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2016年11月10日木曜日

「君の名は。」の御神体について知りたいです

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"山の中にある経塚と「君の名は。」に出てくる宮水神社の岩石は、何がどう違うのか気になりました。もし自分が山の中に行く機会があった時、詳しく見たりしたらバチが当たりますか?中をのぞいてみようと思います!!"(3回生の方より)

「君の名は。」の質問もいただきました。
おかげさまで、このブログでぶっちぎりのpv数が以前書いた「君の名は。」のページになっています。
ブログへ来た検索ワードの約半分もこの映画関連です。
(他の岩石信仰のページも見てね)

■御神体の見学のしかた


さて、ご質問の答えについてですが、
バチが当たるかも、という気持ちがあれば大丈夫だと思いますよ。


私が岩石信仰に接する時のモットーは「信仰している人に失礼がないように」です。
その岩石を守り続けてきた、語り続けてきた人の意思を尊重します。

山に入ってはいけないというルールがあれば入りませんし、岩石に触ってはいけないという約束があれば触りません。
触ると指の脂が付きますし、苔も取れます。一人が触っただけではたいしたことなくても、みんながそれをすれば、きっと岩石の肌を改変する手伝いをしてしまうので、基本しません。


禁足地などの明確なルールがない場合は、観察・記録したいという気持ちが勝ります。
時折、長年誰も見ていないがために、岩石の所在や事実があやふやになっているケースがあります。
この場合、足を踏み入れないことで、道が消滅し、岩石の物語が消滅し、一つの歴史が消滅するという手伝いをしていることになります。
過去に、その岩石に接してきた人々に対して、それは失礼であろうと感じるのです。だから私が記録しておこうというおこがましい気持ちが出てきます。

ぜひ、謙虚さと相手への尊重と、知的好奇心のせめぎ合いの中でバランスを取られると、うまくいくのではないかと思います。


■経塚と御神体の比較


経塚と宮水神社の御神体との違いについても質問をいただいたのでそちらも回答します。

私が先日の授業で例示した経塚は、三重県の多度経塚でした。
自然の岩と岩の割れ目などを利用して、お経を埋納するスペースにしている例です。
(経塚には、いちから人工的に塚を構築したタイプもあります)

経塚というのは、お経を経筒という入れ物に入れ、その経筒をさらに収納した入れ物です。
中に収めるものが人に代われば、古墳の石室のような働きになります。遺骸を棺桶に収納し、さらにそれを石室でくるむ。
中に神を収める施設なら、「君の名は。」の御神体と同じ働きになります。神を宿す石祠をさらに御神体の岩で格納しています。

違いは、中に入れるものが道具か人か神かということに尽きますが、
なぜ、いずれも二重に入れ物で覆っているのでしょうね?
お経そのもの、遺骸そのもの、神そのものを直視しないことに価値を置いているように見受けられます。隠されると神秘性が増す・・・隠されると、より惹きつけられる・・・

人の心理に、共通する何かがあるのかもと思えます。


■あるがままの岩石への思い入れ

自然の岩石に少し人工的な細工を加えて祭祀の場に仕立てているのも特徴の一つです。

宮水神社の御神体や多度経塚は、自然の岩の状態を利用して、その隙間や空間に寄生して祭祀をしています。
ただ入れ物としたいだけなら、全部人工でもよさそうなものです。その方が、作り手にとって意図通りの入れ物になります。

しかし実際は、人工的な加工や補填はごく一部にとどめられており、メインを占めるのは元からそこにあった岩石です。
その辺に、入れ物の機能性だけに終始しない、自然石への思い入れのようなものを感じます。


■不便さが、人ならざるものの力を帯びる


最後に、山の中という人里離れた不便な場所に、なぜ御神体や経塚といった入れ物を用意したのかというポイントに触れておきたいです。

「君の名は。」の御神体は、森林限界のような高所感のある山頂に舞台化されています。
糸森の町からの距離の遠さがツッコまれ、「あんなところに短時間で往復できるの?」とか「雨の中登れるの?」など話題になっていたのを見たことがあります。

経塚も、末法の世に仏法が絶えないように、そしていつか来臨する弥勒菩薩のために、経文を保管しておく施設です。
では、そのお経が永久に残り続けると信じられた場所は、決して寺や神社の建物の中ではなかったわけです。
人里離れた山の中が永久に残ると信じられ、弥勒に見つけてもらえる場所だとも信じられ、もっと言えば、岩石の中に宿すことが選ばれたわけです。

