インタビュー掲載(2024.2.7)

2017年5月28日日曜日

石の履歴 ~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その1~

作者の徳井いつこ氏はアメリカ在住のフリーライターで、アメリカ文化・インディアン文化の著作を手掛けている。

その徳井氏が、古今東西の「石ぐるい」たちを取り上げた石の本が『ミステリーストーン』(筑摩書房、1997年)である。
スピリチュアルや超常現象の本ではない。

読後の感想としては、石の本というより、石に魅せられた人の物語集を読んだかのようである。

石を目の前にした人の価値観の広さがそこにあった。
石に関心を持たない常人には、文章の意味は分かるが、理解の及ばない世界である。

石は、人間研究と言っていいのではないか。
私でさえも、視野を広げてもらったような気がする。

そのような感慨を抱きながら、本書を紹介していきたい。

――石ころの何が私を惹きつけていたのかはわからない。

まずは、作者自身の「石ぐるい」の経歴から話は始まる。

小学生の時、クッキーの空き缶に自分の色々なコレクションを入れていて、その中にたくさんの石ころが詰まっていたそうだ。

――おそらく子どもの私は石をさわりながら世界の手触りをたしかめていたのだ。(中略)世界を所有しているように感じていたのかもしれない。

石を通して、世界を知るということ。
世界の知り方の具体例として、下記を思い出している。

  • 石を集めている感覚は、カラスが光りものを巣に集めるような感覚に通じる。
  • 真夏に日陰の石に触れると、冷たさを感じられる。
  • 水につけると色が変わる。
  • 石はひとつとして同じものがなく、ロールシャッハテストの絵のようだ。
  • おままごとの道具に使っても、その見立てがどれだけ勝手気ままでも黙ってつきあってくれる。
  • 投げても蹴飛ばしても文句を言わない。

その極致は、この石ころたちは、缶ごと、どこに行ってしまったか作者自身覚えていないということ。
石はどれだけ文句を言わないのか。世界を所有できているのかということである。


いったん石を忘れた作者だったが、大人になり「石がふたたび私の視野のなかに入ってきた」。

鼻煙壺(びえんこ)という、18世紀のフランスで流行した嗅ぎタバコの小道具を店頭で見かけたのだという。
壺の材質は金属からガラス・磁器・象牙など千差万別だったが、ほとんどは人の手で加工された素材だった。

その中に、電気石の結晶を切り出した、石の自然の模様を素材にした壺があり、作者の言葉を借りれば「ひとり超然とした美しさで立っていた」。

この石を見て、作者が次に感じたのは、人のドラマだった。

――これを所持していたのはどんな男だったのだろう

石を見ながら感じるのは、石そのものだけではなく、まさに「石の履歴」である。
石を美しいと感じると同時に、石を美しいと感じて、それを壺に仕上げた人間、そしてそれを所有した人間について、思いをはせるのである。

――もしかすると、私は石そのものではない何かに惹かれはじめていたのだろうか。


2017年5月26日金曜日

大岩神社(京都府福知山市)



京都府福知山市大江町毛原

毛原地区の氏神である。

元不甲道(もとふこうどう。元普甲道)という、丹波の大江から丹後の宮津に通じる古道があり、大江山越えをする際の主要道として、古くより数多の人の往来があったとされる。

単なる街道としてだけではなく、中世には普甲寺という一大山岳仏教寺院が栄え、その参詣道としても盛んに利用された。
現在、その場所は不明ながら、普甲寺の近くには延喜式内社の不甲神社もあったと推測されている。

その元不甲道の途上、毛原峠の南に鎮座するのが大岩神社である。
社号の由来となった岩塊が燈籠・鳥居と共にまつられており、「岩神さん」と呼ばれている。

周辺はよく擦り減った石畳の道が残っており、鬱蒼とした峠道の雰囲気とあいまって、中近世当時とほぼ変わらないであろう空気感を今に伝えている。

大岩神社(毛原)


大岩神社(毛原)

