インタビュー掲載(2024.2.7)

与喜山旧跡再考

『長谷寺密奏記』裏付/行仁上人記(国立公文書館蔵書)

昭和30年代、長谷寺の仏僧・岡田杲師氏は、長谷寺門前の旧家・厳樫家において制作年・筆者不明の古文書を実見した。
古文書は、長谷寺門前の初瀬の地こそが、天照大神が鎮座した元伊勢「磯城厳樫本宮」であることを、実地の旧跡を見て確信したと記す内容だった。
岡田氏いわく、その古文書は筆致から本居宣長大人によるものと推測されると述べている。

古文書の中で「此実地のくはしきことはおのれか著はす御旧跡考にいふべし」という文が残されている。天照大神の鎮座を確信する旧跡をしたためたのだろう。
この『御旧跡考』を岡田氏も探し求めたというが、残念ながら現在もそれらしきものは見つかっていない。

長谷寺の隣にそびえる与喜山の山中には、数々の旧跡の存在が『長谷寺密奏記』などの文献に記されており、現地にそれらしき磐座跡が遺存している。

厳樫家の古文書を著したのが本居宣長だったのかは分からないが、彼が記したという『御旧跡考』に、今は残っていないからこそ、敬意と追慕の念を表したい。
そして、『御旧跡考』がないのであれば、せめてもの代わりとして、私がこの「与喜山旧跡再考」を始めようという決意を固めた。

再考にあたっては、与喜山旧跡に関連する文献の収集と、現地の方からの聞き取りと、現地踏査の三方向から、与喜山の歴史の記録保存を行った。
時に文献史学、時に民俗学、時に考古学的に、研究法の垣根を横断しながら歴史を復元していきたい。

この与喜山の調査は、私の岩石信仰研究のフィールドワークの一事例として、2002年~2017年に継続してきた結果の一部をここにまとめておくものである。


1、旧ホームページでの調査まとめ


与喜山第1次~第9次調査の概要


2、文献調査


菅原道真仮託『長谷寺縁起文』(12~13世紀)

菅原道真仮託『長谷寺密奏記』(12~13世紀)

『長谷寺霊験記』上 第十一 天神成神後居住當寺被抜悪心業事付白山権現御影向事(鎌倉時代)

『菅神初瀬山影向記』(室町時代)

源為憲「長谷の菩薩戒」(『三宝絵』984年)

藤本浩一「長谷寺と天神山」(『磐座紀行』向陽書房、1982年)

「元伊勢完成由来」ほか、杉髙講が残した文字記録(1962年頃)

松本俊吉『桜井の古文化財 その二 磐座』(桜井市教育委員会、1976年)

岡田杲師「豊山長谷寺の地主神(鎮守)に就て(其一・其二・其三)」(『豊山学報』第四号・第五号・第六号、1958年・1959年・1960年)

逵日出典「長谷寺にみる天神信仰」『古代山岳寺院の研究 一 長谷寺史の研究』(巌南堂書店、1979年)

厳樫俊夫「初瀬」(乾健治ほか『桜井市文化叢書12 郷土 上之郷・初瀬・吉隠・大福・吉備』桜井市役所、1961年) 

奈良県磯城郡編『奈良県磯城郡誌』(奈良県磯城郡役所、1915年)

桜井満・上野誠編『泊瀬川の祭りと伝承―古典と民俗学叢書18―』(おうふう、1996年)

志賀剛「大和国城上郡二三 鍋倉神社」(『式内社の研究 第2巻 宮中・京中・大和編』雄山閣、1977年)

松本俊吉「長谷山口神社」「堝倉神社」(式内社研究会編『式内社調査報告 第三巻 京畿内3』皇學館大學出版部、1982年)
 
水谷慶一『謎の北緯34度32分をゆく 知られざる古代』(日本放送出版協会、1980年)

本居宣長『菅笠日記』(1772年)と厳樫家古文書(年代不明)の比較検討

道明「長谷寺銅板法華説相図」(688~722年頃 諸説あり)

『泊瀬神秘之事』(1581年)

狩野織部佐藤原重頼『長谷寺境内図』(1638年)

祐厳『豊山玉石集』(1760年)

西郷信綱「長谷寺の夢」(『古代人と夢』平凡社 1993年)