なぜ不便な場所に、入れ物を置いたのかの答えが、その辺りにある気がします。
人にとって不便なものほど、人ではないものにとってはイイのかもしれませんね。


2016年11月7日月曜日

人間にとって岩石はどういうものなのですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"今回の授業で人間にとっての「石」というものがどういうものか分からなくなりました。人間は石自体を信仰しているのか、石に内蔵した仏を信仰しているのか、石に彫ったものを信仰しているのかがよく分からなかったのですが、石というものが人にとって特別な力を感じさせるものだということは分かりました。"(1回生の方より)

"祭祀、信仰の対象としての石と祭祀をするための道具としての石ではどのように石に対する考え方や扱い方が違うのか疑問に思いました。"(4回生の方より)

これは嬉しい反応です。
そうなんです。いろいろな岩石を見れば見るほど、こういう疑問が私も湧いてきたのです。
この疑問を多くの人と分かち合いたいと思って、先日の授業の中ではわざと、バラバラな用途や役割を持った岩石信仰の事例をスライドで列挙しました。

「人間にとっての石というものがどういうものか分からなくなった」ということですが、岩石に意味づけを与えるのが人間の心という前提に立つなら、それは自然なことだと思います。
人間の考えていることがみんな一緒ではなく、人間の心とは何?と一言でまとめられるほど単純ではないように、岩石を通した思考パターンも指で数えられるような量には収まりきらないということでしょう。

といったらあまりに投げっぱなしすぎるので、具体的にどれくらいの思考パターンが見出せるか、この辺りは1000例を超える国内の事例に当たって以前調査したことがあります。
その詳しい結果は、自著にまとめた岩石祭祀の機能分類をご覧ください(宣伝。笑)
分類発表後5年たちますが、いまだ改訂の必要性に迫られる事例に出会っていません。 この分類のどれかには当てはまります。


人間が石自体を信仰していた。そういう人もいたと思います。
狭義の岩石信仰とは、これを指しますし、私の興味関心の最終ゴールはこの心理を知ることです。

石に内蔵した仏を信仰した人もいたでしょう。石に彫ったものを信仰した人もいたでしょう。その人にとって、石はただの素材であり道具だった。石に特別な力はなかった。この思考パターンもあると思います。一方、素材や道具でも霊性を認めた人もいたかもしれませんね。

これに通ずる話として、次のようなご質問もありました。

イスラームのカーバ神殿やメデューサの石化も、石に対する畏敬の表れでしょうか。(2回生の方より)

私のフィールドは日本列島なので、海外の岩石信仰は力量を超えてしまい、下手なことは口出すべきではありませんが、カーバ神殿の黒石も、石に特別な力を認めるムスリムから、石自体を信仰しているわけではないというムスリムの声もあるとwikipediaに載っていたので(出典wikipediaですみません)、黒石に対する思考パターンにも幅が出ているようです。
私が思うに、文字で明文化されていない部分に、人間のグラデーションが出るのでしょう。そこに宗派や教派というものが生まれる余地があります。
むしろこのことから、人の心全体から文字化された部分は、極めて限定的・表層的ということがわかります。

そういう意味では、メデューサの神話も、作者が意図したにせよしなかったにせよ、受け取り手には行間を味わう性質を帯びますから、そこに人間の心の自由さが出ます。

岩石を見るという行動は、言語化・文字化するという行動から最も遠いところにいるのかもしれません。

岩石信仰は、教祖や教典が人の思考を縛る世界観ではなく、人が岩石を通じて自ら発想を生み出していく世界です。
岩石を見ながら個々人の心を見ることができる、とても知的好奇心を刺激されるとりくみだと私は思っています。


2016年11月5日土曜日

パワーストーンや宝石をどのように考えるか

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"吉川さんは比較的大きい石の話をしていらっしゃいましたが、パワーストーンのような小さい石、宝石については、何か研究していらっしゃらないのかなと気になりました。"(3回生の方より)

大きい石の話が印象に強かったようで、反省です。
どうしても巨石は印象が残りやすいので、バランスをとるためにも、小さい石へのまなざしを持っているつもりでしたが、まだまだバランスが足りないようです。精進します。

パワーストーンや宝石についても、研究の対象としています。
ただ、今の私の興味関心が、パワーストーンや宝石ではない「ただの石」に向いていることも否定しません。

なぜかというと、パワーストーンや宝石という稀少性の高い石に惹かれる人の心は共感しやすいですが、「ただの石」に惹かれる人の心は理解しにくく、だから研究の対象としたいからです。

