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2017年9月14日木曜日

石の薬局~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その9~

――実際のところ、われわれも石を食べている。ビスケットのなかには絹雲母が、薬の錠剤には粘土の一種ベントナイトが入っている。毎日食べる塩も、もとはといえば岩塩という名前の石だ。

石を粉状にすりつぶして飲むことで、病を治したりご利益を得るという信仰は、この日本にもあったし、今もそういう言い伝えを残す場所が存在する。

神奈川県横浜市保土ヶ谷区にある「釜壇の石」などがそうだろう。この石を欠いて粉末にして飲んだり、石に付いた苔を飲めば咳や風邪が治るといい、願果たしの際は酒を入れた竹筒を供えたという。

このような話は極端な例で、常人の感覚では違和感しかない話だが、徳井氏はふだん食べているものに石が含まれていることを指摘し、私たちの固定観念を揺さぶりかける。

石と認識していないものが、石である。
それは、学問的な定義による石と、常識的なイメージでの石との差と言ってしまっても良いかもしれない。

「常人」や「常識」という言葉を使ったが、しょせんそれは現代人が今つくりあげたふわふわした観念であり、50年前、100年前、1000年前の常人と常識は、現代人と対話不能なレベルだったと覚悟しておかないといけない。

「釜壇の石」が登場したとき、はたして「釜壇の石」は「石」という認識だったのか?
名前に「石」を付けた人がいるからそれは石として固定化したのであり、もともとは巨大な薬の塊だったかもしれない。

「釜壇の石」の横に落ちている小石は、粉末にして飲まなかっただろう。
同じ石でありながらこの差があるわけだから、「石」という名前が現代に放つイメージにとらわれていては危険なのである。

――宝石のなかにみとめられた治癒力は、おそらく宝石を護符とみなすことと起源を一にしているだろう。 ヨーロッパにおける「天体の力を封じこめた宝石」への限りない信仰は、科学的思考が人類の範となったあとも、ひそかな伏流水となって流れ続け、一九七〇年代のアメリカでニューエイジ・ムーブメントとなって姿を現した。

宝石が天体とつながっていて、天上界の力を借りられるという信仰は、古代バビロニアからあったという話である。

中世の錬金術師は、石には霊が宿っており、石を割り砕いて、中に入っている霊を取り出すことで、金以外の物質を金に転化することができると考えたという。

石という固いものを貫く存在だから、他のあらゆる物体の中にも浸透し、その物質の性質を錬金化できる。
石の霊とは、そういう存在だった。

この錬金術師の信仰と、天体信仰はどう絡むのか?

天体が象徴化された一片が宝石だったとするなら、天体は創造主の作った一片であるから、その中に閉じこめられたスピリットは、宝石以外の石も同様に位置づけられたのかもしれない。

欧米で火が付いたパワーストーンの概念は、日本に輸入されて久しい。
日本固有の概念ではないものの、一定層に浸透している理由を、人類の先天的な石への心性に求めるべきか、後天的な知識背景に求めるべきかは、ここでは結論を出せない根深いテーマである。

――石から何かを受けとるだけではなく、石に何かを押しつけることでも癒しは成立する。毒や痛み、イボやコブといった歓迎されざるものは、石になすりつけて捨ててしまおうという発想は古くからあった。

日本各地にイボ石と呼ばれる石がある。
イボ石という名前が付いていなくても、イボやコブ、各種病に効くという石がある。
石を直接こすり付ける場合もあれば、石をさすってから自分の体をさする場合や、石からしたたり落ちる水をつける場合など、いくつかの変型がある。

小さい石なら、なすりつけて捨ててしまう使いきりタイプもあっただろうが、大きい石もあり、半永久的に使用されたタイプもあった。
徳井氏は、こういった石を「掃除機」と表現した。ただし、次の条件付きで。

――石が厄介なのは、掃除機のように中身のゴミだけをまとめてポイッ、とはいかないところだ。病やコブはのり移ってしまった。(略)というわけで、治療に使われた石は本当に地中深くに埋められた。(略)石を容易に拾ってはいけない、という俗信は、こうした信仰にも関連していたかもしれない。

石には、私たちにはあずかり知らない経歴がある。

石に霊力を信じることができなくなった現代の私たちは、せめて、石に経歴があることを知って、石を取り扱っていきたい。

石は、掃除機と違って、中を開けて、中に入っているものを見ることができない。

石に込められている力があるのかどうか、知ることができない。

基本的に石の内部も経歴も、目に見えないものだから、得体のしれない存在として石を見る人がいることを、認めても良いだろう。

実際に、戦後日本にも石が薬として売り出されていたことを徳井氏は紹介している。

作家の寿学章子さんが、京都の老舗・鳩居堂で購入した「蛇頂石」がそれである。黒光りした楕円形の小石だが、二個入りで昭和初期50銭の価格。効能書付きである。

蚊やノミから、ムカデ、マムシ、クラゲなど、あらゆる生物に噛まれた時に効く「毒虫の薬石」といい、寿学さんは子供のころムカデにかまれると、親がこの蛇頂石をちょっと濡らして患部に貼ったそうである。
「ただちに痛みはすーっとひき、やがてポロリと石はとれる」。
使用後は、石を水につけると、石からプクプクと泡が出た。
寿学さんは、それを「ムカデの毒をはきだしている」と思った。
泡=毒。
泡が出終ると、石をふいておけば、また再使用できるという「魔法の石」だった。

実際は、この石は人工的に調製された石であったが、鳩居堂はこの蛇頂石を今は販売していない。
"科学的には"効能なしと判断されたのだろう。

寿学さんは、大人になった今でも1個だけが手元に残っていて、「これがなくなったらどうしようとノイローゼになりそう」とのことで、次のように嘆息する。

――こんないいものをなぜ現代の医学は(西洋のでも東洋のでも、何でもいい)作ってくれぬのか。科学はある点で後退しているとしか思えないではないか。

石の見えない力への信仰は、遠い昔の、現代とは無関係の話ではない。

むしろ、科学技術が発達する近代化の歴史の中でも、そのつど新たな岩石信仰は生まれた。
「貫通石」はその一例である。

――かつて鉱山はなやかなりしころ、「貫通石」なるものが流行したことがあった。坑道をつくる際、両方向から掘り始め、貫通する直前に最後の石が残る。これは安産のお守りと信じられ、鉱夫たちの垂涎の的となった。

これは、石そのものの成分や外形というより、シチュエーションがなせる業かもしれない。

ストーリーを持つ石である、ストーリーも、結局は目に見えないし経歴をたどれないから、得体のしれなさが増す。

鉱山においては、最もステータスの高い石が鉱石であることは自明のはずなのに、鉱石を採る前の掘った道の残滓に、霊的な力が求められるのだから変な話である。

鉱石自体は、産業従事者の中で宗教的存在にまではならなかったが、神格化されない石の信仰が、別にあった。
鉱石に対しては、何が信じられたか。次のとおりである。

――「成長する石」のイメージは、しばしば植物の姿を伴っていた。採掘で鉱石が減少すれば、鉱山を再び土で覆い、植物的成長にまかせれば鉱山は蘇り、以前にも増して多くの鉱石を生みだすようになるとする考えは、古くからあった。プリニウスは、実際に「再生した」というスペインの方鉛鉱の鉱山を紹介している。

岩石の植物化。

ユングに言わせれば、石と植物は面白い対比関係がある。
キリスト教世界観の中では、創造主がつくった創造物のうち、植物は場所が動くことはない、神の世界を表現する装飾物。
生物は神の意思から離れて動き回れる神の小片。
そして石は、意図や規格性を感じるものもあれば、そう感じさせないものが混在する、カオスな存在。

ユングは、そのカオスさに心惹かれ、石を愛したといわれる。

今回の「鉱石の成長」信仰は、一見、ユングの価値観とは別系統に属しているように見える。

石自体が植物化して、人の意思どおりに石が増殖するわけであるから、石はカオスでも得体のしれないものでもなく、産業従事者にとって石は従順な存在である。

石と植物は異なる位相ではなく、同じ位相の中に位置付けられたわけである。
石を管理したい人間による、新たな岩石信仰と捉えることもできるのではないか。

ガストン・バシュラールに言わせれば、石を植物の比喩で語る文学者もいたわけなので、岩石は大地を象徴するもので、自ずから大地に根ざした植物が岩石と同質化されることも、ありうるのである。

大地が不動のように見えて不動ではないように、大地の象徴である岩石も、不動性と動性の両面を持っていておかしくない。
二面性や、相反する性質を両方内包する存在であるなら、そもそもその性質自体が動的と評価でき、石の堅固性や不変性の側面に惹かれる人もいれば、石に成長性を感じとる人も出てくるのだろう。

