定はできず。

踏査ルート




所見

今回は「三の磐座」があると目星をつけたア~イの尾根と、ウの尾根を上から下までつぶさに観察し、特定を目標としたが、「三の磐座」の条件である狛犬つきの巨岩は発見できず、いよいよどこにあるのか見当もつかなくなった。まだどこか見落としがあるのか。

 夏になると虫や動物が活発になり、草は繁茂し、道なき道である与喜山は入りにくくなるので、今回が今年の登り納めとしたい。次回登るとしても12月以降だろう。

 朗報が1つある。
 「箱庭」の尾根から「北ののぞき」まで、どこのどなたかわからないが踏み跡を作ってくれており、この踏み跡をたどり「北ののぞき」までのアクセスが容易になった。
 杉髙講が祭祀設備を運搬したルートを忠実になぞっているのではないか。
 これまでは箱庭~北ののぞき間が20~30分かかっていたのが、早ければ15分前後で到達できるようになったのはありがたい。
 この道がなくならないように、私も探訪のたびにこの道を歩きたいと思う。

 ア.尾根上方の巨岩群

何度か見かけたことのある巨岩群である(2009年報告済)

この巨岩群の前を横切るように、細い踏み跡がある。
しかし、上写真の通り倒木によりここから先は不明瞭。

 少し下ると出会う別の巨岩群。テラス状。

イ.尾根下方の巨岩群

初見。巨岩群が群集し目を見張るが、祭祀設備は存在しない。

 巨岩群の頂部にこのような岩の集積がある。
東山腰の「重岩」のような下三輪の構造がここにもみられる。
与喜山の別称・三燈峰の「三」を思い出す。

 この巨岩の南側斜面に岩崖が落ち込んでいる。

ウ.この尾根で唯一印象的な巨岩群

この尾根は他の尾根に比べる尾根形成範囲が狭く、特筆すべき露岩も少ない。

エ.鍋倉垣内の踏査

場所は変わり、東山腰の鍋倉山と目される尾根を踏査。
『大和名所図会』によれば玉葛庵の南を鍋倉垣内といい、松本俊吉「堝倉神社」(式内社研究会編『式内社調査報告 第三巻 京畿内3』皇學館大學出版部、1982年)によれば、「廃與喜寺下から傳玉葛庵跡に通じた小径の中ほど南側」が堝倉神社旧社地という。それはこの辺りしか該当しない。
尾根先端部にこのような平坦面が形成されている。
社殿および境内地があったという堝倉神社の旧社地か。

 ここは長谷寺の全景も望むことができる好立地。

オ.鶯墳の所在推定地 および 『豊山玉石集』が示す「去來諾尊 陽父 去來册尊 陰母 影向石」の位置

松本俊吉氏によれば「小径の中ほど南側」が堝倉神社という。
エ地点が社殿地とすると、その背後が鶯墳でオ地点の辺りとなる。
上写真の通り藪がひどいが尾根状の高まりがある。
藪の周囲および、一部入れる所は藪内に入って観察したが、特筆すべき存在はなし。

 『豊山玉石集』は、去來諾尊と去來册尊の影向石の場所をこう記す。
「山の腰に在り玉葛庵の上川上より與喜社へ登る磴(いしさか)の右の方なり」
石段の右手は、すなわち堝倉神社の旧社地であり、鶯墳の辺りに位置する。
鶯墳は大倉姫命の伝墳墓であるため、去來諾尊・去來册尊とは直接関連しない。
前述の通り、藪内には影向石候補に挙げられる岩石を発見できなかった。
鶯墳および標石は破却されたというので、そのとき影向石もなくなった可能性がある。
あるいは『豊前玉石集』が左と右を書き間違えたかのどちらかである。
(左なら、重岩があるのでそれが影向石候補となる)

 カ.化粧坂に平滑面を持つ巨岩を確認

 化粧坂を登る途中、路傍に見える露岩。
苔むしているが、往時は平滑面があった可能性がある。
化粧直しをする鏡石として可能性が高い形状だ。

キ.化粧坂の峠部

 人工的に岩盤を掘削して峠道を造ったかのようである。
ここにも露岩があるが、平滑面は少ない。

聞き取り

与喜天満神社の表参道鳥居前に住む、戦前生まれのおばあさんからお話を伺った。
  • 与喜山に登ったことはあるが、昔のことで覚えていることは少ない。枯れ木を拾いに行き、それを燃料にしていた。
  • 与喜山の中で覚えている場所は「のぞき」と「チビンチビン谷」。
  • チビンチビン谷は、蛇でも転がり落ちていくような谷だから、近づくなと母親に言われていた。
  • チビンチビン谷は、「のぞき」と同じか違うかと聞いたところ、よく覚えておらず同じだったかもしれないとお答えになる。
  • 与喜天満神社境内の手水所から境内東を流れる沢は、昔(具体的年代不明)鉄砲水があり、それ以降水質が変化した。濁るようになり、飲み水として使っていたが使いにくくなった。また、最近、水量が減った気がする。山の水の流れが変わったのではないか。


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