パワーストーンは、能書きを見て選ぶ場合と、能書きを見ずに石だけを見て選ぶパターンがあると思います。
能書きを見て選ぶ人の心理は分かりやすいですが、石だけを見てパワーを信じる人の心理にはとても興味があります。
一言で言えば、理屈で解決できない、言語化されていない人の感情に興味があり、研究したいと思っています。

宝石になると、私たちが事前に仕入れている知識が、宝石そのものを純粋に見る目を曇らせているような気がします。
能書きもしっかりあり、値段という社会的身分もあり、市民権を得ている石。それが宝石です。
あえて言うなら、宝石を覆っているそういう御託や殻のようなものを全部剥ぎ取ってしまい、石だけを見て宝石を語りたいです。
そのためには、自分自身の知識の殻もジャマなので破り去ってしまいたいものですが。

宝石やパワーストーンのような「価値」を認められていない、周縁に追いやられた「ただの石」には、そのような御託も殻もついていないので、ある意味、純粋な気持ちで観察ができます。
そういう「無価値」な石につい肩入れしたくなるのが、私の興味関心や優先順位の基準のような気がします。


2016年11月4日金曜日

墓石や石のことわざも岩石信仰なんですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"日本には墓石や「石の上にも三年」ということわざがあるように、人の生活と石には、密接な関係があると思うのですが、これらはどのような岩石信仰によるものなのでしょうか?また、岩石信仰なのでしょうか?"(4回生の方より)

"日本のお墓に石が使われるのは、ただ「長持ちするから」だけではないのかなと思いました。"(1回生の方より) 

■ 石のことわざから、人と石の関係を考える

 石に関わることわざは、検索すると次のようなものがあるようですね。
  1.     雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
  2.     石が流れて木の葉が沈む(いしがながれてこのはがしずむ)
  3.     石に灸(いしにきゅう)
  4.     石に漱ぎ流れに枕す(いしにくちすすぎながれにまくらす)
  5.     石に立つ矢(いしにたつや)
  6.     石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)
  7.     石橋を叩いて渡る(いしばしをたたいてわたる)
  8.     一石二鳥(いっせきにちょう)
  9.     木仏金仏石仏(きぶつかなぶついしぼとけ)
  10.     玉石混淆(ぎょくせきこんこう)
  11.     金石の交わり(きんせきのまじわり)
  12.     転がる石には苔が生えぬ(ころがるいしにはこけがはえぬ)
  13.     他山の石(たざんのいし)
  14.     他山の石以て玉を攻むべし(たざんのいしもってたまをおさむべし)
  15.     点滴石を穿つ(てんてきいしをうがつ)
  16.     焼け石に水(やけいしにみず)
「故事ことわざ辞典」2016年11月4日アクセス)

正直、知らなかったことわざもあります(苦笑)
上のことわざが、石をどのような象徴として表現しているかをまとめてみましょう。

  1. 石を硬いものとして表現している。
  2. 石を重いもの、動かないものとして表現している。
  3. 石を硬いもの、傷つかず変わらないものとして表現している。
  4. 石を硬いもの、頑固なものとして表現している。
  5. 石を硬いものとして表現している。
  6. 石を冷たいもの、温もりを持たないものとして表現している。
  7. 石を頑丈なものとして表現している。
  8. 石をお手軽な道具として表現している。
  9. 石仏から由来した言葉として使われる。
  10. 石を稀少性のないもの、ありふれた存在として表現している。
  11. 石を硬いもの、壊れないものとして表現している。
  12. 石を動かないものとはとらえず、動いて転々とする小石として表現している。
  13. 石を一見価値がないように見えて、考え方、使い方しだいで価値がある二面性を表現している。
  14. 上に同じ
  15. 1に同じ
  16. 石を一度熱するとなかなか変わらないものとして表現している。

こうして抽出してみると、石は堅固なもの、生気のないもの(動かない、冷たい)、価値のない石ころとして登場しているものが多いように見えます。これらはみなさんのイメージ通りではないでしょうか?
一方で、12のように活動的な象徴として石を使ったり、13のように見方しだいで価値のあるものとして石を語ったり、16のように「冷たい石」と逆の発想から表すものもあったりと、人間生活の中で語られる石のイメージは一枚岩ではないようです。

