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2017年9月17日日曜日

内部の「なぞの石神」 第1次調査

私は四日市出身ですが、34年生きてきて、地元で新たに岩石信仰の事例を知ることができました。

地元でこんな体たらくですから、全国の岩石信仰を知っているなどとは決して言えるわけもなく、死ぬまでに全貌の何分の一を知ることができるのかという、暗澹たる気持ちしか芽生えません。

日々精進ですね。


■ 調査のきっかけ


さて、新しく知った岩石信仰の場所は、四日市市の内部(うつべ)地区。

知ったきっかけはこの本でした。

うつべ町かど博物館運営委員会編『内部の史跡・旧跡案内 わが町再発見』(2013年)

この中に、1枚の古い地図が収録されていました。

内部郷土史研究会が1985年11月に作成した「内部旧跡案内図」 です。
この地図の番号5に「なぞの石神」と書かれた場所が。


「なぞの」が、とても私の関心を惹きます。特定の名前が、ないんですね。

どこにあるのか。地図を見ると・・・



5が「なぞの石神」の場所。
貝家(かいげ)という字に所在します。アバウトなイラスト風地図です。

実際の地図で見ると、山林と住宅地が入り交ざるエリアで、この地図だけでたどりつくことは不可能でしょう。
かつて、群馬県桐生市賀茂神社裏山の神籠石のアバウト地図を見た時と、まったく一緒の感情が芽生えました。


でも、この地図を掲載した『内部の史跡・旧跡案内 わが町再発見』は、2013年の新しい案内冊子。

この冊子で案内されているものと思いきや・・・、他の場所はおおむね紹介されている中で、なんと、この石神は未収録。

岩石信仰というものは、こういう運命をたどるのですね(泣)

同書によれば、1985年の「内部旧跡案内図」は、今となっては分からなくなっているものが多いため、うつべ町かど博物館が2009年に新たに現況調査をして、実際の地図上にドットを落としたそうです。

その調査の結果、「なぞの石神」がリストから漏れているということは・・・これはまずい。
石神が収録されていない理由も触れられていないため、消滅したということなのか、行方不明になっているのかなど、細かい経緯が分かりません。

市立図書館の郷土資料コーナーでひと通り関連しそうな文献を総当たりしましたが、この「なぞの石神」に関することはついにどこにも見つけることはできませんでした。

たぶん私以外、誰もこれに興味を持っていないでしょう。
なら、やるしかないか・・・。

いや、決して嫌々ではなく、モチベーションは燃え上がるわけですが、いつも思うのは、昔の文献や地図はつくづく罪深い。
もうすこ~しだけ、具体的に書いてくれれば、なくならなかったかもしれないのに・・・。
このようなケースに出会うたびに、私は反面教師にしたいと、いつも思います。

一方で、内部郷土史研究会が「なぞの石神」の一言を書いてくれていなかったら、今頃、もう地球上からこの石神の存在は完全に断絶していたかもしれません。
だから、一言でも歴史をつないだ同会には、むしろ感謝なのです。


■ うつべ町かど博物館へ行く


1985年の「内部旧跡案内図」の現況を2009年に再調査したのが、うつべ町かど博物館です。

であれば、 うつべ町かど博物館を調査の第一歩とするべきです。
さっそく伺ったところ、内部地区の歴史の古今東西を調査され『うつべ歴史覚書』を2017年6月に発表されたばかりの著者・稲垣哲郎さんにお話を聞くことができました。

『うつべ歴史覚書』は内部の最新研究であり大著。私も事前に市立図書館で読んだ本でした。
おそらく、稲垣さんは同博物館でも最も内部の歴史に詳しい方です。これ以上の出会いはないと思います。

単刀直入に伺いました。
「なぞの石神を探しているのですが、なにかご存知でしょうか?」

稲垣さんのお答えは明快なものでした。
「わからない」

「なぞの石神」は、もちろんご存知でした。
が、それが「なくなった」のか「どれのことか分からなかった」のかは、もはや遠い歴史の中。

再調査の時、貝家のことに詳しい地元の方に聞いても、その方が知らなかったので、行方不明のものとして今の史跡・旧跡リストからは省かれたとのこと。

その時の詳しい調査メモが残っているなら、穴があくまで目を通したいものですが、かなわないでしょう。

とりあえず分かったのは、なぞの石神の現況は「分からない」ということ。
「なくなった」と決まったわけでもないのが、ポイントです。

山の神や庚申の石碑と違って、石神は自然石だったのかもしれない、と思わされます。
自然石であるなら、知る人・守る人がいなければ、あっと言う間にただの石と化すからです。
字が刻んであれば、像が彫刻されていれば、守る人がいなくなっても、それが何であるかはわかるのです。
自然石信仰には、それがない。だから、意識を向けなければいけない。