それが、岩石信仰を一言でまとめることをできなくしている理由ではないだろうか。

――石が子どもを産む、石が鳴く、石が動く・・・・・・といった現代の科学には笑止そのものの話を、人は驚くべき執着をもって、何十世紀ものあいだつくり続けてきた。ある朝、誰かが思いついたといった類の話ではないことは明らかだ。

江戸時代の「石の長者」木内石亭は、「子産石」という奇石を所蔵していた。

丸い石だが、ときどき、小豆のように石を産むのだという。
石を産んだあと、産み穴などは子産石には空いておらず、いくつもの粒が産まれているというのに、元の母石の重さは変わっていないのだという。
石亭は、自らの目で「たしかに見ゆることなり」「奇というべし」と記している。

石亭は、奇人なのか?
(石が好きな時点で奇人というのは禁止で・・・)

彼が著した『雲根志』に掲載されたたくさんの奇石のうち、迷信が付帯している石も多く収録されているが、そのいくつかに石亭は「はたなだ信用しがたし」「下品の雑石なり」と語る冷徹な一面がある。
石を愛するがあまり、石に厳しい審美眼を持ったのだろう。

そんな石亭が、なぜ子産石には籠絡されたのか?

――これまで奇譚の類に「弄石家の尋ね需むべきことにあらず」などと冷淡を見せてきた石亭も、今度ばかりは真面目になった。なにしろ他人の体験ではない、自分が目撃したのだ。孕んでいる石のからだが透けてきて、次第に子どもの石があらわれる――。石の変化の描写を読むと、石亭はなにかの卵ととりちがえたのではないかと思えてくる。

2017年8月20日日曜日

うごめく石 気まぐれな魔女~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その8~

――誕生石の説明に、いまも「トパーズは純潔、ガーネットは快活、サファイアは慈愛・・・・・・」などと書かれているのは、単なる象徴でも思いつきでもなく、そうした美質が本当に宝石にそなわっていると信じられていた時代の名残である。

石の魔性と、石の気まぐれな性質について取り上げられた章である。

宝石やパワーストーンが、単なるこじつけではないことを、歴史的な経緯から説明している。

十字軍の際、兵士がガーネットを携えた。

ナポレオンが、出征の時ダイヤモンドを携えていた。

宝石は、ヨーロッパでは「天体の光が凝縮したもの」と信じられた。
ヨーロッパの宝石信仰である。
宝石が天の上の世界(天体)とつながっていて、天上界の力を借りられるという信仰は、ギリシャ・ローマ時代よりも以前、古代バビロニアまで遡ることができるという。

そんなバビロニア由来の宝石信仰は、ヨーロッパでキリスト教世界観が誕生するに伴い、天体から天上界、そして天使の象徴へ姿を変えた。

12世紀のドイツの修道女ヒルデガルトは、そうしたバックボーンに自らの心性を込めて、どの石がどのような天使の倫理的美質を備えているかを定義づけた。
これは、現在の誕生石の説明につながった。

――歴史の一場面、一場面にもし立ち会うことができれば、登場人物の多くが石のお守りを所持していることに驚くだろう。ある時代には特別の力をもつと信じられた石がべつの時代には忘れられ、また再び思いだされて、誰かのポケットにひっそりと入っていたり、ドレスのボタンとして縫いつけられていたりするのだ。


日本では、古く『古事記』に載せられた話では、神宮皇后が腹に石をしのばせたことで陣痛を鎮め、三韓征伐に赴いたという鎮懐石伝説がある。

なぜ、腹に石をしのばせると、そこの痛みが鎮まるのか?
そこに万人を納得させるような理論的説明は、何も書かれていない。

それなのに、この文献には堂々と鎮懐石伝説が書かれ、少なくとも書かれた当時の読者を圧倒したわけである。

――中国とヨーロッパでは、突出したかたちで玉と宝石が神聖視されたが、日本においては、石がただ石であるというだけで神として扱われてきたようなところがある。

「とくに日本の国は、石の形に暗示的なものが多い」と語った小泉八雲の話に通ずる。

八雲は日本の石の信仰を「天然物の形からくる暗示」と表現した。

宝石も削り出されて加工はされているが、石の輝きと色・模様が天然物であるから、それによる暗示もあるだろう。
中国由来で日本の古墳文化でも根付いた「玉(ぎょく)」の重宝もこれに基づくものであるし、遠く縄文時代の翡翠の珍重も、縄文人の心性まではわからないが日本の宝石信仰と言えるかもしれない。

その一方で、宝石ではないただの自然石を、一切加工することなくまつりあげるのも日本列島には多く見受けられる。

同じ石だが、これはあくまでも、現代人が石と定義した中での発想。

古代日本において、宝石信仰と自然石信仰は同系統にくるまれるものか、別系統の心性によるものと捉えるべきか。

こう疑問に思う理由の1つに、私自身が、宝石にまったく惹かれず、路傍の石のほうに惹かれるという個人的な興味関心がある。
私個人が、なぜか同じ石でありながら、その2者に明確な線引きをしている。

もちろん、宝石と言ってもその種類は多様であり、ただの石との線引きも当然明確ではないから、どこからどこまでか、というとグレーゾーンはある。

私自身が、宝石は上でそれ以外の石は下という現代的価値観にとらわれていて、宝石に対してはねっ返りがあるだけなのかもしれないことは、書き添えておきたい。

人間は、後天的に学習してしまうと、もはや色眼鏡から逃れることはできない。
自分をもはや客観視できないので、結論は先送りにして、さらに多くの情報を浴び続けていこうと思う。

――現代の呪う石で印象的なものにハワイの火山の話がある。ハワイ島の公園管理局には、毎年、膨大な量の石の小包みが送り届けられ、年によっては総量が一トンにのぼったこともあるという。(略)これによく似た現象はオーストラリアのエアーズロックでも起きている。(略)国立公園に指定されたことから観光客が登るようになり、なかには石をもち帰る人がいるらしい。公園事務所に送り返されてきた石はコーラの瓶に詰まった砂から一抱えもあるのに及び、その多くに病気、事故、破産など不幸の報告と懺悔の内容の手紙が添えられているという。

石の魔力は、人に利するだけでなく、人を害する「気まぐれな魔女」であると評するのが徳井氏だ。

「幾十万年来、人間の伴侶であり、無言の庇護者であった石が毒素を吐きつづけ、人を殺しつづけるということはわれわれの存在の基盤にかかわること」と説いたのは宇佐美英治である。

人が石から恩恵を浴び続けると、その揺り戻しで、石から強い反発と災厄を受けると思ってしまうのではないか?
石を、別の単語に置きかえてみてもいいかもしれないが、石の哲学は人間研究に他ならない。


2017年8月7日月曜日

うごめく石 異界へのドア~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その7~

なぜ、岩石は磐座や磐境として、異界との境を示すものとして信じられたのか?

これを哲学的な側面から補強するのが本章である。

異界の一つとして、冥界がある。

――石化の恐怖とは、死の恐怖である。(中略)石はすべての生命あるものがあらわれてくる場所であり、消えてゆく場所である。地球上の最初の物質であり、最後の物質である。

石化の夢想は、バシュラールも頁を割いて取り上げているテーマである。

「ときには、生気のないものを眺めていて、逆にこの意志のとりこになることがある。石、青銅、つまり物質の基盤そのものにおいて不動である存在が、突如として攻撃にうつるからである。」

「たとえば彫像とは、人間の姿で生まれようとしたがっている石であると同時に、死によって動けなくされた人間存在でもある。そのとき彫像を眺める夢想は、不動化の作用と運動を惹起する作用の律動にのって活動するのだ。夢想は死と生の両面価値にごく自然に身をゆだねるのである。」

「石化作用のイマージュに、氷結のイマージュや寒気のイマージュを比較するのは、まったく自然である。」
 ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その3

石化とは、生を遮断するメデューサ・コンプレックスであるという立場だ。

――石は、多くの神話のなかで冥界と接触をもつ。

徳井氏は、その例として次の5つの例を挙げている。いずれも興味深い。
  • マレー半島のセマン・ピグミー族は、世界の中心にバントゥ・リブンという1個の巨石があり、その下に冥界があると信じる。
  • 旧約聖書には、ヤコブがある夜に石を枕にして寝ると、主から啓示を受ける霊夢を見た。「これは神の家である。これは天の門だ」ということで、以後、スコットランド王が即位の際に座るスコーン(スクーン)の石として現在玉座に組み入れられている。
  • ローマ帝国で一時的熱狂的に信仰されたミトラ神は、岩の塊から生まれた。短剣で神聖な子牛を殺すことで不死のものに浄化するという神だった。
  • 黄泉国神話の黄泉比良阪に置かれた千引岩
  • 鹿児島県下甑島では、人は死ぬ前に魂が村のはずれにある「手掛け石」にとどまった後、その北にある立石へ飛んでいくと信じられる。