質問の中で「石は長持ち」というコメントもありましたが、以前このブログで紹介した會津八一の「一片の石」の中では、石は逆に「長持ちしないもの」として語られています。
石に対して人が抱く発想が多面的であることを示しています。まさに「他山の石」の世界観です。

■ 信仰のイメージ


目に見えないものを信じる。それが信仰です。
予見できないことや、事実がはっきりしないものに対して、自分の予測、思いを信じる。これも信じることです。
「信仰」と書くから大仰に捉えがちになるだけで、信じることとは人間にとってごくありふれた、切り離せない感情ではないのかなと思います。

信じる矛先が、目に見えない出来事や結果ではなく、それを担保してくれる存在に向いた時、それを「カミ」や「ホトケ」や「霊」と名付けた人がいた。名付けていない人も、お天道様の前では悪さができないと思っているかもしれません。
人間のこういう心理は、決してハードルが高い、限られた特殊な感情ではなく、神を信じない人にも理解できないものではないと思います。

同様に、信仰対象を必要としない人は心が強いとか、迷信に興味がないといった一面的な評価をされるものでもないでしょう。
自分が見えないことを、まだ「だれか」に担保してもらう必要がないということです。


■ 墓石の前に立って、人は一種類の行動しかしませんか?


お墓に石が使われている理由。
葬儀を祖先への祭祀・信仰と定義すれば、墓石は否応なく「信仰・祭祀に用いられた石」にはなりますが、おそらく皆さんの興味関心はその辞典的定義付けではなく、石に「信仰」の思いが込められているか、霊石としての働きがあるのかというところでしょう。
そういう論点で回答すれば、墓石は岩石信仰であり、岩石信仰でないかもしれません。

墓石の前に行けば、お墓に祖先が(あの世から)現われると思ってお墓参りする人もいるでしょう。
墓石の前に行けば、自分の思いが(あの世の)祖先に気持ちが届くと思ってお墓参りする人もいるでしょう。
石が、祖先の宿るものになったり、あの世に思いを届ける転送装置になったりしています。
それとは別に、墓石をいつまでも残る石材として見ている人も言えるでしょう。思い入れがあるのは石ではなく、祖先なのだから。

そう考えると、少なくとも、墓石は神そのものではなさそうですね。

そもそも、墓石に対してそんなこと考えもしないという人が大半ではないかと、私は思います。
考えないというのも、人が墓石に対して行った1つの選択であり、尊重されるべき思いです。無意識だった人に、研究者が無理に考えさせたり、回答を求めたら、その人の思いは捻じ曲げられたものになるでしょう。

このように、人の意識や思い、それに基づく行動や選択というのは、境界線のないグラデーションのような繊細なものです。
思いや考えというのは、本来、目に見えないものなのですから。

私の回答が1つの結論を提示しない理由は、皆さんに無理に結論を求めると、石に対して皆さんが元々持っていたピュアな感情を無理に捻じ曲げ、変節させてしまう危険性があるからです。
教祖が信者の心を一方向に導く宗教とは違い、石は人の意思をコントロールしない自然物です。
石に対して人が取る選択は無限大ですから、皆さんが自由に接してほしいです。

2016年11月2日水曜日

古代人は巨石をどのように運んだのですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

 "疑問としては巨石をどのように運び出し、祀ったのかということです。"(2回生の方より)

■巨石の運び方

運び出し方について、最も基本に忠実な説明をされているのが下記の研究です。

中根洋治ほか「運ばれた巨石に関する一考察」(土木学会第63回年次学術講演会、2008年発表)
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2008/63-04/63-04-0190.pdf

巨石の移動・運搬は超技術ではなく、古代人の多大かつ地道な努力により説明できる現象です。説明はできますが、いま目の前にある巨石が実際に古代人が運んだ産物なのか、それとも運ばれたわけではなく、自然の力でそこに行きついた産物なのかは、また別の議論になるので注意が必要です。

その岩石が、自然そのままのものであるのか、人工的にもってきたり組み合わせたものであるのか。
この結論をはっきり出したいなら、必ず理化学的な調査が必要です。
でも、理化学的な調査には専用の装置と調査費がかかるため、一個人には大変です。

■地学的な知識で推定する


そこで、見た目からある程度の推定ができると良いですね。

見た目からは、自然とも人工とも即断できないことが多いですが、地学的な知識をある程度持っていれば、推定することはできます。
その点で、 下記の研究は巨石の成因の地学的裏付けを学ぶにあたって参考になります。

