インタビュー掲載(2024.2.7)

岩石の哲学

岩石がなぜ人の心をひきつけるのか?
答えが出そうにない根源的な問いに思えるが、古今東西の先人が残した哲学的アプローチを学んでから判断したい。

森徳一郎「石の徳」

森徳一郎 『一宮史談会叢書7 郷土史234珍』(一宮史談会、1967年)に「石の徳」と題された文がある。
神道考古学の提唱者である大場磐雄は、この本の序文で森徳一郎をこう評した。
「あふるる珍想、流るる通才、史談あり考証あり、更に猥雑漫談あり、硬軟自在綿布混識、その間を一本翁一流の一宮魂が貫ぬいて、純粋の名古屋弁でチクリチクリと骨を刺す。加うるに文章は軽にして妙、表現また洒々脱々」
「翁は実に八宗兼学、融通無礙、行くとして可ならざるなき博学者で、こういう学者は今後はもう出ないだろう」
このような天衣無縫の学者だっただろう森徳一郎だからこそ記せた「石の徳」から、岩石の哲学を始めたい。

森徳一郎提唱「石の徳」

一 石には破・損・減の三失なき故祝儀となる
一 石は清浄ゆえ幸をひく
一 石を飾れば座敷の景色を浄める
一 石は目を楽しましめ心を養う
一 石を飾れば魔を近づけず
一 石には名山の姿を備える
一 石はその座の祈祷となる
一 石は堅きものなれど人心を和らげる
一 石は閑寂と静けさを持つ
一 石は冷然として感情を表わさぬ生物である
一 石には禅味がある
一 石は風雨灼熱にも泰然自若である
一 石は天然其ままであり、あるがままである
一 石には虚偽がない
一 石は神秘を持つ
一 石は寂かに聴いている

表面的な理解はもちろん簡単。
この境地が腑に落ちる次元までなのか、言語的理解や論理の世界から離れた次元までなのかわからないが、肉付けと深掘りを続けていく。


哲学者ガストン・バシュラールが語る「岩石の物質的想像力」


ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その1

ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その2

ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その3

ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その4

ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その1

ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その2

ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その3


『日本の名随筆88 石』を読む

堀口大學「石」
動かない石に物言いを認めた詩。

草野心平「石」
あなたは庭を造ろうと欲して、石を一つ置くだけで満足できるか?

尾崎放哉「石」
巨石でも奇岩でも怪石でもない石ころに愛着を覚える人間の一人語り。

上村貞章「石の表情」
石は人間の模造品。

中国の文化人たちも石を愛した。

唐木順三「石」
石の本を書いてほしいのは、表層的な石を追い求める人ではない。

小泉八雲「日本の庭―抄―」
石の美的感覚に執心した八雲。

久野正雄「愛石志 抄」
庭石の非実用ではなく実用の美。

竹山道雄「竜安寺石庭」
石のフォルムを否定した後、石の配置から石を表現する。

會津八一「一片の石」
石は、あなたが思っているより脆い存在。

澁澤龍彦「石の夢」
石に夢に取りつかれた人々の思考。

豊島与志雄「狸石」
狸石と男と女。作家と読者。すべて石を通して語られる。

中沢けい「ひでちゃんの白い石」
個人の名もなき1つの石から、歴史研究の危うさと関連付け記憶を考える。

宇佐美英治「殺生石」
ヒトの始源の時から石は伴侶であったが、だからこそ抵抗に畏れた。

矢内原伊作「石との対話」
自然に抵抗し、自然を遮断し、周りを隔絶する石。聖と美の境目。


徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む


石の履歴
作者自身の「石ぐるい」の経験談。石で人が感情を動かされる"不思議さ"

石に落ちる
石を集める石ぐるいが、石の魅力を語らないわけ。

石に踊る
カオスな岩石と、個性的な鉱物のどちらが好きですか?

石に語らせる
ユングという"動"の存在が"静"の石へ積極的に働きかける。

石をうたう
宮沢賢治の「石っこ賢さん」が生み出した作品づくりは、宗教的行為に通ずるか?