「神は死んだ」の言葉で有名なニーチェは、スイスのジルヴァプラーナ村の湖を散歩中、ピラミッドのようにそびえたつ1個の岩塊に出会った。自然石である。

ニーチェによると、「そのとき私の身に永劫回帰の思想が到来した」と述懐する。

ニーチェは、あくまでも「到来した」と書く。
自らが編み出した、考え出したのではなく、石を見て、啓示を受け取ったのであり、それは確実なもので、選ぶ余地はなかったのだという。

この石から「圧倒的な力」を感じとり、その力から哲学的なインスピレーションを受けた自分のことは「単なる化身、単なる口、単なる媒体にすぎない」とした。
そして、同じ啓示をこの石から受け取った人は、数千年前まで戻らないといけないだろうとも述べた。

誰にでも再現性があるものだが、誰にでも再現できるものではないとも言える。

ニーチェはこの石を「聖地」と呼び、現在では「ニーチェの石(ニーチェ・シュタイン)」と呼ばれている。

2017年8月6日日曜日

石を読む、石に惑う~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その6~

――石こそはアナロジーの宝庫であり、人をして最も強烈に「読む」ことへと駆りたてる存在だった。

岩石の哲学では、「石が書く」という表現が使われる。

石が動作主になるわけはもちろんない。
その実は、人が石から何かを読み取り、ある意味勝手に惑わされているだけなのだが、哲学の当事者はそのような表層的かつ無感情な発想で語らない。

それは、かつてこのブログでバシュラールを取り上げた時に触れたとおりである。
再掲したい。

「現代の読者は、こういうイマージュにほとんど重要性をみとめない。しかしこの不信が不誠実な文学批評、ひとつの時代の想像力を発掘できない批評に、読者をおもむかせているのだ。こうして読者は文学のよろこびを喪失する。合理化するだけの読書、イマージュを感じない読書は、文学的想像力を当然軽視するにいたることは驚くにあたるまい。」
ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その4

「無神経な読者は、こういう個所はなんのためらいもなくとばして読んだことだろう。つまりここに具象的な描写のための安易な手法しかみとめないはずだ。(中略)けれども文学的夢想の精神分析家は、この積みすぎこそ作家を導く関心をまぎれもなく示す契機だととるべきである。」
ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その2

このブログで「岩石の哲学」を追っている理由は、そういった無神経な読者の一人である私が、石を動作主と表現する"シャーマン(私から見て、異形なるもの)"を"シャーマン"のままにしないために、橋渡しとして取り組んでいる。

――フィレンツェの大理石は、十六、十七世紀のヨーロッパでブームを巻きおこした。(中略)貴族たちは、丘や木々、森や小川、雲や稲妻が一層はっきりと絵のように見える石をもとめて四方八方手を尽くした。

フィレンツェの大理石は、もともとは実際に絵が描かれているわけではない。
そう見える石を、もっと見えるように、後から手を加えることはあった。

――「絵入りの石」は当時の学者の手にあまる存在で、人々は魔術的解釈にながれる傾向があった。

これも、美しい美術品と、魔術的な対象の狭間に漂う石の一種である。

こういった石への錯視は、ヨーロッパ特有の話かというと、そうでもなく、日本でもあるのだから、私たちにも身近な話だ。

――日本でも「文字石」と称して、文字が浮かびあがった石を珍重する風習があった。(中略)それらのほとんどは吉祥の文字で、円、天、大、大吉など、ほかには、妙法、もろもろの梵字など宗教にちなんだ文字も少なくない。

ヨーロッパではキリスト教世界観の中で人が石を読み取り、日本では仏教などの日本ならではの文化的味付けに基づいて、石が読み取られていく。

現代でも、人が石に、何か深いメッセージを読み取ってしまう場面をみかけることがある。
研究家に、多い。
フィレンツェの大理石、日本の文字石の例が示すように、その人が読み取ったメッセージは、そのままその人のバックボーンを映している。

――石の名前を注意ぶかく見ていくと、実に多くの名前が物語の様子を携えていることに気がつく。 

今でも、ゴジラ岩やUFO岩など、現代ならではのバックボーンで出た物語が生まれつづけている。

時代ごとの文化を岩石から読み取るのも、面白いテーマになる。

けれど、後天的な知識の上で物語られた部分をすくい取って、バシュラールが言うところの、石という物質そのものが持っている想像力から端を発する基層の部分がないか。
フィレンツェと、文字石と、UFO岩の基層を求めていきたい。

2017年7月23日日曜日

石をうたう~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その5~

宮沢賢治は、小学生のころ「石っこ賢さん」と呼ばれていた。

出身地である岩手県の山々に毎週末出かけては、岩石・鉱物・化石などを採集し、それを自分の部屋に持って帰り、コレクションすることに熱を上げていた。

賢治は、単に石だけ集めて満足する人物ではなかった。

岩石だけでなく、それを作り出す成因や、その土壌でもある地質にも広く好奇心を抱き、それが高じて盛岡高等農林学校(岩手大学の前身)では地学を専攻した。

学生時代には、役場から地質図の作成の依頼を受けることもあるほどで、実質に賢治名義の地質図が現存している。
「土壌学、岩石学では並ぶ者のない逸材」と、教授陣からの評価も極めて高かった。

――「いままで勉強してきた岩石鉱物類をこれからも扱いたいと思うけれど、どうもこれらの仕事はみんな山師的であるので最初の職業にするのは気がすすまない」(賢治が父親に当てた当時の手紙より)

宝石研磨商になることを考えた時期もあるようだが、このような苦悩の果てに、賢治は農学校の教諭となり、その後、作家として花開くようになる。

宮沢賢治のパブリックイメージは、岩石と一見結びつかないように見えて、彼の作品の中には、石から着想されたモチーフを見出すことができるという。

――「銀河鉄道の夜」には、黒曜石でできた路線図や、水晶の砂、サファイアとトパーズの珠がくるくる回る観測所など多彩な石が登場する。

――貝オパールを描いた「貝の火」、ダイヤモンドをはじめ色とりどりの鉱物の雨が降る「十力の金剛石」 、ベゴという名前の溶岩餅を主人公にした「気のいい火山弾」、鉱物採集を描いた「台川」、オパールを探しにでかける「楢ノ木大学士の野宿」・・・・・・。賢治がつむぎだす世界では、石は人間のように自らの生涯を回想し、怒り、笑い、病気にもなる。

これらは小説という舞台を借りた、賢治自身の石の哲学であり、人が石を云々する心の発露の一事例と捉えることもできる。

江戸時代に、遊行聖が庶民に、石を人間のように行動させたり、聖人の仏法加護の素材として物語をつけていったと仏教民俗学者の五来重が『石の宗教』で述べていたことを思い出した。

宗教者が石を取り扱う時の心の動きと、賢治の作品作りには相通ずるものを感じるのである。

賢治は最晩年、体調を崩しながらも、砕石工場の技師として働いた。その時の気持ちを推し量ることは難しそうだ。

――作家D・H・ロレンスは書いている。「大地の外につき出た大理石の巨大なかたまりや荒野の原始的風景。(中略)人間たちがどうして石を熱愛するのか手にとるようにわかる。それは石ではないのだ。それは人類以前の時代の強大な大地の神秘的な力の顕現である。」

2017年6月30日金曜日

石に語らせる~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その4~

心理学者のC・G・ユングには「私の石」があった。

遊び場のほら穴の前に坂道があり、そこに埋まる1個の石をそう呼んでいた。
ユングはしばしばこの石に腰かけ、考えごとをすることが多かった。

――私の石の上に坐ると、奇妙にも安心し、気持が鎮まった。ともかく、そうすると私のあらゆる疑念が晴れたのである。自分が石だと考えた時はいつでも、葛藤は止んだ。"石は不確かさも、意志を伝えようという強い衝動も持っていず、しかも数千年にわたって永久にまったく同じものである"が、"一方私はといえば、すばやく燃え上り、その後急速に消え失せていく炎のように、突然あらゆる種類の情動をどっと爆発させるつかのまの現われにすぎない"のだった。私が私の情動の総体であるにすぎないのに対し、私の中に存する他人は、永久・不滅の石だったのである

