2018年4月26日木曜日

諏訪七石(長野県諏訪市・茅野市)

諏訪七石について

1238年(嘉禎4年)『諏訪上社物忌令之事』に、七つの石の存在が記述されている。
これを諏訪七石という。
  1. 硯石
  2. 沓石
  3. 蛙石(甲石)
  4. 小袋石
  5. 亀石
  6. 兒玉石
  7. 御座石

今は廃絶している諏訪大社の神事の1つに、湛神事と呼ばれるものがある。
3月の大御立座神事の時、神使が「湛(たたえ)」と呼ばれる場所を巡り、そこで神降ろしを行う。その時、鉾の先端に鉄鐸を取り付けてそれを鳴らすことで、祭祀を行う。そして11月の御立座神事の時、その「湛」で降ろした神を再び送り上げるという。

この「湛」は、木であったり石であったりが選ばれていたらしいが、その石が諏訪七石だったといわれる。信憑性については不確かな部分もあるが、もしそうだとするならば、これら七石は神を迎え、そして送るという磐座の機能を果たしていた場所だと解釈することができる。
現在はいずれの石でもそのような祭祀儀礼は行なわれていないので、今は磐座跡・元磐座というのが正しい表現だろう。

硯石 -諏訪七石その1-

諏訪大社上社本宮の境内にある。しかし、石の近くまで行くことはできず、四脚門(四足門)と呼ばれる場所から遥拝する。



諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

神社が掲げる説明板によれば、石の上面は窪んでおり、ここに溜まる水は枯れることがないという。
同じ説明板に、鎌倉時代の神楽歌において「 明神は 石の御座所に おりたまふ おりたまふ みすふきあげの 風のすすみに」と読まれている歌があるが、ここに登場する石が硯石に当てられている。

一方、硯石はもともと現在地とは違う場所にあったという説がある。
また、江戸時代の文献や絵図に硯石の存在が抜け落ちていることが度々あり、神楽歌に登場するような「石の御座所」だったかどうかも検討の余地がある(八ヶ岳原人氏「『硯石』諏訪大社本宮の磐座《諏訪七石》」)。

このような移動説のほか、元来は別の岩石を硯石と呼んだ可能性もある。

上社本宮には神体山として神聖視されている守屋山(標高:西峰=1650m、東峰=1631m)があるが、現在の上社本宮拝殿の拝み方向は、山の方を向いていない。「神居」と書かれた禁足の森の方角に向かっている。

山を神体とする神社の多くは、社殿の背後に山を持ってきて拝み方向が「社殿→神体山」と重なることが多い。
一方、四脚門から硯石を拝むと、その延長線上には神体山が当たる。このことから、当初の祭祀方向は「四脚門-硯石-神体山」ラインであり、それがある頃から「拝殿-神居」ラインに変わったのだと考えられている。
拝殿の裏、神居の中にはかつて「お鉄塔」と呼ばれる仏塔があり、これは弘法大師が建てたものという伝えがあった。おそらく、神仏習合の時代にこの「お鉄塔」を拝む向きに拝殿を設けたのだと推測される。
社域と山の境にあるという点では、硯石は磐座としての立地にはふさわしい。

なお、守屋山の東峰上には守屋神社奥宮が鎮座し、その周辺には露岩が点在している。


沓石 -諏訪七石その2-

上社本宮境内、「一の御柱」の後ろにある。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

「沓石」には「お沓石」「御沓石」という表記もある。
石垣と半分同化しているような現状だが、諏訪明神の沓(くつ)の跡が残る石、または諏訪明神の神馬の足跡が残る石などと伝えられている。

沓石の背後には「天の逆鉾」とよばれる鉾が突き立っている。
江戸時代に国学者が突き立てたもので、刻字もあるとのこと。
この鉾の上面めがけて小石を投げて一度で乗せることができれば大吉、願い事がかなうといわれている。


蛙石(甲石) -諏訪七石その3-

『諏訪上社物忌令之事』には「甲石」という名前で登場する。

蛙石については1つに特定されておらず、候補には諸説ある。

(1)上社本宮拝殿の奥、「神居」の中にあるといわれる大石
(2)上社本宮境内の「蓮池」の中
(3)諏訪市湖南大熊に存在する「蛙石」

(1)については禁足地で内部を見られないため、そんな大石が存在するのか自体が詳細不明。

(2)の蓮池は、池の数ヶ所に石が何個か顔を出しているが、この内のどれか、ようとしてしれない。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

それとも、池の底に沈んでいるのだろうか。
(池は浅いので底が見えるが、それらしき石はなし)。現存しないという可能性もある。

(3)の蛙石は現存特定可能。上社本宮から歩いて行ける距離。



諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

諏訪の高島城を築く際、どこかから持ってきたのがこの石という。


小袋石 -諏訪七石その4-

「おふくろいし」と読む。諏訪七石のうち最も大きな石になる。
上社本宮と上社前宮の間にある道から、山の方へ歩いていくとたどりつく。



諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

太古、小袋石の辺りまで諏訪湖の水位は高かったと言い伝えられ、この石で舟をつないでいたということから「舟つなぎ石」の別称も持つ。
七石の中で最も巨大という外見的要素にくわえ、石をつたって小さい沢があり、まつられる要素のいくつかをそろえている。