2017年5月22日月曜日

岩石にまつわる随筆・エッセイ

『日本の名随筆 石』を読了し、次の宿主を探しに行きます。

ブログ「石と在る」
http://makabekt.cocolog-nifty.com/makabekt/

10年以上前から知っているブログです。

2008年を最後に更新が止まってしまいましたが、今頃になって、とうとうこのブログ主の方の関心事と響き合うことができた気がします。

このブログで取り上げられている文献量を一瞥するだけで、境地の高さを感じとることができます。

今更ながら、教えを乞いたいものです。

「石と在る」で紹介された数々の文献を手掛かりに、岩石の哲学をさらに深めていきたいと思います。

題名だけ見て引かれたのは、まず下記の文献。
紹介されている中の、僅か一部です。


石の神秘力  別冊歴史読本 特別増刊 野村敏晴
石の神秘力  別冊歴史読本 特別増刊
野村敏晴
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ミステリーストーン (ちくまプリマーブックス) 徳井 いつこ
ミステリーストーン (ちくまプリマーブックス)
徳井 いつこ
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悠久の時の彼方に誕生した石たちは、遥かに送れて地球に登場した人類を魅了し続けてきた。人間は石とどのようにつき合ってきたのか。想いがけない石たちの素顔と人間の想像力があやなす、石の博物誌。

石のはなし 白水 晴雄
石のはなし
白水 晴雄
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石の世界は、探ってみると思いのほか広大で多様です。その中で、最もふつうの石に焦点をあて、野外の自然景観をつくっている石、建築石材、庭園の庭石を中心に、人工の石、化石、宇宙の石なども加えて編まれた石の話。

石ころの話 (地人選書 17) R.V.ディートリック
石ころの話 (地人選書 17)
R.V.ディートリック
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機関誌「高梁川」38号 特集「石」
http://takahashiryuiki.sakura.ne.jp/program/takahashigawa/
-葬制と石     佐藤米司     p.40
-石の文化     岸加四郎     p.50
-阿智神社と天津磐境     小野一臣     p.80
-天王山の磐座・磐境     武遣臣夫     p.84
-石の妖怪     水木しげる     p.104
-石をめぐる故事と諺     青山忠一     p.126
-石の子     宇佐見英治     p.128
-石の連想     壺阪輝代     p.132
-石とレンガ     岡田幸二     p.152
-石には季節がない     寺田武弘     p.170

石の世界は狭そうに見えて、広い。

時間を作って、1冊ずつ読んでいきたいと思います。
ブログは私にとって備忘録代わりであり、定期的に岩石を勉強するための仕組みでもあります。

個人的には、海外視点や後天的な環境によるものを除外し、先天的ないし汎世界的な視点で、岩石へまなざしを向けた本に出会いたいです。

2017年5月16日火曜日

生駒山寶山寺の般若窟(奈良県生駒市)


奈良県生駒市門前町1-1

生駒聖天

通称、生駒聖天として知られる生駒山寶山寺は、伊勢国出身の湛海律師の開山によって、貞享5年(1688年)に初めて本堂が建立された。

ここに寺を開山した理由は、寺伝によると本堂裏にある朝日嶽の般若窟にあると伝えられる。

生駒聖天

般若窟は、由緒書によれば「中生代、古瀬内火山に属する一火山の噴火口類」とされる自然の岩屋である。

この窟は、役行者が修行して大般若経を納めたと伝えられる聖跡で、また、若かりし頃の弘法大師が修行したという伝承も付帯していたことから、それを聞いた湛海律師が「ここで弘法大師と共に弥勒菩薩下生の時を待つ」と語り、寺を開いたと伝えられる。

実際のところは不明であるが、湛海律師が入山した時、般若窟の頂上で古い五輪塔がすでにあるのを見たという。
般若窟の平坦地でも、弘安5年(1282年)の銘が入った石塔が発見されている。

また、般若窟に以前からまつられていたとされる神として、岩船明神と弁財天がいる。
湛海律師が入山まもなく、まだ般若窟を見つけていない頃、深夜に怪物に抱きしめられ、後日、その怪物に似た「ごつごつとした岩」を般若窟の岩船明神社で見かけた。
さらに、ある弟子の顔が弁財天に見えた時があり、麓にあった弁財天社が「お山に帰してほしい」と言い出したため、元の場所といわれる般若窟に戻したのだといういわれがある。

生駒聖天

般若窟は上写真の通り、立入禁止となっているが、窟の奥に見えるのが岩船明神社と弁財天社である。

このように、伝承上であるが寺院開山以前からの神々や聖跡を宿す岩窟であることがわかる。

<参考文献>
『生駒山寶山寺 寶山寺資料』 寺務所にて購入

2017年5月7日日曜日

矢内原伊作「石との対話」 ~『日本の名随筆 石』を読む その15~

――石の家に住まぬ日本人は、それだけかえって石に特別の思いをよせ、石によってさまざまな感情を養ってきたのである。

古墳の石室に葬られた被葬者は、石の家に住んでいるとみなされるだろうか。
石の家に住む者が人ならざるものを示すとするなら、被葬者が祖霊となり、磐座に宿るものが神となるのもうなずける。
――石をたてることは自然に対して抵抗することである。