吉村光敏「信仰巨石の地学観察技能講座」(2016年発表)
http://chibataki.moo.jp/kyosekitigaku/slideindex.html

巨石が織りなす光景を見て、それを人工の産物と感じるか、自然の産物と見るかは、ひとえに受け取り側の「常識」に委ねられています。
「常識」を飛び超えた瞬間、その人にとって「これは自然では説明できない=人工である」という図式が成り立つわけですから。
であるなら、その「常識」を形作る知識は事前に広げておくことが求められると思います。

個人的には、各地の巨石を巡れば巡るほど、自然が織りなす光景は、人間の常識や経験則なんてものを軽々と凌駕していることに気づけると思います。

■古地磁気調査の取り扱いは注意

一方で、巨石の人工設置説を証明する方法として、古地磁気調査がしばしば援用されます。
下記の研究が著名ではないでしょうか。

森永速男「雑感 古地磁気研究が縁で関わった『巨石文化!?』について考える」(『文化財と探査』6巻1号、2005年発表を『イワクラ』4号に掲載したもの)
http://iwakura.main.jp/magazine/4-10.pdf

古地磁気とは、火山岩が冷却される時に、当時の地球の磁場と同じ磁気が岩石に帯びたもので、磁気の向きは地球の磁場と同様に一定の向きに揃います。
つまり、岩石が冷却後ずっとそのままその場所にあるのなら、岩石の磁場は一定の方向に向いたままと仮定でき、一方で、岩石の磁場の向きがバラバラだったり自然の磁場の向きに逆らうものであれば、その岩石は人工的に運搬・設置された証拠になるのではという見方をします。

この論理に立って、高知県唐人駄馬の巨石群や、岐阜県の金山巨石群、奈良県の鍋倉渓、岡山県の高島・白石島巨石群の4か所が上記論文で取り上げられていて、そのうち前3者について、磁気の方向が一定しないことから、岩石同士が「回転・移動」していることは証明されたといいます。

この「回転・移動」が曲者です。さすが上記論文の森永氏は職業研究者だけあって全編にわたって理性的な記述にとどめていますが、「回転・移動」の動作主が人間か自然かについては一言も決めつけていません。
それは当然、森永氏は巨石群の歴史学的な研究者ではないからです。この態度が学問的態度というものです。

しかも、高島・白石島の例からは、冷却時の古地磁気が後世、二次的な原因により攪乱されてしまう岩石もあることを指摘しており、あらゆる火山岩がこの方法で「回転・移動の有無」を明らかにするわけでもないことを記しています。巨石人工設置説に立つ方々は、あまりこの点に触れませんが・・・。

そもそも、この古地磁気調査の安易な援用を気をつけなければいけないのは、それぞれの立地や地理的環境を考慮していないことでしょう。
冷却時の岩石が、ずっとそのままの位置にあるだけが自然のままとは言えず、後世の自然災害により岩石が二次的に動くのも自然の範疇であり、立地的に傾斜している場所であれば、地面から浮いた巨石が別の巨石の上に乗りかかったり、より傾斜下に移動することも自然の範疇でしょう。

実際、岐阜県の金山巨石群は、立地的に地滑りで原位置を動いた自然配置の巨石群の可能性が指摘されており(宮下敦「岩屋岩蔭遺跡」http://earthprobe.blue.coocan.jp/megalith/iwaya.html、2016年11月2日閲覧)、古地磁気で磁気の向きが一定ではないことが、すなわち人為を証明するわけではないことを押さえておかないといけません。

私の疑問としては、「自然のまま長年の時を経た露岩群=磁気の向きが一定になる」 という仮定が正しいかということです。
サンプル抜き取り調査という意味で、自然の露岩群に対しても何例か古地磁気調査をかけてみてはいかがでしょうか?
その結果と、人工的に配置した岩石群との結果との間に有意差があるかをまず明らかにするべきでしょう。

■考古学抜きの議論はありえない


文献が残っていない時代の巨石人工移動・運搬を説明するには、考古学抜きでの議論はありえません。

上記の巨石群を縄文時代の巨石文明の例と主張する方々を見かけることがありますが、共通して言えるのは、縄文時代を専門とする考古学者が介在しないまま、縄文時代の「遺跡」として語られている異様さです。

縄文時代がどういう時代か、どのような遺構と遺物に基づいている時代なのか、熟知して語られているとは思えません。
少なくとも、縄文時代という一つの時代と、日本列島というひとくくりの空間幅で語られるほど安易なものではないのです。それこそ、数多の考古学の成果が蓄積されています。