石を読む、石に惑う
フィレンツェの大理石と、江戸時代の文字石ブームと、UFO岩に通底する心。

うごめく石 異界へのドア
死の世界、過去の世界、異界と結びつく石の古今東西の話。

うごめく石 気まぐれな魔女
石の魔力、宝石信仰は単なる象徴でも思いつきでもない歴史的経緯。

石の薬局
石の常識がふきとぶ。石の前では常人が常人ではなくなる。

石に暮らす
岩石が生きている存在であることを理解できるかは、歴史学の問題となりうる。


『石の神秘力』を読む


北山耕平「だから石は生きている」(【石の時代】石のように考える)
石の声の聞きかたと、自分の石を持つこと。

北山耕平「石のように考える」(【石の時代】石のように考える)
スピリットの善悪。石とのコミュニケートのしかた。石が発する周波数とは?

北山耕平「石の不思議な力の輪(メディスン・ホイール)」(【石の時代】石のように考える)
メディスン・ホイールを造ろう。

山上隆志「リーディング・ソースへの警鐘」
能力者によって石の見解が異なるのはどうして?

綾部霞作「石と"話"をするO氏の話」
石とは友達になれるのか?また、友達になるしかないのか?


2018年以降に出会った哲学


足立巻一『石の星座』(編集工房ノア、1983年) 
岩石に人間の原初の哀感を抱いた、ひとりの岩石信仰の当事者の本。

種村季弘『不思議な石のはなし』(河出書房新社、1996年)
石は動植物との垣根を越えて、おたがいに交通しあう。

吉野政治『日本鉱物文化語彙攷』(和泉書院、2018年)
砂・石・岩の古語用例から日本人の近代科学以前の岩石観をあぶりだす。

益富壽之助『石―昭和雲根志―』(白川書院、1967年)
石が大好きな鉱物学者の学問半分、自叙伝半分の書。

青野文昭氏の「表現のみち・おく」が石を哲学している
石を他者扱いできたとき、初めて石は何かを吸い込み、聖性を帯びる。

石の彫刻家・舟越保武氏が岩石に対して感じた思い
岩石を操る能力者たちが見ていた世界を、理屈と五感から探る。

『石はきれい、石は不思議』(2007年)を素直な気持ちで読む
ポップなタイトルに反して、素直に読んでいくと、石に対して真面目な気持ちになってしまう稀有な本。

堀秀道『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社 2006年)を読んで
鉱物学者の探究心あくなきメッセージ。

西郷信綱「長谷寺の夢」(『古代人と夢』平凡社 1993年)
長谷寺に登場する岩石のモチーフについて、国文学の見地から検討された一節。

鹿児島の摩崖仏と石造物文化に接して、その場では言葉にできないながらも後日まとめた場外シンポジウム。

宗教的科学理論の登場によって宗教も変容する。科学も一つの宗教。宗教研究の理論的土台の学習。

・青山忠一「石をめぐる故事と諺」
・宇佐美英治「石の子」
・壺阪輝代「石の連想」
・寺田武弘「石には季節がない」
・馬越道也「北木島の石材採掘史について」
・塩尻備章「魔性の舞台に舞う―私の岩登り考―」

亡くなる際に、枕元に置いた袋の中から出てきた3個の小石。正造自身が石を拾う理由を明記している。

進化心理学者のロビン・ダンバーによる、ヒトの進化、人類の社会性、精神や神経に働きかけるトランス体験を軸とした、宗教の発生と必要性と因果関係。

宮﨑監督が人生の中で後天的に獲得してきた石の知のいくつかを、あえて脳内のまま展示したので、私たちが覗き見てカオスをどう秩序付けるかを託されているという立ち位置を自覚しておきたい。

海外・国内の石を巡る随想から始まり、後半ではロジェ・カイヨワの批判から地質学的知性を経由したうえで、現代を生きる科学者への地球規模の警鐘に発展。