そもそも、1985年当時の時点で「なぞの」と呼ばれる状態なわけですから、これは相当に記憶が埋もれていると想像できます。

■ 現地を歩く


「なぞの石神」は、「内部旧跡案内図」によれば「8 なこの坂」の西に位置。
ただし、他の番号の場所を実際の地図に落とし込むと、方向や位置関係が実際とは違うことも多いため、あまり参考にはなりません。

なこの坂が、おおよその目安となることだけは確かです。

まずは「なこの坂」を目指します。
ここは今も語り継がれている地名です。

稲垣さんに教えていただいた目印「延喜式内 日宮加冨神社」の石柱を目指します。


 写真奥に続く道が、加冨神社の表参道となっており、その途中の坂道が「なこの坂」です。


道を進むとすぐに「なこの坂」が登場。
現状、ただの坂道ですが、稲垣さんによると、近い将来に看板設置予定とも。

なこの坂を上がった西方が「なぞの石神」候補エリアです。
坂の上にかけてしばらく住宅地が広がっており、はっきり言えば、この宅地の全軒にお邪魔して1件1件お伺いできれば本件解決なのですが、それが大変なのは言うまでもありません。迷惑かけますしね。

せめて、外に出られている方にお話を聞ければと思って開始しましたが、タイミング悪く当日は台風の来襲直前。
そのためかどうかはわかりませんが、お会いできた地元の人は1名だけ。
畑で作業されていた年配の男性の方にお話を聞くことができましたが、その方はずっとこの場所に暮らしていた方ではなく、石神はもちろん、なこの坂もご存知ではありませんでした。

天気の良い日に、改めて再訪することを心に決めて、とりあえず今回はエリア内をぐるぐる歩いてみることにしました。


なこの坂を進むと、加冨神社方面に進む道があります。
住宅地が終ると、ちょっともの寂しい雰囲気に。
もちろん誰も歩いていません。

写真向かって左側の山林が未開発のようで、この山林内など気になりますが、足を踏み入れる余地はなし。


道端にゴミが散乱していますが、よく見ると、草むらの下に岩盤が露出していました。
地質的に、岩石が出やすい環境ということが推測できます。


なこの坂から10分ほど歩くと加冨神社に到着します。
高台となった丘の上に鎮座する神社です。


由緒は上写真参照。
歴史的にも集落的にも、重要な神社であることは間違いありません。
神職の方は常住されない社であり、誰もいませんでした。


高台の丘の上を一周して戻れるようになっているので、一周することにしました。
丘の山林は残っている所と開発で削られている所が混在しており、各種農園が経営されています。


広大な高台です。
石神を探すとして、どこにあるのか、まったく取りつく島がない状況。
ここから自力で特定するなど、眩暈ものです。


そもそも、自然石なのかもそうですし、一番大きい石なら石神、と特定して良いはずがありません。
石に出会うためには、石を知っている人に出会うしか正解はないのです。

主観と経験則だけで、それっぽい道に入ってみます。


岩石が固まっている場所があります。
自然に集まっているというより、人為的に一ヶ所に固めた感じです。


こういう岩石が、そこかしこに散らばっています。


畑の中に、丸石が頭を出している場所あり、印象的でした。


一朝一夕で解決する問題ではないことは十分承知しているので、これからアンテナを張りながら、また再訪するつもりです。

また、地元貝家町の方がこのページをご覧になることにも、一縷の望みをかけたいと思います。

私の勝手な類推ですが、1985年にマップにのせられた場所であるなら、貝家町のなかで最低お一人は、この石神のことを知っていると思うのです。
所有者の方ひとりだけが知っていて、隣の家の方はもう知らないという、そんな状況にあると考えています。

路傍の自然石考―東海道の夫婦石/妻夫石/妋石―




四日市市文化協会の会誌『パッション』61号(2017年9月15日発行)に、「路傍の自然石考」と題した文章を書きました。

『パッション』は、同協会ホームページで全号オンライン公開されています。

そのうち、最新号も掲載されるのではと思いますので、よろしければこちらでご覧ください。


故あって、前・後編の2回に分かれて掲載されます。

オチを次号に回すという大げさな構成ですが、1ページのミニ記事ですので、軽い気持ちで目を通していただければ助かります。


書いた動機を少しだけ。

四日市市の情報誌ですから、四日市市の自然石を取り上げて、その石の歴史に思いをはせようというのがテーマです。

四日市は地元ですが、だからこそ、四日市にはそのような石はないのではと思っていました。

ただ、この1~2年、郷土資料をざっと読んだだけでも、今のところ4例の岩石信仰の事例を数えることができました。
いつものことですが、本当に岩石信仰は身近なところに横たわっているんだなあ、ということを思わされています。