ユングは、キリスト教的価値観に基づいた上で、石を次のように考えた。

人間を含めた動物は、創造主が創った「神の小片」ではあるが、神の意思からは独立し、自分たちの意思で動き回り、選択ができる存在になっていた。

それに対して、植物は同じく神の小片であるが、動物と違って場所を動くことはなく一つどころにとどまるため、それはすなわち神が意図する「神の世界」の美しさや思想を表現する装飾物のようなものであった。

では、石もそうかというと、そうではない。
石には、意味のある石と意味のない石が混在している。その造形や外見も時には機械的に見えるものもあればそうとも言えないものもあり、一言で言えば「混乱」している。

石には底知れないものを感じる。
それをユングは「神性」と評し、石は「霊の具現」を含んでいるとみた。

人はつかのまの存在で、石は永久不滅の存在である。
そんな相反する存在同士が惹かれあう理由は、生きている存在と死んでいる存在のいずれにも神性があるからだとユングは考えた。

ユングは、人が生きていて、石が死んでいるとみなしたようだが、私はそこまでシンプルな構図でもない気がする。
人は必ず死を迎えるのだから、人は死の性質を持つ存在であり、石は人が死んだ後も居続けられるから、それを生の性質と表現することもできる。

そうすると、人と石は、ともに「生と死の両方の性質を備えた存在」と汎化することができる。
そこに、ユング自身が石と類似していると感じさせる要素があったのかもしれない。


ところで、ユングは、中世ヨーロッパで流行していた錬金術も、石に神性を認めた一つの例と捉えていた。

数々の錬金術師の残した考えでは、石には霊が宿っており、石を割り砕いて、中に入っている霊を取り出すことで、金以外の物質を金に転化することができると信じていた。
このことからわかるように、霊は創造主的な神そのものではなく、その神がこの地上世界の各所に姿形を変えて散りばめた"神の意思の一片"としての霊である。
本地垂迹的な考え方にも似ているかもしれない。

石に、他の物質を救済できる霊が住まうと信じられていた論理は何か。

ユングによれば、それは石自体が固い物質であることに基づくと理解した。
石の中に霊が入っているということは、霊とは、石という固いものを貫く存在なのだから、他のあらゆる物体の中にも浸透し、その物質の性質を神聖化(=錬金化)できるのではないか、錬金術師はそう考えたのではないかと説明する。


ユングは、極めて石に対する愛しかたが"介入的"だったと私は感じる。

石を見て受動的に何かを感じるというより、石に対して自分から何かしらの働きかけをしないと気がすまなかったのだろうと察する。

たとえば、ユングは48歳の時に石で塔の家を建てている。
その理由を次のように述べている。

――私は自分の内奥の想いとか、私のえた知識を、石に何らかの表現をしなければならない、いいかえれば、石に信仰告白をしなければならなくなっていた。

さらに、ユングは75歳の時、その塔の家の庭に石碑をつくりたいという衝動にかられた。
三角石を注文したが、手違いによるものか、なぜか四角の石塊が運ばれてきたという。
しかし、ユングはその石塊を見てこう言う。

―― 一目みただけで、それは私に全くぴったりしたものであり、その石で何かしたいと思った

石の表面に目のようなものが見えたので、実際にユングは目を刻み、周りに小人の像を彫り、石自身の言葉としてユングが創った詩文を刻んだ。
彫刻を自ら行うため、ユングは実際に石工の組合に入り、石工の服装をして、喜んでノミをふるったという。

ユングの、石に対する付き合い方の根っこの部分が明らかとなるエピソードである。
「石に語らせよう」とユングは思ってのことだったが、その行動の発露は人によって千差万別。

"石ぐるい"の形もさまざま。

待っていても、もどかしい石の"静"に対して、ユングは人間として積極的に"動"の愛しかたを石へ表しにいったと言える。

2017年6月18日日曜日

石に踊る~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その3~

ここで徳井氏は、石と岩石と鉱物の3つの概念について整理している。

石は、岩石と鉱物を含めた包括的な概念とする。

石垣・石臼などの具体的な用語に冠せられるだけでなく、石頭や「石の上にも三年」などの抽象的な言葉にも使われるのが「石」であるため、学術的には「石」という言葉を使用することは漠然で難しいとしている。

岩石と鉱物は"群衆と個人"にたとえられるという。
鉱物学者の益富寿之助の考えによるものらしいが、いわく、

「岩石は何の秩序もなく集まっている群衆のようなものである。」
「鉱物はただ一人ポツンといる人間のようなものである。」

この場合における「群衆」とは、あまり肯定的な意味を持っていない。
石もなく、個性もないといった意味で、群衆といった言葉が使われている。無秩序が、マイナスイメージで理解されている。

一方の「個人」は、自立していて、のびのびと自らの個性を出しているという、プラスの意味で使われている。
個人主義へのあこがれが強かった時代背景も、あるかもしれない。

このイメージ付けに正解はないと思うけれど、私は、輝かしい価値を皆が感じる「鉱物」よりも、一顧だにされない「岩石」のカオスに惹かれる。

――自分が採った石はね、ひとつひとつに思い出が詰まっとります。

――自分の石見てるとね、日記つけてないけど、ついとるんです。

鉱石が採れる滋賀県田上山に、休日をつぶして年間50日通う"石ぐるい"、小林進さんのインタビューである。

――宝石屋の石を見ると、ちょっと淋しい気がするね。完全に加工してあって、僕らにはガラスか何かわからへんもん。見た目では同じのがいっぱいある。

宝石が無個性なら、"鉱物は個人" という先の論理からはズレてしまうが、つまりは論理ではないのだろう。
群衆と個人は、時代背景色濃い後天的な哲学と感じる。

同様に、宝石に価値を持つ"石ぐるい"も否定されるものではなく、どちらもいて当然と言える。
だから、石を通して人が見える。

――これはね、腐らへんのですわ。いつまでもなんの手入れもしなくても、九十九パーセントの石は、僕がもってるあいだなら原形を保っていてくれる。

石の永遠性。
同時に、人の非永遠性がコントラストであぶりだされてくる気がする。

人は、石を踊らせることはできない。いつも、人は石に踊らされる立場でしかない。
無常感は人に不安感や悲壮感を連れてくるが、石という不安も悲壮もなく踊らされることもない存在に出会うことで、人は心を踊らされる。

石を見つめることで、人が不安定で小さな存在であることを自覚する。
そう内省することで、ある人は謙虚な面持ちになり、ある人は自然へのまなざしを変え、ある人はそれに抗おうと自らを成長させるのかもしれない。

――人間の永遠に生きたい、という気持ちとつながっているのかもしれませんね。

小林さんが言及する哲学的な部分。
本来は、意識していなかったのではないか。
インタビュアーに聞かれたから、言葉を探してきたまでで。

言語というのは、本心と必ずしも一致しないのに、言葉に乗ると話者を離れて独り歩きするパワーがある。
研究者としては、他山の石としたい記述だった。

――僕はグチャグチャとした粘土のような石が嫌いです。直線のある石、透明度のある石に惹かれるんです。

"石ぐるい"にもいろいろいて。

私は、石を集めることはしないけれど、グチャグチャとした粘土のような石、好きです。


2017年6月8日木曜日

石に落ちる~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その2~

――石ぐるいの圧倒的多数は、どういうわけか男性である。

巨石ガールという名前がかつて作られたように、本当か?と思う。

よく読むと、この石ぐるいは「石を集める」ほうの石ぐるいに限った話だった。

でも、宝石を好むのは女性というイメージがある。
いずれにしても、「石を訪ねる」ほうの石ぐるいについて照準が当てられていないのは残念だ。

――石ぐるいに半端でない憑かれかたをしている人が多いのは、たぶん石の性質によるところが大きいように思われる。あるいは石には独占欲の強い女のようなところがあって、すべてを捧げられないなら、いっそさっさと荷物をまとめて去ってしまおうという薄情なところがあるのにちがいない。

江戸時代、石集めに人生の大半を捧げた木内石亭に対する徳井氏の評の一つである。

女性の性質に例える辺りが女性らしい視点で新鮮だが、山の神の女性信仰にも通ずるところがある。
石の性質を人に例えるのも、中近世に遊行して庶民に仏法を分かりやすく説いた聖たちと同じアプローチに感じる。

石の性質は、人に通じるのだろうか。

――私は何人かの石ぐるいたちに同じ問いを投げてみたことがある。誰もが長いあいだ考えこみ、ぼそぼそと言葉少なに語られた答は、きわめて漠然としたものだった。「美しいから」「永遠だから」「同じものがひとつもないから」・・・・・・。どの答もあとから思いついた言いわけのように聞こえるのだった。