私ですら専門は古墳時代なので、現在の考古学の縄文時代研究について熟知している人間ではないことを自覚しています。だから私も、縄文時代の岩石信仰の有無については保留の立場です。

考古学は、人が活動した痕跡である遺構・遺物が確認されて、初めて研究できます。

文献が登場する奈良時代以降であれば、文章に書かれてさえあれば、現地に痕跡がなくても、人の思いを抜き出すことができますが、古墳時代以前は文字資料が激減するため、遺構と遺物に依拠しなければいけません。

そのため、まず遺構・遺物が巨石群から見つかることが大前提です。見つかっていなければ、そもそも人が関わった岩石であることを説明できないからです。
遺構・遺物が見つかっただけでも、まだまだです。巨石との関連がまだ説明されていないことに気づかないといけません。

そこからの分析方法はケースバイケースです。
岩石そのものが自然石でも、それを据えつけた場所・地層自体が整地されていないか、噛ませ石など周囲の痕跡がないか、岩石自体に運搬・移動の痕跡を見つけるかなど。

私は、巨石であればあるほど、それを無理に移動したことによる考古学的痕跡が残るのではないかと思っています。
つまり、逆にそれが確認できないということは、人為性は疑わしいとも思っています。

ただし、私はそう判断できるほど理系の専門を歩んでいないので、今後、そのようなアプローチから研究される方が現われることを待っています。
私は、私が活躍できるであろうアプローチで岩石信仰の研究を研鑽していきます。



2016年10月30日日曜日

飛鳥の石造物は岩石信仰なんですか?

「歴史観の形成」の授業でいただいた質問にお応えします。

"奈良の飛鳥の方に亀石などたくさん「謎の石」があるから、石を加工することだとか、モチーフだとか、そういったことについて授業としてお聞きしたいなあと思いました。"(1回生の方より)

"私は奈良県出身です。石舞台古墳であったり、鬼のまな板など石をたくさん使用したものがたくさんあったことを授業をきいて思い出しました。明日香には行ったことはありますか?あれらも吉川さんの研究している岩石信仰に分類されるものなのでしょうか。"(2回生の方より)

飛鳥の石造物に対する私の考えを述べます。
明日香村には行ったことありますよ。

亀形石造物

鬼の雪隠

鬼の俎

亀石

石舞台古墳

須弥山石(飛鳥資料館内に展示)

猿石

益田の岩船

さらに、明日香村には下の石造物や、それに類する岩石があります。
がんばれば1日かけて回れますので、ご参考に。

―――

御厨子神社の月輪石
御厨子山妙法寺の光明不動
天香山神社
天岩戸神社
天香久山の「月の誕生石」と「蛇つなぎ石」
豊浦の立石
須弥山石・石人像
弥勒石
飛鳥坐神社の立石群
小原の立石
亀形石造物
岡の酒船石
出水の酒船石
川原の立石
岡寺奥の院彌勒堂
岡の立石
上居の立石
マラ石
フグリ山/ミワ山
くつな石
橘寺(二面石・三光石)
立部の立石
亀石
鬼の俎と鬼の雪隠/鬼の厠
猿石
高取の猿石
益田の岩船
人頭石
天津石戸別神社

―――

『日本書紀』の斉明天皇条に、多量の石を用いた土木工事を乱発していたことが記されています。
飛鳥の石造物群のいくつかは、この時に人工的に造られ、設置されたものというのが一般的な説です。

この石造物群の用途が、鑑賞目的(庭園施設など)か、実用目的(石垣・暦施設など)か、祭祀目的(信仰の対象や結界厄除、祭具など)かによって、岩石信仰の跡ととらえるか否かが当然異なってきます。
ということで、信仰なのか信仰でないのかの境界線上に漂う事例群のため、自ずから私の研究対象には入っていることになります。


「謎の石造物」という枕詞が先行していますが、当然、石舞台古墳は古墳の石室ですし、鬼の雪隠・俎、益田の岩船なども諸説あるといわれながら、古墳石材の一部という説が有力であることも、ここ20年以上固定化されており、有効な代替案は提示されていません。
立石群についても、当時の都の境界石という説が提示されています。石造物のいくつかも、水を通す構造を共通して持ち、斉明期に宮都で用いられた施設の一部と推測されています。