2017年7月4日火曜日

与喜山―山の力と、山と人との距離感の変遷―

雑誌『宗教民俗研究』第26号に論文を発表しました。

日本宗教民俗学会が発行する年会誌で、2016年度分がこの6月に刊行されました。



奈良県桜井市の長谷寺に隣りあう与喜山について掘り下げた論考となります。
2002年から足掛け15年、断続的ではありますが調べ続けたフィールドワークの結果を、紙幅の限り詰め込みました。
いま書いておかないと忘れられてしまう情報を、いくつか後世に残すことができたと安堵しています。

ただ、専門誌ですので、目にする機会は少ないかと思います。

もし本稿に興味のある方がいらっしゃったら、本ブログ最下部の「お問い合わせ」フォームから、メールアドレスを添えて「与喜山論文希望」の旨をお教えください。

論文のpdfを、記入されたアドレスまでお送りしたいと思います。
一人でも多くの方に関心を持っていただけたら著者として光栄です。


2017年6月11日日曜日

いちべ神社

職場に届く四日市プラトンホテルのチラシ

5月の表紙


そりゃあ反応しますよね。

どこだこれ。


鳥羽市のホテルマリテーム海幸園の敷地内にある「いちべ神社」だそうです。

「抱きつき聖石」のパワースポットとして、名所になっているとのこと。

歴史的経緯を知らないので、私はそっち目線で気になってしまいます。


2017年5月22日月曜日

岩石にまつわる随筆・エッセイ

『日本の名随筆 石』を読了し、次の宿主を探しに行きます。

ブログ「石と在る」
http://makabekt.cocolog-nifty.com/makabekt/

10年以上前から知っているブログです。

2008年を最後に更新が止まってしまいましたが、今頃になって、とうとうこのブログ主の方の関心事と響き合うことができた気がします。

このブログで取り上げられている文献量を一瞥するだけで、境地の高さを感じとることができます。

今更ながら、教えを乞いたいものです。

「石と在る」で紹介された数々の文献を手掛かりに、岩石の哲学をさらに深めていきたいと思います。

題名だけ見て引かれたのは、まず下記の文献。
紹介されている中の、僅か一部です。


石の神秘力  別冊歴史読本 特別増刊 野村敏晴
石の神秘力  別冊歴史読本 特別増刊
野村敏晴
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ミステリーストーン (ちくまプリマーブックス) 徳井 いつこ
ミステリーストーン (ちくまプリマーブックス)
徳井 いつこ
固定リンク: http://amzn.asia/fH7HTfe
悠久の時の彼方に誕生した石たちは、遥かに送れて地球に登場した人類を魅了し続けてきた。人間は石とどのようにつき合ってきたのか。想いがけない石たちの素顔と人間の想像力があやなす、石の博物誌。

石のはなし 白水 晴雄
石のはなし
白水 晴雄
固定リンク: http://amzn.asia/iDiauq1
石の世界は、探ってみると思いのほか広大で多様です。その中で、最もふつうの石に焦点をあて、野外の自然景観をつくっている石、建築石材、庭園の庭石を中心に、人工の石、化石、宇宙の石なども加えて編まれた石の話。

石ころの話 (地人選書 17) R.V.ディートリック
石ころの話 (地人選書 17)
R.V.ディートリック
固定リンク: http://amzn.asia/bOaXDZZ


機関誌「高梁川」38号 特集「石」
http://takahashiryuiki.sakura.ne.jp/program/takahashigawa/
-葬制と石     佐藤米司     p.40
-石の文化     岸加四郎     p.50
-阿智神社と天津磐境     小野一臣     p.80
-天王山の磐座・磐境     武遣臣夫     p.84
-石の妖怪     水木しげる     p.104
-石をめぐる故事と諺     青山忠一     p.126
-石の子     宇佐見英治     p.128
-石の連想     壺阪輝代     p.132
-石とレンガ     岡田幸二     p.152
-石には季節がない     寺田武弘     p.170