「石集め」の石ぐるいの話ではあるが、「石訪ね」に興じる私に問われても、こんな感じである。

昔から言っているが、人に石の魅力を語る時が、いまでも一番難しい。
そんなの、もう見てください、という気持ちでいっぱいいっぱい。
でも、無理矢理見せても共感性は得られないので、そもそも魅力を口に出したり、薦めたくもないという考えも湧きたつ。

自分から動いて出会った人にだけ、同じ気持ちが抱けるのではないか。

もう1つ言うと、同好の士と石の話をしたとしても、結局、私はあまり石の魅力を語ったことがないし、語れる力量を持っていない気がする。

口に出した瞬間、石の魅力の10分の1も語れていない自分を自覚しているので、石に対して失礼という感情が勝るのである。
だから、石ぐるいは黙るんじゃないかなあ。
少なくとも、私はそうです。

徳井氏はここから、石にのめりこむ理由などないのだと断じるが――もちろん後付的、理屈的な理解であれば無意味であるが――、それでは納得しない自分もいるので、今しばらくあがいてみたい。

2017年5月28日日曜日

石の履歴 ~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その1~

作者の徳井いつこ氏はアメリカ在住のフリーライターで、アメリカ文化・インディアン文化の著作を手掛けている。

その徳井氏が、古今東西の「石ぐるい」たちを取り上げた石の本が『ミステリーストーン』(筑摩書房、1997年)である。
スピリチュアルや超常現象の本ではない。

読後の感想としては、石の本というより、石に魅せられた人の物語集を読んだかのようである。

石を目の前にした人の価値観の広さがそこにあった。
石に関心を持たない常人には、文章の意味は分かるが、理解の及ばない世界である。

石は、人間研究と言っていいのではないか。
私でさえも、視野を広げてもらったような気がする。

そのような感慨を抱きながら、本書を紹介していきたい。

――石ころの何が私を惹きつけていたのかはわからない。

まずは、作者自身の「石ぐるい」の経歴から話は始まる。

小学生の時、クッキーの空き缶に自分の色々なコレクションを入れていて、その中にたくさんの石ころが詰まっていたそうだ。

――おそらく子どもの私は石をさわりながら世界の手触りをたしかめていたのだ。(中略)世界を所有しているように感じていたのかもしれない。

石を通して、世界を知るということ。
世界の知り方の具体例として、下記を思い出している。

  • 石を集めている感覚は、カラスが光りものを巣に集めるような感覚に通じる。
  • 真夏に日陰の石に触れると、冷たさを感じられる。
  • 水につけると色が変わる。
  • 石はひとつとして同じものがなく、ロールシャッハテストの絵のようだ。
  • おままごとの道具に使っても、その見立てがどれだけ勝手気ままでも黙ってつきあってくれる。
  • 投げても蹴飛ばしても文句を言わない。

その極致は、この石ころたちは、缶ごと、どこに行ってしまったか作者自身覚えていないということ。
石はどれだけ文句を言わないのか。世界を所有できているのかということである。


いったん石を忘れた作者だったが、大人になり「石がふたたび私の視野のなかに入ってきた」。

鼻煙壺(びえんこ)という、18世紀のフランスで流行した嗅ぎタバコの小道具を店頭で見かけたのだという。
壺の材質は金属からガラス・磁器・象牙など千差万別だったが、ほとんどは人の手で加工された素材だった。

その中に、電気石の結晶を切り出した、石の自然の模様を素材にした壺があり、作者の言葉を借りれば「ひとり超然とした美しさで立っていた」。

この石を見て、作者が次に感じたのは、人のドラマだった。

――これを所持していたのはどんな男だったのだろう

石を見ながら感じるのは、石そのものだけではなく、まさに「石の履歴」である。
石を美しいと感じると同時に、石を美しいと感じて、それを壺に仕上げた人間、そしてそれを所有した人間について、思いをはせるのである。

――もしかすると、私は石そのものではない何かに惹かれはじめていたのだろうか。


2017年5月22日月曜日

岩石にまつわる随筆・エッセイ

『日本の名随筆 石』を読了し、次の宿主を探しに行きます。

ブログ「石と在る」
http://makabekt.cocolog-nifty.com/makabekt/

10年以上前から知っているブログです。

2008年を最後に更新が止まってしまいましたが、今頃になって、とうとうこのブログ主の方の関心事と響き合うことができた気がします。

このブログで取り上げられている文献量を一瞥するだけで、境地の高さを感じとることができます。

今更ながら、教えを乞いたいものです。

「石と在る」で紹介された数々の文献を手掛かりに、岩石の哲学をさらに深めていきたいと思います。

題名だけ見て引かれたのは、まず下記の文献。
紹介されている中の、僅か一部です。


石の神秘力  別冊歴史読本 特別増刊 野村敏晴
石の神秘力  別冊歴史読本 特別増刊
野村敏晴
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ミステリーストーン (ちくまプリマーブックス) 徳井 いつこ
ミステリーストーン (ちくまプリマーブックス)
徳井 いつこ
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悠久の時の彼方に誕生した石たちは、遥かに送れて地球に登場した人類を魅了し続けてきた。人間は石とどのようにつき合ってきたのか。想いがけない石たちの素顔と人間の想像力があやなす、石の博物誌。

石のはなし 白水 晴雄
石のはなし
白水 晴雄
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石の世界は、探ってみると思いのほか広大で多様です。その中で、最もふつうの石に焦点をあて、野外の自然景観をつくっている石、建築石材、庭園の庭石を中心に、人工の石、化石、宇宙の石なども加えて編まれた石の話。

石ころの話 (地人選書 17) R.V.ディートリック
石ころの話 (地人選書 17)
R.V.ディートリック
固定リンク: http://amzn.asia/bOaXDZZ


機関誌「高梁川」38号 特集「石」
http://takahashiryuiki.sakura.ne.jp/program/takahashigawa/
-葬制と石     佐藤米司     p.40
-石の文化     岸加四郎     p.50
-阿智神社と天津磐境     小野一臣     p.80
-天王山の磐座・磐境     武遣臣夫     p.84
-石の妖怪     水木しげる     p.104
-石をめぐる故事と諺     青山忠一     p.126
-石の子     宇佐見英治     p.128
-石の連想     壺阪輝代     p.132
-石とレンガ     岡田幸二     p.152
-石には季節がない     寺田武弘     p.170

石の世界は狭そうに見えて、広い。

時間を作って、1冊ずつ読んでいきたいと思います。
ブログは私にとって備忘録代わりであり、定期的に岩石を勉強するための仕組みでもあります。

個人的には、海外視点や後天的な環境によるものを除外し、先天的ないし汎世界的な視点で、岩石へまなざしを向けた本に出会いたいです。

2017年5月7日日曜日

矢内原伊作「石との対話」 ~『日本の名随筆 石』を読む その15~

――石の家に住まぬ日本人は、それだけかえって石に特別の思いをよせ、石によってさまざまな感情を養ってきたのである。

古墳の石室に葬られた被葬者は、石の家に住んでいるとみなされるだろうか。
石の家に住む者が人ならざるものを示すとするなら、被葬者が祖霊となり、磐座に宿るものが神となるのもうなずける。
――石をたてることは自然に対して抵抗することである。

『作庭記』の、まず石をたてることが肝要とする旨を思い出す。
作庭という行為は自然のままを是とせず、人から見た自然の創造となる。
自然への抵抗を恐れるから、禁忌が多いのだろうか。
こう考えていくと、「作庭」と「祭祀」の境界線がないような気がする。
――われわれが一つの石を見て感動するのは、その自然の造形の背後にある地水火風の力を感じるからである。

たとえば、石が川水の浸食で丸い石となるところに水の力を感じ、 長年の風化で凹凸を生じた岩崖に風の力を感じる。
山頂の地表面に露出した岩盤を見て、その地中深くにまで根を張る山の基盤を想像することもあるだろう。
石そのものを見てどうこうというだけではなく、石が通ってきたストーリーを想像することで、石に自然の偉大な力が帯びてくる。
――石という呪術的信仰の対象を美意識の対象に転ずることによって、竜安寺(京都)の石庭をはじめ、多くのみごとな庭園ができたのだった。(中略)造形の美ではなく、実は自然の霊力といったものではないだろうか。