小袋石の直下には石祠が散在し、その中でも最も大きな祠を磯並社という。


亀石 -諏訪七石その5-


元来、どこにあった場所かわからないが、現在は高島城内にある。



諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

茅野市の安国寺・大河原・西茅野あたりを流れる宮川の辺りに千野川明神がまつられていたといい、そこに亀石も元々あったとのこと。
それがある時洪水で流され、そのあと高島城の庭に置かれていたのが、明治の廃藩置県に伴って一般人に売却されたという流浪の石である。

長らくその存在を目にすることはできなかったが、2007年、所有者の厚意により再び高島城に移され、現在はその姿を高島城で見ることができる。
水をかけると亀が生きているようになり願いがかなうという尾ひれまでつく。

元来千野川明神にまつられていたという亀石と同一個体かどうかは不明だが、とりあえず諏訪七石の亀石と呼ばれるものの唯一の候補となっている。

兒玉石 -諏訪七石その6-


諏訪市湯の脇に鎮座する兒玉石神社に比定されている。付近は道が狭く急斜面。一歩道を間違うと車の方向転換も難なので注意。



境内には5個の巨石が転がっており、これが諏訪七石の兒玉石に相当するものと考えられている。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

5個の巨石の内、社殿の手前にある2個の巨石をまとめて「いぼ石」と呼び、特に神聖視されている。
神が諏訪湖から引き上げてここに置いた石といわれており、石のくぼみにある水は乾くことがなく、この水をいぼに付けたら必ず治癒するといいつたえられている。探訪時は水が溜まっていなかった。


御座石 -諏訪七石その7-


候補は2ヶ所ある。

(1)上社境内
(2)茅野市本町に鎮座の御座石神社境内

(1)の上社境内は『諏訪上社物忌令之事』で示されている場所だが、現在特定ができず、どれのことなのかさっぱりという状況だ。

他の多くの史料では、諏訪七石の御座石を(2)の御座石神社に当てている。



境内には3個の石がある。
1つ目は、神社入口脇にある御履石と呼ばれる石。
祭神の高志沼河姫命がここで靴を履き替えた石という。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

2つ目は、社殿手前にある石。
この石に名称は付いていないようだが、高志沼河姫命がこの石に腰掛け休んだといわれ、また、命が乗っていた鹿の足跡が残るともいう。確かに、石の表面には足跡らしき窪みが見られる。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

4月27日のどぶろく祭りの時には、この石に幣帛が捧げられる。
神への捧げものである幣帛があるということは、祭祀時にこの石に神が顕現しているという構図になります。単なる神跡にとどまらず、現在も磐座要素が見られる。

3つ目は、社殿横にある穂掛石。
この石は元々はこの近くの字・吉田という場所の田んぼ内にあったといい、穂を掛けていたとことからこの名があるという。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

さて、諏訪七石の御座石とは言えど、境内にあるこの3つの石の内、どれを指すことになるのだろうか。
3つ目の穂掛石は吉田から移設したものなので除くとして、1つ目か2つ目か。それとも、現存しないのか。

私見では、1つ目は御履石という名前が付いている点、2つ目は名前が付いていない石である点、2つ目の石は神が腰掛け休んでいるという点などから綜合して、2つ目の石が御座石にふさわしいのではないかと感じた。

ちなみに、穂掛石は「矢ヶ崎村七石」の1つだそうで、他にもたくさん名の付いた石がある。「七石」で括る文化の根強さを今に伝えている。


上社前宮の岩石祭祀事例


七石と呼ばれるもの以外にも、諏訪大社にはいわれのある岩石がある。上社前宮で知った4つの事例を紹介したい。



(1)神の足跡石


諏訪大社上社前宮の玄関口、国道152号線沿いに「みそぎ池」があり、そのほとりに溝上社の祠がまつられている。
現地看板によると、池の西方に「神の足跡石」があったと記載がある。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

八ヶ岳原人氏の「神の足跡石《諏訪大社上社散歩道》」のページによると、「神の足跡石」を想起させる、岩石表面に足跡状の窪みが残る岩石が紹介されている。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

確証はないものの、池の西方にあり、本ページでも件の岩石である可能性を指摘しておくため記録しておきたい。

(2)弓立石


矢立石ともいう。
大祝(おおはふり)の居館の庭にあった石だというが、それ以上の詳細は定かでない。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

(3)大石さま


諏訪大社上社前宮に掲げられた周辺地図(安国寺区史友会の作成)に記載がある。
大石さまに隣接して石碑が1体立てられているが、刻字が判然としない。名称からしてまつられていた岩石であることは想像できる。

諏訪神社周辺の岩石祭祀事例

(4)要石


かつて鶏冠社にあったといわれる岩石。
諏訪神社神官職の長である大祝が即位する時に、大祝がこの要石の上に立ったという祭儀上重要な石。大祝の代替わりの時、要石の上に簾を敷いて新しい大祝が座すと、神が憑依して神人となったという。人に神を降ろす磐座の一種である。
「諏訪大社/上社参詣記」によれば、即位式の際には、祭りで使用する道具を置くカナツボ石という石もあったという。
しかし、要石は明治初期に何者かに盗まれ、今は存していない。カナツボ石は不明。

参考文献


上社本宮社務所・下社秋宮社務所『諏訪大社』(由緒書)

八ヶ岳原人「『硯石』諏訪大社本宮の磐座《諏訪七石》」「神の足跡石《諏訪大社上社散歩道》」・(「from 八ヶ岳原人」内)

「石の文化史_展示解説3」「諏訪市博物館webpage」内)

「諏訪大社/上社参詣記」「戸原のトップページ」内)

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