石の世界は狭そうに見えて、広い。

時間を作って、1冊ずつ読んでいきたいと思います。
ブログは私にとって備忘録代わりであり、定期的に岩石を勉強するための仕組みでもあります。

個人的には、海外視点や後天的な環境によるものを除外し、先天的ないし汎世界的な視点で、岩石へまなざしを向けた本に出会いたいです。

2017年4月13日木曜日

ドラクエと岩石信仰

「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」

先日、ドラクエ11の発売日が7月29日と発表されたのを聞きました。

ドラクエ30周年記念作品として、いつもよりもプロモーションや制作に力が入っている模様。

私はドラクエ6までしかプレイしていませんが、今作気になるんですよね。

本作のロゴがドラクエ1の反転だったり、オープニング映像にロトの剣が登場したり、 原点回帰的な内容という噂も聞きます。

かつてロトシリーズに親しんだ身としては、久しぶりにやってみたいという気持ちが沸々。

でも、PS4も3DSも持っていないんですけどね。

ひとまず気を鎮めるべく、ドラクエ11の関連ページを探していたら、こんな記述を発見。

主人公の故郷となるイシの村は,命の大樹が浮かぶ大陸の南にある巨大な岩山近く,渓谷地帯の一角に位置する。この村には,16歳になって成人を迎えた者が,大地の精霊が宿るとされている「神の岩」に登って祈りを捧げるというしきたりがある。

 「4gamer.net」より

「イシの村」で、「神の岩」に「大地の精霊が宿る」かあ・・・。


ドラクエと岩石信仰、来ましたね。

岩石信仰の市民権がさらに広がることは、いいことです。

わたしも自分の趣味を人に伝えやすくなりますし(笑)

ゲーム画面を通して、岩から何かを感じとる、そんなプレイヤーの方が続出してもおかしくないと思います。

私もかつてドラクエのドット絵で、大海原にロマンと想像をたくましくした世代ですから。

ドラクエ11を(ハード的に)プレイするかは分かりませんが、期待しています。

2017年2月17日金曜日

昭和京都名所図会 全7巻

高度経済成長期を境に日本の風景は一変したといいます。

風景だけでなく、人々の観察眼や興味関心も様変わりしたように思えます。

この本を読むとそう思わされます。


昭和京都名所図会と名付けられたこのシリーズ。
全7巻14000円のところを5000円以下で見つけたので揃えて買ってしまいました。

京都の名所旧跡を作者お手製の絵図と共に紹介する、今風に言えば観光ガイド。
でも、今の観光ガイドとは目の付け所も取り上げ方も違います。
題名通り、江戸時代からの流れを汲む名所図会の香りで雰囲気は統一されています。

川の淵の名前や逸話など、現代人がスルーする情報が多くのせられています。
ここでしか言及されていない「仙遊石」など、岩石祭祀事例も多数収録。

こういった情報は、今の観光のメインストリームからは完全に除外されています。
除外されているというより、情報と興味関心が次世代に受け継がれず、断絶しているんでしょうね。

私が生まれていない時代の空気を閉じこめているわけで、この本を読むことで、生まれていない時代の歴史を追体験できます。
いま目の前で見ている京都とは違う京都像の視野を広げてくれるという意味で、京都に惹かれる方にお勧めします。

2017年2月13日月曜日

四賀のイワクラ(磐座)

松本市四賀化石館(長野県松本市七嵐85-1)で「四賀のイワクラ(磐座)」と題された写真展が開催されます。

http://matsu-haku.com/shigakaseki/archives/353

期間:平成29年3月3日(金)~3月30日(木)

長野県松本市のイワクラというのは今まで知ることはありませんでした。
初耳の方も多いのではないでしょうか。

でも、昨年はミステリツアーで四賀地区の特異な地層を持つ岩々を巡っているようです。
また開催されるのなら、行きたいですね。

すべてが歴史的ないわれをもつ磐座かどうかは不明ですが、地学的な目線からのピックアップが特徴的です。

2017年2月6日月曜日

【情報募集中】探しています

岩石信仰・岩石祭祀の調査を続ける中で、いくつかの所在地について疑問や謎を残したままになっています。
ここに私が今まで関心を抱き続けてきた不明点をまとめておき、いつか真相を知る地元の方や当事者の方にこのページ上で出会えることを祈ります。

本記事のコメント欄、あるいはページ下部にあるお問合せフォームから、下記の案件に関わる情報をお持ちの方はご投稿いただけると嬉しいです。

■ 猪俣の七石(猪俣の七名石)の正確な所在地


埼玉県児玉郡美里町猪俣にあるという、こぶ石・鏡石・福石・爺石・姥石・唸石・櫃石の七石。
こぶ石の場所は把握していますが、それ以外の六石の正確な所在地、あるいは現況をご存知の方、お教えください。