神聖なものと美しいものの違い(差)は、岩石に限らない大きなテーマである。
信仰の対象を美意識の対象に転ずる、とは簡単に言うが、どのような心の転化なのだろうか?
信仰には信仰対象の尊重からしばしば祭祀行為の中で自己犠牲が伴うが、美しさの認定は必ずしもそうではなく、自己本位的な価値判断ですむ。鑑賞するだけでいいのだから。
祭祀行為の有無がこの二者の区別と見ることもできるし、祭祀行為がなくなり観賞の対象となる中で、信仰対象主体の考え方から、人間主体の考え方に移行している心の移り変わりも感じとれる。
――かたくつめたい石はきびしく声明を拒否している。しかし、それだけにかえって、無言の石は、動物や植物以上に自然の力を強く感じさせるのである。

以前、「墓石や石のことわざも岩石信仰なんですか?」で石のことわざに触れたが、石を冷徹で正規のないものと表す言葉があることは確かである。
一方で、それだけでないことわざがあるのも指摘したとおりであり、石に対する人々のイメージが一面的ではなく多面的であることを示している。
石の哲学も、作者それぞれのイメージから発露されるものであり、多くの哲学の渉猟が必要である。
――人類がはじめてつくったもの、それはいうまでもなく石器である。石は自然に抵抗する自然だとわたしはいったが、その石を用いることによって人類は自然に抵抗し、さらには自然を支配することを知ったのだった。

宇佐美英治「殺生石」でも同様のことが語られていた。
人類がはじめてつくったものが石器とは限らないが・・・。
考古学では、石が無機物で残りやすいから資料として目立つということは半ば共通認識なので、土になってしまった有機物に対するまなざしは必要だ。
当時の人々にとって言語化されていない理屈があっただろうから、それを言語化することが、歴史に対する正しい研究法なのかもよく考えないといけない。

2017年2月2日木曜日

宇佐美英治「殺生石」~『日本の名随筆 石』を読む その14~

考古学的なテーマを纏った随筆である。

人と石の関わりについて綴る。

人が、他の動物と違い、ヒトとしてこの地球の生態系の頂点に君臨するようになった理由を、宇佐美英治は「石によって身を守り石を武器に、威力の上で人を凌ぐ動物と闘ってきた」ことだと断じている。

ヒトが二足歩行できるようになったことで、手を使い、石をどこかから調達・運搬し、獲物や外敵に石を投げることで、人はまず他の動物に勝ることができたという流れが描かれている。

人は弱いが、石などの道具を使うことで、種としての絶滅を免れ、他の動物を使役する立場に回ることができた。
この点において、石は「人間の最良の伴侶であり、最強の幇助者」だったと評されている。

石器に対しての宇佐美の随想が面白い。
――石器は土器のようにどんなふうにでも形をつけられるものではない。石は石に工作する人間の手に刃向う。(中略)石器はどんなに加工してもなお人間に抵抗し、最後まで石であることをやめない。
人は石を道具として支配しているつもりだが、実は石は最後まで支配されることを抵抗したがっているかのようだ。
石が奴隷ではなく、「伴侶」で「幇助者」であると表現した意味合いが込められているように思える。 あくまでも、石を「味方に引き入れた」までなのである。
――土器については機能が形体を決定するといいうるが、石器は必ずしもそうではない。百万年来、人が石器に見出そうとしたのは、機能というよりは石のもつ絶対的な威力であり、強大な的を傷つけ、その肝をぬきとる魔力である。

ここに、石の一つの性質が哲学されている。

ヒトが始源の時に感じた石の魔力とは、石があらゆる肉を断つという、ヒトの体そのものには備わっていない絶対的な攻撃力にあるという宇佐美の提言である。

宇佐美によれば、この攻撃力が石を霊や神たらしめた岩石信仰の源泉の一つなのだと語る。
あくまでも一つであるというのは、石には他に「無情、冷酷、生気なき無機物を思う中世以後の観念や石を永世と死に結びつける古代帝国以来の記念碑性(モニュメント)の観念」もあり、攻撃性はそれとはまた別個の観念だと言い添えているからだ。

この流れの中で、標題の殺生石が登場する。
殺生石は、栃木県の那須湯本に今もある有名な奇岩である。霊狐・玉藻が石に姿を変え、祟りの石として霊威を放ったものが、最終的には仏法により調伏されるという伝説で知られている。

温泉地による有毒ガスの噴出のため周辺一帯には一木一草もない殺風景が広がっている。
この環境要因が殺生石の伝説を構成している節は否定できないが、宇佐美は、別にこれだけの理由で殺生石の"イマージュ"を強く感じるわけではなく、もっと根深い石そのものの"イマージュ"から来ていると述べる。
――幾十万年来、人間の伴侶であり、無言の庇護者であった石が毒素を吐きつづけ、人を殺しつづけるということはわれわれの存在の基盤にかかわることなので、じっさいの災害以上にこの石が薄気味悪く思われたにちがいない。

信仰や聖なるものが、人によりその思いを強くさせる時は、人に慶福を与える時よりも、災いや予知せぬ禍悪を人に与える時の方が鮮烈に残ると宇佐美は指摘する。
恩恵よりもまず、祟り神を鎮めるための信仰。これはよく聞く話である。

恩恵を与えてくれた石が反逆する、あるいは、人から見たら裏切るように見えた石に対して、二重の畏れを抱いたのではないかと、この殺生石を通して岩石信仰の1つの形が結論付けられている。

最後に取り零したポイントを、本文から引用して終わりたい。
――しかし現代の人間は石の内部にそのような光を見出す霊力を失ってしまった。現実の殺生石はもう人々の眼に見世物同然となり、日ごと風化をつづけている。
――子供たちはボールを投げても石は投げまい。しかし手に握った石ころの独特の重み、形状を感じながら標的を狙って力まかせに投石するさいには(中略)何か生得的な、本能のよろこびに近い快感がある。

2017年1月31日火曜日

中沢けい「ひでちゃんの白い石」~『日本の名随筆 石』を読む その13~

――私はこの子から真っ白く透明感のある石をもらい、学校を変った後にも、大切に持っていた。

小学1年生の時、作者はひでちゃんというクラスメイトから石をもらった。
――男の子の名は、ひでちゃん以外は全部、忘れている。
石が、作者とひでちゃんをつなぐ記憶の装置。
――ただ白い石の記憶だけが、彼がいたんだと教えてくれる。
関連付け記憶だから忘れないというのはよくある話。
でも、なぜ石が主題になりうるのだろうか。
――石はしばらくの間、私の引き出しの中にあった。それからオルゴールの中に移った。そのあとは、金魚鉢の底に沈んでいた。鉢の中でも、その石だけは白く輝いていたが、いつの間にか緑の苔で被われてしまった。
作者にとっての、時期ごとの石の機能の移り変わり。
一人の人間の中での、年単位、月単位、日単位での石への心持ちの変遷。
いざこれが歴史研究になると、個人は捨象され、実体の掴めない"当時の人々"へと統合されていく。
歴史研究とは、これほどに危なっかしい。
――苔を洗い流し、また机の引き出しに戻した私は、何を思ったのか、緑色のサインペンで全部を塗りつぶしてしまった。

「白を緑に変えようとした心持ちは、自分のことながらさっぱり解らない」というが、「男の子が石をくれた理由を三年目か四年目かに気付いた」作者は、「石にではなくひでちゃんに、何かをしたかった」のだという。
自分のことながらさっぱり解らない自分の心理・行動は、石に限らず誰にでもあるだろう。
では、石の存在価値とは?
――ガラス玉のネックレスや夜店で買ってもらった指輪が乱雑に投げ込まれているオルゴールの中を探しても、白い、いや、緑色になってしまった石は見あたらなかった。

――石を見つけられないまま私は再びひでちゃんを忘れてしまった。

ネックレスや指輪は、記憶と共に今も残り、石を緑に塗ったサインペンですら、引き出しの中に残っていた。
石だけが、なくなってしまった。
なぜ石だけがあちらこちらに移動し、作者の意図と逆の結末に至るのだろうか。
どうでもいい時はあり、求めたい時にはないのである。

石が記憶装置であるなら、石がなくなった時からひでちゃんのことも忘れ、この話も書けなかっただろうに、それは書けている。
どうやら石は単なる記憶装置でもないらしい。

自分事だが、私の父が亡くなる前日に偶々この話を読んだことを、今も昨日のように思い出す。
関連付け記憶の1つなのだと思うが、これと何か違うのか。

2017年1月19日木曜日

豊島与志雄「狸石」~『日本の名随筆 石』を読む その12~

「狸石」は、小説家の豊島与志雄による作品。

創作であるが、豊島与志雄という紛れもなく一人の人間が石に抱いた感情の発露である。
作者の意図があっても、読み手によって受け取る反応は違うはず。私も私のアンテナに反応したところをメモしておきたい。

狸石は、戦後間もなく焼け跡の町の片隅に立つ石である。
石の格好に特に目立つ点はなく、通行人で注意を向ける人はほとんどいなかったが、見様によっては狸が空を仰いでいるような風体に見えた。