同時期の遺跡として同村には、水時計の遺構が詳細に解明された水落遺跡もあります。イメージされているよりも、飛鳥の「謎」は解明されつつあります。


ただ、こうやって書くと「実用=非祭祀」 のように受け取られるかもしれませんが、そこには注意が必要です。
先述の水落遺跡で言えば、時間を管理することは天子の特権であると中国では考えられていたことから、水時計というのは、単に時間を知るためのものではなく、王権というものが時間管理という形而上の世界にまで広がったという解釈もできるでしょう。
そもそも祭と政が混然一体となっていた当時、実用と非実用という分け方が現代的感覚であり、あらゆる行為に宗教的な素地があってもおかしくはありません。

他にも、こういう論点も出せます。
「庭園=観賞用=信仰ではない」
この図式が成り立つかどうかということです。
講義では『作庭記』における石の禁忌・霊性の話に触れましたが、これも庭に対する価値観を現代的にイメージしては、過去の人々の思いを取り違えてしまいかねません。

「美」と「聖」の境界線とは何か、線引きできるもの何か、そもそも別物として分けるものなのか。
信仰を考えるということは、信仰でないものを考えることも同等に重要であり、であるからこそ信仰以外に視野を広げなければ、一面的な理解とイメージを喧伝する人になってしまうでしょう。私も自戒の意味で述べました。

何にしても、現代人の感覚で遺物や遺構をイメージしては、危ないのです。

古代文明や古代文化、超古代文明でもいいですが、たびたび「謎の○○文明」といったセンセーショナルなキャッチコピーが冠されたりします。
講義の中でも触れましたが、その「誰かが用意した情報」に対して、私たちがどう反応を「選択」するか、が試されていると言って良いでしょう。
人間の動物的な本能として、センセーショナルなものには、センセーショナルに反応したいですからね。
最初は動物的反応でいいのですが、後は、その外部情報をどのような解釈幅で判断するかという私たちのリテラシーにかかっているでしょう。




2016年6月2日木曜日

磐境(いわさか)とはどういう意味ですか?

私が石・岩の分野に興味を持ったとして、ネットでなら、どんな言葉で検索するだろう?

そんなことを考えても自分を客観視できないのですが、おそらく磐座・巨石の次に入れる言葉が、この磐境でしょうか。

その昔、大学の友人に「磐座・磐境に興味がある」という話をしたら、

「磐座・磐境なんて、高校の日本史の問題集で1回見かけたぐらいやわ。よくそんなマニアックな用語しっとるな~」

と、別の意味で感心されたものです。
逆に、高校日本史で一応出てくるレベルの言葉なんですね。磐座・磐境。


2016年5月8日日曜日

なぜ岩石祭祀と言わなくなったのですか?

 2001年~2015年の15年間、岩石祭祀学提唱地という名前のウェブサイトを続けていました。

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、岩石祭祀学という看板を外して、今このブログを書いています。

 これもお気づきの方がいるかもしれませんが、ここ5年ぐらい、岩石祭祀という言葉をあまり使わないようになり、そのかわり岩石信仰という言葉を使う機会が増えました。

 細かい自分語りなのですが、このことについて話そうと思います。

 そもそも、岩石祭祀学という学問を提唱するなんて言っていたのですが、たぶん本気(?)で思っていたのは最初の1~2年です。サイト開設当時18歳。若気の至りです。
 その後問題意識が変わり、岩石祭祀学などというあまりにも小さい学問をつくるなんて生産的でないと考えるようになりました。
 実際は、歴史学という既存のカテゴリーの中に置くべき"いち研究テーマ"が岩石祭祀なのですね。 こう思ったのも、もう10年以上前です。

 というわけで一言で言えば、最初に掲げた岩石祭祀学という大仰な看板をいつ外そうかという問題だけでした。結局、外せないままズルズル来たわけですけど。

 2013年に、福岡大学名誉教授の小田富士雄先生が「沖ノ島祭祀遺跡の再検討3」(『宗像・沖ノ島と関連遺跡群』研究報告Ⅲ)という論文を書いておられます。ここで抜き刷りのpdfが見られます。

 この中に磐座や巨岩信仰の研究史を振り返るページがあり、僭越ながら私の名前も出していただいているのですが、「吉川宗明氏は岩石祭祀学を提唱し、全国各地の事例を集成して大場分類をこえた分類の作成をすすめている」と書かれているのです。
 すでに本気で言っていない岩石祭祀学をまだ提唱していると思われている。まずい。