猪俣の七石の一つ「こぶ石」

■ 八嶽山神社の裏山にある天宮神社と妙見神社の詳細


山梨県山梨市山根に所在。
天宮神社が八嶽山神社の奥の院に当たるのか。妙見神社へのルートと現地に行かれた方の情報をお待ちしています。


→2017.2.10追記 本記事コメント欄にて情報提供をいただきました。ありがとうございます。

■ 尾張本宮山と相澤山に環状列石があったという話について


愛知県犬山市の本宮山頂と相澤山頂には環状列石があり、この石柱を麓の大縣神社に移してまつっていたが永正年間と万治二年の火事により所在不明となったという楽田古文書会の会長の話が、当サイトの掲示板に過去投稿されたことがあります。信憑性は定かではありませんが、他ではまったく見聞きしない話であり興味深いのでここに転載しておき、さらなる詳報を待ちます。

―――

尾張本宮山   Follow: 244 / No: 243 [返信][削除]
 投稿者:かずゆき。  02/08/26 Mon 22:22:44

    はじめまして。
    相澤山頂と本宮山頂には環状列石があったそうです。
    また大縣神社と本宮山は永正年間および万治二年に
    火事で焼け落ちており、その際に社殿に祀つられていた
    石柱(山頂の列石をおろし神体とした)は不明となって
    しまったそうです。

    元犬山市教育委員
    楽田古文書会 会長 小澤重功氏談

―――

相澤山の中腹、おそそ洞と呼ばれる場所にある奥宮の御社根磐

■ 小牧山の観音洞にあるという七ッ岩(七つ石)の位置


2010年頃、当サイトの掲示板でチェリーさんと共に、愛知県小牧市の本石の所在地について文献・現地情報収集などをおこないましたが、現時点で特定できていません。
ならびに、小牧山にはストーンサークルがあったという説があり、巨石文化に関心を寄せていた民族学者の鳥居龍蔵博士が言及したこともありましたが、これの情報出所と実体と現況or消滅時期も情報募集中です。
最近、小牧山城から巨石の石列跡が検出され、来場者への示威に用いていたのではないかという説が出ましたが、これとの関連性も気になるところです。

小牧山麓の間々観音に掲示されている七つ石の由緒板(チェリーさん撮影)



■ 真清田弘法について


愛知県名古屋市千種区の覚王山日泰寺の境内にある真清田弘法の中には、今もまだ石がまつられているのかどうか。
この石は、愛知県一宮市の真清田神社の本殿裏に土壇状にまつられていた神体石だったという逸話があります。詳細はリンク先をご参照ください。
日泰寺と真清田神社からかつて頂いた回答は、後世の資料に沿った表面的なものでしたので、今一つ正確性が期待できず、当時を知る話者の方にお会いしたいです。
真清田弘法を定期的にお経をあげにくる世話人の方がいるらしく、その方に一度お話を伺ってみたいと思っています。その方をご存知の方ががいればご紹介ください。

真清田弘法について詳しい方急募

■ 多度山の上冠石と下冠石の違いをご存知の方


三重県桑名市の多度大社の裏山である多度山中には五箇神石という五石があり、その一つである冠石は、上冠石と下冠石の二体に分かれているという説があります。
多くの場合、冠石と一つに包められて話がなされることが多いので、この二体の所在地が特定できておらず、ご存知の方はお教えください。

多度山中にある巨岩の一つ。私は下冠石ではないかと推測していますが未確定。


■ 川上山若宮八幡宮の北方の山中にある燈明石と雨乞社(立岩さん)の所在地


三重県津市美杉町川上。詳細はリンク先で書きました。
web上はもちろん、文献上でもおそらくほぼ出回っていない場所です。
それだけに、記憶の消失が危ぶまれます。
正確なアクセスルート、あるいは、地図上での位置を落とせる方に出会えることを待ちます。

雨乞社(立岩さん)へ取りつく入口と思われる逢神橋


■ 瓦屋寺御坊遺跡の所在地

滋賀県八日市市の瓦屋寺山の坐禅石の前から見つかった古墳時代の祭祀遺跡。
この坐禅石が特定できないため、遺跡の位置も現地で確定できていません。ご存知の方、情報をお待ちしています。


瓦屋寺境内に露出する岩崖。これではないようです。


■ 大岩山銅鐸出土地近くにある「ネコ岩」について


滋賀県野洲市の銅鐸博物館の西に、立岩をまつった場所があり、今も祭り場として手入れが行き届いています。「ネコ岩」という名前がついているという説がありますが、一方でそうではないという地元の方の声もあり、この立岩についての詳細と、ネコ岩が別にあるとしたらその場所をご存知の方を探しています。

ネコ岩?