狸石の周りは丸石で囲われていた。

ある夜、青白い火が灯り、亡くなったとある男が狸石の傍に姿を現す。
男は狸石を溺愛していたようで、狸石に声をかける。
――ほんとは、お前を買ひ取つて家の庭に据ゑたかつたんだ。

――お前も、空襲に堪へて、よくここにじつとしてゐてくれたね。

――無事にここに立つてゐてくれてること、つまりお前の存在が、それだけが、僕には大切なんだ。

そこに、もう一つ青白い火が現われ、死人のような感じの女が現われた。

男と女は目を合わせなかったが、男は狸石の肩にもたれ、女は狸石の根元にしゃがみ、狸石を挟んで会話をし始めた。
――あなたはやつぱり、あたしよりこの石の方を愛していらつしやるのね。

――この狸石に聞いてごらんなさい。

――この石のところまで逃げて来て、あなたが追つかけていらつしやるのを待ちました。けれど、いくら待つても、あなたは追つていらつしやいませんでした。
女は、最後に一、二、三・・・と十を数えはじめ、それを五周繰り返しても男が追いかけてこなかったので、あきらめて立ち去ったのだと男に恨み言を述べる。
男も負けじと言い訳を述べる。
――いや、僕は追つかけて来たんだ。

――お前は早すぎたし、僕が遅すぎたんだ。然し、この石はいつまでも待つてゐてくれた。

――ねえ狸公、お前は待つてゐてくれるね。千回でも万回でも十を数へてくれるね。
 狸石が突然口を開く。
――十を数へるなんて、そんなばかなこと、わしはしないね。

男と女は黙り、月が雲がかり、青白い火がどろどろと燃えたと思うと、二人の姿は消え失せ、狸石だけが立っていた。

その数日後、狸石はだれかにどこかへ撤去され、整地された。やがて家を建てるために。
小説の最後は次の文でしめられる。
――狸石ももう人目にふれず、忘れられてしまふことだらう。

2017年1月16日月曜日

澁澤龍彦「石の夢」~『日本の名随筆 石』を読む その11~

――自然が石の表面に意味のある形象を描くわけはないので、これを意味のある形象として捉えるのは、もっぱら人間の想像力、いわば「類推の魔」であろう。

澁澤龍彦は、極めて理性的である。
批判主義者好みの出だしであるが、ここからどう話を展開するのか。
――あたかもロールシャッハ・テストの図形が、ひとたび私たちの目に「花」として知覚されるや、もうそれ以後、どうしても「花」以外のものにはみえなくなってしまうようなものだ。

でも、これは否定的な意味合いで書かれていない。次にはこう来る。
――こうして、無意味な形象が夢の世界の扉をひらく。

昨今の、様々な人の石に対する見方や意見や仮説を見るかぎり、私にはまったく思いつかない、時には相容れないような価値観に出会うことはしばしばである。
時代のトレンドによって形は変われど、昔も今も石への想像力は衰えていないと感じる。

澁澤は、ローマ帝国時代のプリニウス『博物誌』の石の記述から、中世の学術書や詩にいたるまで、数々の「石の夢」を紹介していく。
――当時の自然哲学的な考え方によれば、石や鉱物は生きているのであり、地下で成長したり、病気になったり、老衰して死んだりするのである。
――パラケルススによれば、長く土中に埋もれていた異教徒の古銭は、だんだんと石に変化してしまう。 

澁澤はこれを、価値のある金属が土中という"適切ではない環境"に置かれることで、"石"という"価値のないもの"に悪化したと解釈している。
「異教徒の古銭」という立ち位置が、他の解釈も夢想させるあたり、石の夢は果てしない。
「異教徒の古銭」に、価値はあるのだろうか。変化した「石」は、悪化ではなく、浄化かもしれない。あくまでも敵にとっては。

ここから、澁澤は数々の石の夢想家の例を著述する。



2016年9月23日金曜日

會津八一「一片の石」~『日本の名随筆 石』を読む その10~

――石は案外脆いもので寿命はかへつて紙墨にも及ばないから、人間はもつと確かなものに憑らなければならぬ。

今まで紹介した随筆群とは毛色が異なる。

石は堅固で、恒久性の象徴として描かれることが多かった。
會津八一はそうみなしていない。
厳密に言えば、石が一般的にそのようにイメージされていること自体は理解しているが、そのイメージが実体とは違うと指摘するのが本論である。

――石といへども、千年の風霜に曝露されて、平気でゐるものではない。

それは、古い墓石を遡れば遡るほど、人が死に、造られた墓石の数は累々たるものであるはずなのに、現存する数が造られた数に比して少ないと目されることからもわかる。

その原因は、火災などの自然災害に起因するものもあれば、人が押し倒して墓石を蔵の土台や石垣の下積みなどへ再利用したケースもあったのではないかと會津は思いをはせる。

會津は、 中国・晋王朝の偉人として知られる羊祜と杜預のエピソードを紹介している。
羊祜は、山が宇宙開闢から変わらぬ形であるのだから、私の死後、私を思い出してくれる人がいるなら、私の魂魄はこの変わらぬ山にあるだろうと言い、死後、それを聞いた人々が羊祜を顕彰する石碑を建てたという。
杜預は、自らの業績を刻んだ石碑を二基造らせ、一基を山の上に、一基を海の底に沈めた。後世、天変地異が起こって山が海に沈んだとしても、逆に海底の石碑が地上に現われるだろうと踏んでの策だった。

はたしてこれらがどうなったかというと、杜預の石碑は二基とも行方知れずとなり、羊祜の石碑も死後270年を経過した頃、破損が目立ったため、摩耗した石碑の残石を用いて文字を彫り直したということである。
しかも、一度修繕したはずのこの石碑が、後代、唐の李白の歌に読まれているのだが、そこでは石碑どころか一片の石と化しており、そこには苔が一面に覆っているありさまだったという。

羊祜・杜預の著作は後世に残っているのに、紙よりも頑丈と信じられたはずの石が、期待に反して後代に残らないこの不思議さに、會津の関心興味はある。

このような石の現実があるのに、人間たちは根気よく、今も石に頼り続けている。
いつもでもこの世にとどめたいと思うものを欲するために、石は用いられる。
石がまるで故人であるかのように拝まれる。
その石が大きいほど貞女孝子と褒められる風潮がある。
會津から言わせると、これは極めて滑稽な現象ということにならないか。


では私は、會津が触れなかった視点を1つ述べてみたい。
人が人工的に刻み、置くのが石碑である。置かれた場所は自然のままではなく人間の意思が介在し、自然が造った石肌のままでもなく、人が刻みを入れた加飾によって石碑はできあがる。

その石碑が、僅かな時間で摩耗し、消滅してしまうという話である。
それは、石本来が持つ特性を生かしているようで、生かしていない。

自然の場所に根ざし、自然の肌を持ったままの石は、悠久の姿を保っているものも多いのではないか。
また、人の目につきたいという欲のもと造られた石碑よりも、人が目につけていない自然石こそ、逆説的に長く生き永らえるという性質が得られるのではないか。

石の性質をあれこれものしたり定義付けるのも、人間の意思の介入しだいな気がする。

2016年9月16日金曜日

竹山道雄「竜安寺石庭」~『日本の名随筆 石』を読む その9~

――「お前の世界表象はあまりにも凡庸で日常的だ。ただ受身に外界を映しているだけだ。このように自分が構成する可能性をもて」といわれた気がした。

竜安寺石庭を見た時の竹山道雄(ドイツ文学者)の感想である。

竹山は竜安寺石庭を様々な言葉で評する。
列挙しよう。

  • 世界の裏側を見せられたような気になる。
  • 石庭に使われた石は決して立派なものではなく、貧弱である。
  • 逆に、堂々とした巨石を置いたら、ここまで評価されなかっただっただろう。
  • わざと貧弱な石を用いて、石の形ではなく、石の配置に価値観を持たせることに集中した。
  • 竜安寺石庭は池に水もない、砂面にも何もない、目を見張る石もないの、ないないづくしである。
  • 見る人が、そのないないづくしの空白を埋めるようにしてあるようだ。


竹山は、石のフォルムが持つ性質に「絶対感」と「無限感」を挙げている。
竜安寺石庭には、とりわけ「虚」「空」「否定」という意味合いの無限感があるという。

人にとって、とりつくしまもないような雰囲気を「絶対感」「無限感」と表現したのかもしれない。
今回は、石のフォルムや規模ではなく、石の並べ方で「否定」の世界観を伝えた。
竜安寺石庭に並べられた十五個の石は、完全な円弧の配置ではなく、不規則で、不完全な弧を描いて並べられている。
これはわざとである。「一つの石も動かせない」のだそうである。