『作庭記』の、まず石をたてることが肝要とする旨を思い出す。
作庭という行為は自然のままを是とせず、人から見た自然の創造となる。
自然への抵抗を恐れるから、禁忌が多いのだろうか。
こう考えていくと、「作庭」と「祭祀」の境界線がないような気がする。
――われわれが一つの石を見て感動するのは、その自然の造形の背後にある地水火風の力を感じるからである。

たとえば、石が川水の浸食で丸い石となるところに水の力を感じ、 長年の風化で凹凸を生じた岩崖に風の力を感じる。
山頂の地表面に露出した岩盤を見て、その地中深くにまで根を張る山の基盤を想像することもあるだろう。
石そのものを見てどうこうというだけではなく、石が通ってきたストーリーを想像することで、石に自然の偉大な力が帯びてくる。
――石という呪術的信仰の対象を美意識の対象に転ずることによって、竜安寺(京都)の石庭をはじめ、多くのみごとな庭園ができたのだった。(中略)造形の美ではなく、実は自然の霊力といったものではないだろうか。

神聖なものと美しいものの違い(差)は、岩石に限らない大きなテーマである。
信仰の対象を美意識の対象に転ずる、とは簡単に言うが、どのような心の転化なのだろうか?
信仰には信仰対象の尊重からしばしば祭祀行為の中で自己犠牲が伴うが、美しさの認定は必ずしもそうではなく、自己本位的な価値判断ですむ。鑑賞するだけでいいのだから。
祭祀行為の有無がこの二者の区別と見ることもできるし、祭祀行為がなくなり観賞の対象となる中で、信仰対象主体の考え方から、人間主体の考え方に移行している心の移り変わりも感じとれる。
――かたくつめたい石はきびしく声明を拒否している。しかし、それだけにかえって、無言の石は、動物や植物以上に自然の力を強く感じさせるのである。

以前、「墓石や石のことわざも岩石信仰なんですか?」で石のことわざに触れたが、石を冷徹で正規のないものと表す言葉があることは確かである。
一方で、それだけでないことわざがあるのも指摘したとおりであり、石に対する人々のイメージが一面的ではなく多面的であることを示している。
石の哲学も、作者それぞれのイメージから発露されるものであり、多くの哲学の渉猟が必要である。
――人類がはじめてつくったもの、それはいうまでもなく石器である。石は自然に抵抗する自然だとわたしはいったが、その石を用いることによって人類は自然に抵抗し、さらには自然を支配することを知ったのだった。

宇佐美英治「殺生石」でも同様のことが語られていた。
人類がはじめてつくったものが石器とは限らないが・・・。
考古学では、石が無機物で残りやすいから資料として目立つということは半ば共通認識なので、土になってしまった有機物に対するまなざしは必要だ。
当時の人々にとって言語化されていない理屈があっただろうから、それを言語化することが、歴史に対する正しい研究法なのかもよく考えないといけない。

2017年5月4日木曜日

ひかる石(三重県いなべ市北勢町)


三重県いなべ市北勢町皷

皷地区の薬師堂にケヤキの木がそびえている。

光る石

ケヤキの幹に、石が刺さっているのがわかるだろうか。

光る石

光る石

光りかがやくことから「ひかる石」の名がある。

かつて、ある庄屋がこの石を自宅の庭に移したが、日を追うごとに光が弱まり、ある夜、「さじべえ(薬師堂のこと)行きたい」と泣き声を上げたことから、驚いた庄屋は元の場所に戻したそうである。

その後、ひかる石は泣き声を止めて、再び光を戻したそうだ。

<参考文献>
員弁郡国語サークル編 『国民教育シリーズ32 いなべの民話』 員弁郡教職員組合 1985年

土生神社の三つ石(三重県いなべ市大安町)


三重県いなべ市大安町梅戸字三ッ石

土生神社の三つ石
土生神社境内。注連縄が巻かれた三体の石が参道の両脇に見える。

土生神社の三つ石

土生神社の三つ石

土生神社の三つ石

当地を梅戸井といい、かつて三つの村があった。

この三つの村の堺にあったとされるのがこの石で、「三郷の堺石」とも呼ばれていた。

願い事を叶えてくれる石として、地元の人々がよくお参りした。
石を揺らすと雨を降らせたり、オコリなどの病気を治したりと万能の霊石だったようだ。

このような民話がある。

ある時、梅さんと竹さんという二人の村人が、この石を自分たちだけのものにしようとして、一番軽そうな石を掘り出そうとした。
しかし、掘れども掘れども終わりは見えず、やがて二人は石化して亡くなったという祟り伝説を持っている。