■ 与喜山(奈良県桜井市)の「三の磐座」の場所をどなたか踏査して発見してください。

藤本浩一『磐座紀行』(向陽書房 1982年)掲載の写真
上の場所を約15年、10回にわたる踏査で探していますがまだ見つかりません。
1人では限界を感じており、合同踏査していただける方、大歓迎です。

→2017.3.30追記 上の場所についてgoogle+上で情報提供をいただき、現地を確認することができました!ありがとうございました。


ならびに、与喜山にかつて整地整備を行った杉髙講という集団の歴史について、記憶・情報をお持ちの方も募集中です。

 

■ のうが高原 情報

広島県廿日市市のうが高原には、多数の奇岩怪石群が存在しており、超古代文明ブームでいくつかの名前も付けられました。
そのために、なにが元々つたわる名称・伝承で、どれが後付けされた名称・創作話なのかが見分けがついていません。巨石群について言及した古文献があるのか、について関心を抱いています。
あわせて、のうが高原が時折、再建に向けて工事をしているなどのうわさが飛んでいますが、一向に復活の兆候がありません。もし関係者の方がいらっしゃいましたら実情をお教えいただけると、私含め全国各地の のうが高原隠れファンが喜びます。


■ 「~の七石」の新情報(全国)


小野寺七石(栃木県栃木市岩舟町小野寺)
吾妻七つ石(群馬県吾妻郡中之条町)
猪俣の七石(埼玉県児玉郡美里町猪俣)
慈光七石(埼玉県比企郡ときがわ町)
三浦七石(神奈川県三浦市)
箱根七石(神奈川県足柄下郡箱根町)
河口湖の七ッ石(山梨県南都留郡富士河口湖町)
諏訪七石(長野県諏訪市・茅野市)
矢ヶ崎村七石(長野県茅野市)
三島七石(静岡県三島市)
那珂七石(岐阜県各務原市)
那智の七石(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
※加茂七石(京都府京都市)は鴨川で採れる七種類の名石なので若干意味が異なる。

上記箇所の他に、ご当地七石の言い伝えがあればぜひお知らせください。
個人的には、七石文化が東日本に偏り、西日本からほとんど聞かれないのが興味津々です。

2017.2.12追記 堅破山の七奇石三瀑(茨城県日立市)の情報をいただきました。ありがとうございます。


 ※新たな募集事項が出た場合は、本ページに追加いたします。


2017年1月3日火曜日

新年のご挨拶

昨年はブログを再開し、大小ありますが、100件に近い記事を投稿することができました。

まだまだ自分自身の知的好奇心が失われていないことを再確認できた年でした。

心機一転、気合を入れすぎず、虚心に岩石信仰を見続けていきたいと思います。


2016年11月22日火曜日

日本人も日本の巨石に熱い視線を注いでほしいですね

海外には奇想天外な巨石がたくさんあると私は思うのですが、海外の人から見ても、日本の巨石や石造物には何か惹きつける魅力があるのでしょうか。







見ていると、古墳の石室など人工的な造形や、周囲の景色とのギャップに目が止まった感じ。
私も負けずに、造形的におっ?と思ったコレクションを貼ります。


岩室稲荷神社奥の院

五枚岩

2016年11月16日水曜日

「岩石信仰と歴史観」授業後コメント


「歴史観の形成」の授業後、100を越すたくさんの感想をいただきました。

いずれも熱いコメントばかりでした。ありがとうございます。
学ぶこと、研究することに対する、皆さんのはちきれんばかりの知的好奇心を感じられました。

皆さんのこれからの研究活動に、岩石信仰の世界や視点が加味されることを願います。

思う人10000人、始める人100人、続ける人1人といいます。

今回の講義は100人の方が聞いてくれたので、1人でも岩石信仰研究を始めてくれたらラッキー中のラッキーと思いたいです。

すべてのコメントを載せることはできないので、一部をご紹介したいと思います。

 
 あなたの人生観を考え直すきっかけを与えられたのなら、こんなにうれしいことはありません。

ぜひ、みんなが注目していないことに注目してみてください。

 
 人生一度しかないですから・・・。あなたの好きなことをを後押しできていたら良いです。

2016年10月29日土曜日

岩石信仰と歴史観 in 立命館大学

先日、母校の立命館大学で外部講師として講義をさせていただきました。
(文学部教養科目「歴史観の形成」の1コマ)

90分、岩石信仰の世界にお付き合いいただいた皆さま、本当にありがとうございました。


2016年10月19日水曜日

奇岩巨石磐座ニュースさんと情報交歓


奇岩巨石磐座ニュースさんに、各種媒体からもっと取材が来ないのが不思議ですね。

一人占めしてはいけないようなネタを、たくさん持っている方です。

先日、9年ぶりにお会いしました。








9年もたつと、いろいろため込んだ話が出てきます。

石の話から、トイレの話まで・・・

1世帯しかない集落の話

宮崎高千穂神社の(近くの)話

国東半島の登ってはいけない山の話

山形が熱い

etc...