 また、2011年に『岩石を信仰していた日本人』という本を出したのですが、秋月俊也氏が『京都民俗』第29号(2012年)で書評を書いてくださっています。ここでも、岩石祭祀学という学問の名前を取り上げていただいていて、恥ずかしい。
 拙著の中では、1回も岩石祭祀学という名前は出していませんでしたが、やはりホームページのタイトルに堂々とついているのは、弁解しようもないなと。

 ということで、岩石祭祀学の看板は早く降ろそうと思っていたところ、たまたまプロバイダの変更によって2015年ホームページを閉鎖するタイミングになり、これで一度リセットしようと思ったのです。
 今のブログに名前が変わったのは、そういう理由です。

 岩石祭祀から岩石信仰に比重が変わったのは、シンプルに、祭祀という目に見えるものを研究材料とする考古学的な視点からシフトして、信仰という内面的なところまでを研究の視野に入れたいと思ったからです。
 祭祀は、まつるという目に見える行動で、信仰は、内面の心の部分で、目に見えない。
 考古学は前者を対象にできるが、後者は考古学的手法のみでは限界がある。私の力不足かもしれませんが、5年ぐらい考古学の中で信仰・祭祀研究と向き合った結果、そう思いました。
 そこで、心の内面を文字化した文献史学や、必ずしも形になっているとは限らないものを話者が口述する民俗学の出番というわけです。それだけでなく、哲学や心理学の領域にもわたるテーマが信仰です。

 私は祭祀という行動だけを知りたいのではなく、行動の裏にある心の動きを知りたいのです。
 岩石祭祀で終始するのではなく、岩石祭祀を通して岩石信仰を知りたい。
 拙著のタイトルを「岩石を信仰していた」にした理由は、そういう気持ちからです。

 以上、私の気持ちの細かな移り変わりトークでした。

2016年5月7日土曜日

磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?

 これはよく出る質問です。

 磐座(いわくら)という言葉が氾濫しています。
 ここ10年の話ではなく、私が調べた限りでは、ここ80年ぐらい、磐座という言葉が勘違いされてきた節があります。

 奈良県桜井市大神神社の宮司だった遠山正雄氏が「いはくらについて」という論文を1933年に発表しました(『皇学』第一巻第二号)。この論文で、遠山氏は磐境も神籬も磐城もすべて「いはくら(いわくら)」と呼ぶべきだという主張をしました。祭りや宗教に関わる聖なる石をすべて磐座とひっくるめてしまう風潮は、この辺りから始まったと思います。
 この主張に対しては後年、國學院大學教授の大場磐雄氏によってその主張の誤りが具体的な論証の末指摘され、乱暴な主張であったことがはっきりしています(「磐座・磐境などの考古学的考察」『考古学雑誌』32-8、1942年)。
 しかし遠山氏が神社界の大家で影響力の大きい人物だったこともあるのか、はたまた、こういった仔細を無視した主張はシンプルでわかりやすいのか、今でも様々なところで、この類の石をなんでも磐座と呼んでOKとしている現状があります。

 大場氏は前掲論文で、磐座などの言葉が濫用されていることを憂えていました。すでに70年以上も前に。
 この21世紀でも、その過ちをまた繰り返しているのです。

 だから、この機会に磐座の正しい語義を紹介しておきたいと思います。

2016年3月3日木曜日

日本の岩石信仰は、いつどのように始まったのか?

岩石信仰の始まりはいつか?
これは大きなテーマです。

しばしば、縄文時代から巨石信仰があったという前提で話をされている方や、超古代文明・古史古伝・神代文字・ペトログリフ(ペトログラフ)・日本ピラミッドと絡めて、後代に下る磐座を取り上げられる方がいます。
このあたりについての調査はかつて数年自分なりに納得するまで追究したことがありますが、結局確たる根拠を掴むことはできなかった思い出があります。
確たる根拠がないのに、それを前提として語ることは、歴史への捏造にもつながるわけですから、歴史を語る者は自制するべきでしょう。

今回は、あくまでも考古学的根拠からこのテーマについて回答しようと思います。
回答内容は地味に見えるかもしれません。でも、おおむね歴史というのはそういう性質のものだと思います。地味と片付けられがちなものに、どう目線を向けるかです。

1つ間違いなく言えるのは、文字が登場する前の時代から岩石信仰はあったということです。
文字がないので、土の中から出てきた石の遺物や遺構を、考古学者がどのように判断するかにかかっています。

私は、次の3つのパターンがあると考えています。