インタビュー掲載(2024.2.7)

2017年1月31日火曜日

中沢けい「ひでちゃんの白い石」~『日本の名随筆 石』を読む その13~

――私はこの子から真っ白く透明感のある石をもらい、学校を変った後にも、大切に持っていた。

小学1年生の時、作者はひでちゃんというクラスメイトから石をもらった。
――男の子の名は、ひでちゃん以外は全部、忘れている。
石が、作者とひでちゃんをつなぐ記憶の装置。
――ただ白い石の記憶だけが、彼がいたんだと教えてくれる。
関連付け記憶だから忘れないというのはよくある話。
でも、なぜ石が主題になりうるのだろうか。
――石はしばらくの間、私の引き出しの中にあった。それからオルゴールの中に移った。そのあとは、金魚鉢の底に沈んでいた。鉢の中でも、その石だけは白く輝いていたが、いつの間にか緑の苔で被われてしまった。
作者にとっての、時期ごとの石の機能の移り変わり。
一人の人間の中での、年単位、月単位、日単位での石への心持ちの変遷。
いざこれが歴史研究になると、個人は捨象され、実体の掴めない"当時の人々"へと統合されていく。
歴史研究とは、これほどに危なっかしい。
――苔を洗い流し、また机の引き出しに戻した私は、何を思ったのか、緑色のサインペンで全部を塗りつぶしてしまった。

「白を緑に変えようとした心持ちは、自分のことながらさっぱり解らない」というが、「男の子が石をくれた理由を三年目か四年目かに気付いた」作者は、「石にではなくひでちゃんに、何かをしたかった」のだという。
自分のことながらさっぱり解らない自分の心理・行動は、石に限らず誰にでもあるだろう。
では、石の存在価値とは?
――ガラス玉のネックレスや夜店で買ってもらった指輪が乱雑に投げ込まれているオルゴールの中を探しても、白い、いや、緑色になってしまった石は見あたらなかった。

――石を見つけられないまま私は再びひでちゃんを忘れてしまった。

ネックレスや指輪は、記憶と共に今も残り、石を緑に塗ったサインペンですら、引き出しの中に残っていた。
石だけが、なくなってしまった。
なぜ石だけがあちらこちらに移動し、作者の意図と逆の結末に至るのだろうか。
どうでもいい時はあり、求めたい時にはないのである。

石が記憶装置であるなら、石がなくなった時からひでちゃんのことも忘れ、この話も書けなかっただろうに、それは書けている。
どうやら石は単なる記憶装置でもないらしい。

自分事だが、私の父が亡くなる前日に偶々この話を読んだことを、今も昨日のように思い出す。
関連付け記憶の1つなのだと思うが、これと何か違うのか。

2017年1月19日木曜日

豊島与志雄「狸石」~『日本の名随筆 石』を読む その12~

「狸石」は、小説家の豊島与志雄による作品。

創作であるが、豊島与志雄という紛れもなく一人の人間が石に抱いた感情の発露である。
作者の意図があっても、読み手によって受け取る反応は違うはず。私も私のアンテナに反応したところをメモしておきたい。

狸石は、戦後間もなく焼け跡の町の片隅に立つ石である。
石の格好に特に目立つ点はなく、通行人で注意を向ける人はほとんどいなかったが、見様によっては狸が空を仰いでいるような風体に見えた。

狸石の周りは丸石で囲われていた。

ある夜、青白い火が灯り、亡くなったとある男が狸石の傍に姿を現す。
男は狸石を溺愛していたようで、狸石に声をかける。
――ほんとは、お前を買ひ取つて家の庭に据ゑたかつたんだ。

――お前も、空襲に堪へて、よくここにじつとしてゐてくれたね。

――無事にここに立つてゐてくれてること、つまりお前の存在が、それだけが、僕には大切なんだ。

そこに、もう一つ青白い火が現われ、死人のような感じの女が現われた。

男と女は目を合わせなかったが、男は狸石の肩にもたれ、女は狸石の根元にしゃがみ、狸石を挟んで会話をし始めた。
――あなたはやつぱり、あたしよりこの石の方を愛していらつしやるのね。

――この狸石に聞いてごらんなさい。

――この石のところまで逃げて来て、あなたが追つかけていらつしやるのを待ちました。けれど、いくら待つても、あなたは追つていらつしやいませんでした。
女は、最後に一、二、三・・・と十を数えはじめ、それを五周繰り返しても男が追いかけてこなかったので、あきらめて立ち去ったのだと男に恨み言を述べる。
男も負けじと言い訳を述べる。
――いや、僕は追つかけて来たんだ。