石の業界的に、氏の分身がいればなあと感じました。
業界の大きな損失ですよ。

・・・と、何回か伝えていけば、何か刺激になるかな?なんて。



ふだん、石の話を相談できる人が私にはいないので、私からは自分が今ためこんでいるアイデアの相談を。

氏はアイデアマンなので、次に考えていることを聞きたいのです。
私はアイデアを産むのが苦手なので(仕事でも)参考にするのです。



お互い、相手に対して思っていることも話しました。

考えていることが一緒じゃなくてよかった、と思います。
一緒の方向だと、キャラかぶりというか、太刀打ちできませんもん。
そのぶん、自分が今後していったほうがいいことを、より鮮明にできました。


石の業界ってマイノリティーですが、そんな小さい業界の中で、一人一人が石に対して違うことを考えてます。
だから、業界がまとまらないのかもしれませんが、それも石らしい。

いつか、石ウォッチャーの観察研究をしたいなあ、と改めて感じた時間でした。

2016年10月1日土曜日

「依代」と「御形」と「磐座」について―祭祀考古学の最新研究から―(後編)


前編からの続きとなります。


■笹生衛氏が切り開いた祭祀研究の新地平

笹生衛氏は、考古学が旨とする資料第一主義を徹底され、長年停滞していた祭祀考古学の諸研究の中で、資料性・説得性の高い新研究を打ち立てられています。
古墳時代の祭祀研究をテーマにする人たちにとっては、今もっとも耳を傾け、議論にすべき研究が詰まっていると私は思います。

笹生氏の独創性を示す部分を、下記論文から紹介したいと思います。
※以下、括弧内は笹生論文から引用

笹生衛「日本における古代祭祀研究と沖ノ島祭祀. ―主に祭祀遺跡研究の流れと沖ノ島祭祀遺跡の関係から―」(『「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告II‐1』2012年)
http://www.okinoshima-heritage.jp/reports/index/18

まず、笹生氏は「神道考古学を提唱した大場磐雄氏は、古墳時代の祭具の中心に石製・土製模造品や手捏土器を位置づけた」が、「昭和50年代以降、祭祀遺跡・遺物の資料が増加した結果、再検討が必要となってきた」と、従来の学説からの批判的発展を提起しています。

笹生氏が注目するのは、「5世紀前半から中頃、初期の祭祀遺跡の中で保存状態の良好な事例では、石製模造品以外に一定量の鉄製品が使用されていたこと」と、「さらに、紡錘車と初期須恵器が伴うこと」です。
これらは「中国大陸・朝鮮半島からもたらされた当時としては最新の技術と素材で作られた最上の品々だった」と評価しました。なぜ、これらの遺物が祭祀用とされたのだろうかという従来の疑問に対して、単に実用/非実用といった使い古された議論から脱却し、歴史的位置づけを鮮明にしたのが笹生氏です。

もう1つ、氏によって新地平が開かれた古墳時代祭祀の議論は、葬と祭の分化・未分化の問題です。
笹生氏は「埼玉県行田市埼玉古墳群の稲荷山古墳第1主体部から出土した辛亥年銘金象嵌鉄剣に刻まれた『上祖』の文字」に着目し、「『上祖(とおつおや)』『祖(おや)』の文字は、記紀・『風土記』では古代氏族の系譜で起点となる人物を指す」と指摘します。
ここから、古墳時代における古墳葬送儀礼には、祖霊信仰の観念があったことが認められます。確かに、金石文という古墳時代当時の文字資料が「祖」を使ったことには、有無を言わせない説得力があります。

笹生氏によれば「古墳に副葬された鉄製武器・武具、農・工具、鉄素材の鉄鋌は、5世紀中頃までに成立した祭祀遺跡の鉄製品と基本的に共通」することから、「『上祖』『祖』への祭祀と、自然環境に由来する『神』への祭祀は、別系統で存在しながらも、ともに貴重な品と飲食を捧げる共通した形で行われたと考えてよいだろう」と論じました。


2016年9月30日金曜日

「依代」と「御形」と「磐座」について―祭祀考古学の最新研究から―(前編)

■はじめに

いつかこの問題について触れようと思っていました。

主に祭祀考古学の分野で、神観念の研究は進展しています。その嚆矢となったのが國學院大学教授・笹生衛氏です。
笹生氏は、民俗学者の折口信夫が提唱した依代の概念や、かつて同じ國學院大学教授の大場磐雄氏が形作った原始神道的世界観に関して批判的検討をおこなっています。