この石の存在から、梅戸井郷の一称として三石郷の名がある。

<参考文献>
大安町教育委員会編 『大安町史 第1巻』 大安町 1986年
員弁郡国語サークル編 『国民教育シリーズ32 いなべの民話』 員弁郡教職員組合 1985年

2017年5月3日水曜日

しゃごさんの石/しゃごんさんの石(三重県員弁郡東員町)


三重県員弁郡東員町大木字南条屋敷

個人宅敷地内に現存。
所有者の方に許可を得て拝見した。

しゃごさん


しゃごさん

文化・文政年間(1804年~1830年)に著された松宮周節『伊勢輯雑記』に、神石としてこの石の記述がある。

元はこの地に赤口神社(社護神社)があり、久那斗神を祭神としていた(現在は大木神社に合祀)。

大木の八幡神社(これも現在は大木神社に合祀)の御旅所で、歳迎えの宮とも呼んだ。

御神体は金の鳥で、この金鳥のおかげで当地は雷が落ちても火災に見舞われることはなかったという。
(なお、当地の近辺には秋葉姓を名乗る方が多く、火伏の秋葉信仰との関連性が強い)

その金鳥が降りた石といい、石自体も神聖視された。
石に触ると「ネブト」(腫物)ができ、足を乗せると足に病が出て歩けなくなると信じられた。

しゃごさんの石(『いなべの民話』によれば しゃごんさんの石)として、東員町を代表する民話の1つとして各種郷土資料にも収録されている。

とある旅の男がこの石に腰を掛け、隣に咲いていた山つつじの枝を折って自分のわらじをはらい、そのわらじを石の上に置いた。
一休みしてから歩き始めたものの、歩くごとに足が重くなり、しびれるような痛みがさしてきた。
その時、「先ほどの石まで戻れ」とどこからか声が聞こえ、石まで戻ると、石の上にはわらじの土がくっついていて、山つつじの枝も石の周りに散らばっていた。
これが原因と恥じ入り、石の上の土を掃除して、枝も石の周りの土にさしてお詫びをしたところ、足の痛みは引いていった。
のちに、旅の男はこの時の声の主に感謝の気持ちとして、鈴鹿の山裾の村に祠をまつったという。

しゃごさんの名は、赤口神・社護神すなわちシャグジとしての石神に通じ、シャグジは境界の神と目されるが、詳細は不明である。

当地を案内していただいた地元の方によれば、本石と同じような青石を御神体に用いる神社が近辺に多いとのことである。


<参考文献>

員弁郡国語サークル編 『国民教育シリーズ32 いなべの民話』 員弁郡教職員組合 1985年
東員町史編さん委員会編 『東員町史 下巻』 東員町教育委員会 1989年

ゆうれい石(三重県四日市市)


三重県四日市市西坂部町御館

個人宅敷地内に現存。
所有者の方に許可を得て拝見した。

ゆうれい石

ゆうれい石

ゆうれい石

ゆうれい石

この場所を「そうれん墓地」とも呼ぶ。

高さ50㎝程の、手で持って運べるような大きさの、何の変哲もない石である。

が、この石を家に持って帰ると、寝ている時に女中装束の女のゆうれいが現われるという。
きまって、畳をほうきで掃くようなしぐさを見せるという。

真偽を確かめるため、複数の人がこの石を持ち帰ったが、晩になって例外なくゆうれいが枕元に立ったため、皆おびえてその石を元の場所に戻したという逸話も付帯している。

『みえの民話』の考察によれば、菰野の千種城主の愛姫がこの地で家臣に殺され、その怨念が宿った石ではないかとされている。
根拠として、遍照院の名僧が供養で読経したところ、千種家の紋である笹龍胆が石の上にボオッと浮かんだと語ったとある。

このように聞くと、忌避される存在のような石だが、次のような話もある。

所有者の方の話によると、この石は足の病にご利益があると信じる人がいて、かつては願掛けに来る方もいたという(なお、近くには日本武尊の足洗池がある。関連性は不明)。
今はもう、ゆうれい石を訪れる人も絶えて久しいとのこと。

数十年後には、ゆうれい石の存在も風前の灯かもしれない。

<参考文献>
四日市市三重長寿会 編・発行 『みえの民話』 1977年