――お前は早すぎたし、僕が遅すぎたんだ。然し、この石はいつまでも待つてゐてくれた。

――ねえ狸公、お前は待つてゐてくれるね。千回でも万回でも十を数へてくれるね。
 狸石が突然口を開く。
――十を数へるなんて、そんなばかなこと、わしはしないね。

男と女は黙り、月が雲がかり、青白い火がどろどろと燃えたと思うと、二人の姿は消え失せ、狸石だけが立っていた。

その数日後、狸石はだれかにどこかへ撤去され、整地された。やがて家を建てるために。
小説の最後は次の文でしめられる。
――狸石ももう人目にふれず、忘れられてしまふことだらう。

2017年1月16日月曜日

澁澤龍彦「石の夢」~『日本の名随筆 石』を読む その11~

――自然が石の表面に意味のある形象を描くわけはないので、これを意味のある形象として捉えるのは、もっぱら人間の想像力、いわば「類推の魔」であろう。

澁澤龍彦は、極めて理性的である。
批判主義者好みの出だしであるが、ここからどう話を展開するのか。
――あたかもロールシャッハ・テストの図形が、ひとたび私たちの目に「花」として知覚されるや、もうそれ以後、どうしても「花」以外のものにはみえなくなってしまうようなものだ。

でも、これは否定的な意味合いで書かれていない。次にはこう来る。
――こうして、無意味な形象が夢の世界の扉をひらく。

昨今の、様々な人の石に対する見方や意見や仮説を見るかぎり、私にはまったく思いつかない、時には相容れないような価値観に出会うことはしばしばである。
時代のトレンドによって形は変われど、昔も今も石への想像力は衰えていないと感じる。

澁澤は、ローマ帝国時代のプリニウス『博物誌』の石の記述から、中世の学術書や詩にいたるまで、数々の「石の夢」を紹介していく。
――当時の自然哲学的な考え方によれば、石や鉱物は生きているのであり、地下で成長したり、病気になったり、老衰して死んだりするのである。
――パラケルススによれば、長く土中に埋もれていた異教徒の古銭は、だんだんと石に変化してしまう。 

澁澤はこれを、価値のある金属が土中という"適切ではない環境"に置かれることで、"石"という"価値のないもの"に悪化したと解釈している。
「異教徒の古銭」という立ち位置が、他の解釈も夢想させるあたり、石の夢は果てしない。
「異教徒の古銭」に、価値はあるのだろうか。変化した「石」は、悪化ではなく、浄化かもしれない。あくまでも敵にとっては。

ここから、澁澤は数々の石の夢想家の例を著述する。



2017年1月15日日曜日

小黒田谷不動尊(三重県津市)


三重県津市美杉町

小黒田谷不動尊
情報収集不足につき詳細は不明。

小黒田谷不動尊
かつては石壇の上に祠があったらしい。
今は撤去されているが、祠の裏の露岩が剥き出しになっている。

小黒田谷不動尊
隣接して滝があり、行場としての清浄性を保っている。

2017年1月12日木曜日

2017年1月3日火曜日

向井一雄『よみがえる古代山城』を岩石信仰の見地から読む

古代山城研究会代表の向井一雄氏の新刊
『よみがえる古代山城: 国際戦争と防衛ライン』(歴史文化ライブラリー440、吉川弘文館、2017年)
に、神籠石を巡る話が取り上げられていたのでお知らせします。

全体を通しての所感はAmazonレビューに書いたのでそちらをご参照ください。

http://amzn.asia/2GAnDkE

この内のp28-p35が「神籠石論争顛末記」と題され、神籠石が「イワクラ(磐座)」かどうかについて頁を割いているので、磐座に関心のある方は一読をお薦めします。

交合石、皇后石、皮籠石など、様々な表記をされる「こうご」「かわご」石は、その名前の意味、性格を巡って、岩石信仰の1つの謎としていまだ横たわっています。

僅かですが、神籠石が何かであるかについて、向井氏からヒントとなる考えも若干踏みこんで記されています。
今後、このテーマに対してさらに本格的な論考が発表されることを待ちたいと思います。

個人的には、すべてが「磐座」の一語に収斂されるような存在なのかを疑問視しています。
そうであるなら、そもそも「こうご」「かわご」で一括されるグループとして生まれずに、磐座の語でまとめられていればいいからです。

機能論的な角度だけからではなく、発生当時の歴史的背景の中で論じられると、それは他の岩石信仰の歴史解明にも寄与するのではないかと、期待しています。

新年のご挨拶

昨年はブログを再開し、大小ありますが、100件に近い記事を投稿することができました。

まだまだ自分自身の知的好奇心が失われていないことを再確認できた年でした。

心機一転、気合を入れすぎず、虚心に岩石信仰を見続けていきたいと思います。