國學院大學において、神聖な権威になっているであろう大場磐雄氏に対して、批判的な分析を加えられたその意志に、まず私は並々ならぬものを感じます。真に学者だと思います。

ここでは、web上に公開されている以下の論文を参照して、考古学分野以外にあまり広まっていない現今の研究状況の紹介と、私の感想を述べたいと思います。


笹生衛「日本における古代祭祀研究と沖ノ島祭祀. ―主に祭祀遺跡研究の流れと沖ノ島祭祀遺跡の関係から―」(『「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告II‐1』2012年)
http://www.okinoshima-heritage.jp/reports/index/18

時枝務「神道考古学における依代の問題」(『立正大学大学院紀要』第31号 2015年)
http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/5656
(笹生氏の研究を受けた形で、同じく旧来の民俗学・考古学における依代について再検討している)


2016年9月11日日曜日

石はいつでも人の心の写し鏡

【動画】アヒル顔の名物岩、観光客に破壊される
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/090800336/
(ナショナルジオグラフィックス日本版)


中国人観光客が韓国の“文化財”持ち去り!?中国メディアは指摘した韓国議員に「過去にも中国に難癖つけた」と反発
http://www.recordchina.co.jp/a150074.html
(Record China)


石は、人によって勝手に人気者にされ、人の都合で壊され、石を守ろうとするのも人。

石はどっしりと構えているように見えて、人にされるがままの存在でもあります。

いつまでもあるように見えて、あっという間になくなる一面も持ちます。

石の目の前で何が起こっても、石自体は黙して語らず、石を代弁するのはいつでもどこでも、人であることに気づかされます。

人の心と最も遠い次元にある石を通して、人のあらゆる心が透けて見えます。

人の心には、醜いもきれいもありますが・・・

だから岩石信仰を見続けるのを、私は止められないと、ここ一年ほど感じています。


2016年9月4日日曜日

「君の名は。」を通して知る日本の岩石信仰

デザイン・視覚表現の雑誌『月刊MdN』vol.270(2016年10月号)
「特集 君の名は。 彼と彼女と、そして風景が紡ぐ物語」にコラムを書きました。

新海誠監督手がけるヒット中のアニメ映画「君の名は。」の特集記事の一つです。

先月、試写会に参加させていただいた上で書きましたが、事前知識なしで見たのでびっくりしました。心洗われる映画です。私の中では浄化されたという表現が一番ぴったりきます。

人間の最もピュアな面を照射されるような、あるいは、えぐられるような。
えぐられると、照れが出たり、目を背けたくなるかもしれませんが、まっすぐ受けとめて楽しんだもの勝ちだと私は感じました。
このあたり、見る人によって受けとめ方は変わるのではないでしょうか。


劇中に石の御神体が登場することから、「日本の岩石信仰」というテーマで依頼をいただきました。
極めてマニアックな「君の名は。」特集なのではないでしょうか。
ただ、日本列島に残る岩石信仰の世界を、一人でも多くの方に知ってもらえる機会をいただき感謝です。

岩石信仰の一般的な概要紹介というより、「君の名は。」に登場する様々な要素とリンクさせながら書いたつもりです。 ぜひお手にとってご覧いただければと思います。

Amazonリンク(9月6日発売)
月刊MdN 2016年10月号(特集:君の名は。 彼と彼女と、そして風景が紡ぐ物語 / 新海誠)
雑誌版(新品完売) https://www.amazon.co.jp/dp/B01KNCSZ3I
kindle版もあります https://www.amazon.co.jp/dp/B01HPLSZDA


2016年7月20日水曜日

Hampi

ハンピ

旧名・ヴィジャヤナガル。

ヴィジャヤナガル王国の首都。世界史で習いました。



Hampi 

Hampi 

写真を見て、こんな場所とは思っていませんでした。

いま、世界で最も行きたい場所です。



2016年6月11日土曜日

基盤岩信仰~京都市北部に岩石信仰が芽生えた理由を地質面から解説する~

記事の紹介です。

京都盆地の基盤岩: 露頭する岩石、磐座信仰
(京都高低差崖会ホームページより)

京都盆地は、北へ行けばいくほど地中の岩盤(基盤岩)と地表との距離が浅くなります。

だから岩倉に代表されるように、露岩をまつる信仰の場が複数残っているんですね。

船岡山の露岩群もこの事例に入るのかな。

基盤岩信仰という言葉、勉強させていただきました。