1つ1つの石は貧弱であることから、石が本来持つ性質は発揮されていない。
それでも、石が持つ「無限感」を、石そのもの以外の要素である「配置」によって表現した。

だから、竹山の言葉を借りれば、竜安寺石庭は「石」の庭ではなく、むしろ砂庭なのだという。

――茫漠たる大洋を見まわしたときと、その中に遠く一点の孤島を認めたときとでは、われわれの心的状態はちがう。

庭石だけでしか岩石を哲学できないわけではないが、竜安寺石庭という一つのモチーフ(しかも人為的な石の作品)から、逆説的に岩石の性質があぶりだされているような名文に感じた。


2016年9月1日木曜日

久門正雄『愛石志 抄』~『日本の名随筆 石』を読む その8~

 文章がやや難解かつ長いので、内容を簡単に咀嚼して箇条書きにしておく。

  • 人が美しいと感じるものには、自然物と人為物がある。
  • 人為物には、よほどの作品でない限り、意恣が見える。
  • 自然物にはそれがない。人間の体臭からは程遠い存在である。
  • 築庭における捨石は、橋や路傍や滝などに風致を添える石のこと。
  • 庭に対しては無用の用を果たしているが、そういう実用性がない分、むしろ石そのものを生かした存在となっている。
  • 捨石は、茶道の寂の精神に通ずる。自然さ、静けさ、古めかしさ、内包感、安定感。石の持つ属性に通ずる。
  • 実用でなく、非実用に存在している地道な味わいが、石の性にふさわしい。
  • 飛石は、庭において歩道としての実用性を持った石である。実用物なのに美しさを感じる理由は何か。
  • 一つは、美しさを狙って置いたものではなく、実用に終始する忠実さ、つつましさ。そこに美を発見した。
  • 二つは、石を歩く間隔にただ並べただけという簡素さの美。土偶・埴輪・神社・茶室・能の所作・茶器・和歌・俳句などに通ずる簡約の美である。
  • 護岸石は、掲げて見るものでも、正面に立てて観賞するものでもなく、土に埋もれ、地と一緒になり、崩れの支えとなっている。
  • 石を愛する者は、自然の状態にある頑石らしい頑石を好む。その意味では、偶然に観賞する対象となるのが始めで、それを日常の手近なところに持ってこようとしたのが庭石である。

庭石という世界の中でしか、石は語れないだろうか?

2016年8月17日水曜日

小泉八雲「日本の庭―抄―」~『日本の名随筆 石』を読む その7~

――日本の庭園美を理解するためには、ぜひとも、石の美しさを理解すること。

まるで『作庭記』のようなことを言う小泉八雲は、事前のイメージ通り、日本人の精神性を事細かくついてくる。石一つとっても、その記述に手は抜かれていない。彼をそこまで突き立てた衝動は何だったのだろうか。

――人間の手が細工を施した石の美しさではない。天然自然によって形のそなわった石の美しさである。

日本人は生まれながらにして、自然のあるがままの美しさを身につけているから、欧米人は日本で暮らして感得してみるべしと薦める。
いや、今の日本人もどうかな・・・自分含めて自信はない。

――ちょっとそこらの町を歩けば、諸君の修むべき石の美学の問題集は、見まいとしても目にはいってくる。寺院の入口、道のはた、鎮守の森の前、さては到るところの公園・遊園地。あるいは墓地

四角四面に切った石柱や、神仏を彫りこんだ石碑よりも、自然石を用いた墓石のほうが値段は高いという。
自然石に数多く触れることで、自然石それぞれの性格、そして、自然石の色調や明暗を知ること ができるという。

――かりに諸君が、多少でも生得の美的感覚をもちあわしているとすると、これらの自然石が、石工の手に切り刻まれたどんな加工石よりも、それほど美しいかということを、遅かれ早かれ、かならず発見されるにちがいない。

若干の上から目線は置いておき(笑)、ありふれている光景こそが、美しいという価値を持つことを八雲は論じていると言える。ありふれているのに、美しいと認めることは相反する現象にはなりはしないか。
異形な石、巨大な石こそが、価値を持つのではないか。そう後世の学者は説明してきた。

――石の形によって、文字のあるなしがきまっているかのごとく、この石なら文字がない、この石なら文字がないはずだと、文字のない石、ないはずの石に、べつの彫刻、あるいは碑銘のようなものを、しぜんと捜すようなことになってくるだろう。

墓碑や石碑、石塔、石仏に、精緻に掘りこまれたものと、なぜか自然のままのものがある。
そこに法則性や一体感は一見認められない。
しかし、石の形によって文字のあるなしが決まっていたとするなら、私はその次元に達していない。

――とくに日本の国は、石の形に暗示的なものが多い国だ。(略)天然物の形からくる暗示が、こんなふうに認識されている国では、おそらくそういうこともあろうと想像されるとおり、日本の国には、石に関する奇妙な信仰や迷信がじつにたくさんある。

八雲はその例の1つとして、釈迦のことばを説いた相手が、大燈大師にお辞儀をした石だったという話を取り上げているが、このチョイスがすでにマニアック。
どこにある何という石なのか思い当たらない。ご存知の方はお教えください。

2016年7月19日火曜日

唐木順三「石」~『日本の名随筆 石』を読む その6~

――彼は石について語らなかった。語りたがらなかった。語らなかったからこそ、石が彼に語ってくれたのかもしれない。

「彼」とは、筆者の唐木順三が知る一人の教師である。
学校では子供たちに慕われていて、快活な性格の教師だったが、酒を飲むと、彼は石に会いたくなるのだという。
天竜川の川原をさまよい、石を見つめるだけではたりず、頬にこすりつけたり、持って帰って部屋に並べたりするのだそうである。

彼の部屋に並べられた石には手脂がしみていた。並々ならぬ思いがそこからも感じられるが、彼は石に対する思いを決して人には語らなかったという。

モダン・アートの画家である沢野井信夫が『石にたずねる』(創元社、1958年)という本を出した。
これを唐木は「内容はつまらない」と断じた。
その理由は「石庭の石であったり、城壁の石、石段の石、道路標の石」で「みな人間の手の加はつた石」だったからだという。

この時、唐木はふと、冒頭で紹介した教師に「同じ題名で書かせたい」と思った。
「彼が石を書いたら、どういふものになつたらう。」
彼が石に多弁であることはなかったが、もし石の本を書いたら、石を書くとともに己れを書いたのではないか?唐木はそう妄想する。


ここからは私(吉川)の個人的な実感を話すが、世に発行されている石の本はそう数が多いものではないが、そんな狭い石の世界の中でも、人の興味関心は千差万別であると感じることが多々ある。
作者によって、石を取り上げる角度のふり幅は広い。
私が本を書いた動機も、私と同じ視点で石を見ている本を見つけられなかったから、である。

私は考古学畑で石に接することが多かったが、考古学における石の取り上げられ方も、極めて一面的である。歴史学全体に目を広げても、一緒かもしれない。
特定の本を例に出すと棘があるので自粛するが、唐木と同じく「人間の手の加わった石」だけに目を向けているケースが多い。
「石の~」と題しているのに、その実は勾玉だけだったり、石棺だけだったり、石はそっちのけで仏像の話に終始していたりする。何かが違う気がする。

 一方、宝石や特別な種類の石にばかり執着するのも、また一面的である。

かつて、宝石や珍しい石を集める人に出会ったことがある。
この人の中に、路傍の石はどう映っているのか、恐くて聞けなかった。

男根や陰石など、性神の類する石を追いかける人もいる。それは石そのものというより、他のものを追い求めているようだ。
巨石を好む人にも、私は路傍の小石をどう思っているのか、恐くて聞けない。

人の興味関心は細分化されすぎていて、あれもこれも、抜け落ちるものなのだ。
私だって、石と天文の関係については興味が薄いため、あまり首を突っ込まない。自分の身の程を察しての防衛本能だが。
しかし、岩石信仰に触れるなら、決してそんなことはしてはいけないはず。
なぜなら、岩石信仰という言葉は、細分化されすぎた人の興味関心を集約化した上に成り立つ世界だからだ。

この矛盾をどう解決したら良いのか?
各個人が好き勝手言っている時代は終わり、学際という言葉が生まれているように、各分野の専門家が1つのテーマをすり合わせる段階なのかもしれない。

その時代についていくためにも、私はいましばらく、歴史と文学と哲学の狭間を磨き上げていくことにしたい。