ラベル 岩石の哲学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 岩石の哲学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年2月2日木曜日

宇佐美英治「殺生石」~『日本の名随筆 石』を読む その14~

考古学的なテーマを纏った随筆である。

人と石の関わりについて綴る。

人が、他の動物と違い、ヒトとしてこの地球の生態系の頂点に君臨するようになった理由を、宇佐美英治は「石によって身を守り石を武器に、威力の上で人を凌ぐ動物と闘ってきた」ことだと断じている。

ヒトが二足歩行できるようになったことで、手を使い、石をどこかから調達・運搬し、獲物や外敵に石を投げることで、人はまず他の動物に勝ることができたという流れが描かれている。

人は弱いが、石などの道具を使うことで、種としての絶滅を免れ、他の動物を使役する立場に回ることができた。
この点において、石は「人間の最良の伴侶であり、最強の幇助者」だったと評されている。

石器に対しての宇佐美の随想が面白い。
――石器は土器のようにどんなふうにでも形をつけられるものではない。石は石に工作する人間の手に刃向う。(中略)石器はどんなに加工してもなお人間に抵抗し、最後まで石であることをやめない。
人は石を道具として支配しているつもりだが、実は石は最後まで支配されることを抵抗したがっているかのようだ。
石が奴隷ではなく、「伴侶」で「幇助者」であると表現した意味合いが込められているように思える。 あくまでも、石を「味方に引き入れた」までなのである。
――土器については機能が形体を決定するといいうるが、石器は必ずしもそうではない。百万年来、人が石器に見出そうとしたのは、機能というよりは石のもつ絶対的な威力であり、強大な的を傷つけ、その肝をぬきとる魔力である。

ここに、石の一つの性質が哲学されている。

ヒトが始源の時に感じた石の魔力とは、石があらゆる肉を断つという、ヒトの体そのものには備わっていない絶対的な攻撃力にあるという宇佐美の提言である。

宇佐美によれば、この攻撃力が石を霊や神たらしめた岩石信仰の源泉の一つなのだと語る。
あくまでも一つであるというのは、石には他に「無情、冷酷、生気なき無機物を思う中世以後の観念や石を永世と死に結びつける古代帝国以来の記念碑性(モニュメント)の観念」もあり、攻撃性はそれとはまた別個の観念だと言い添えているからだ。

この流れの中で、標題の殺生石が登場する。
殺生石は、栃木県の那須湯本に今もある有名な奇岩である。霊狐・玉藻が石に姿を変え、祟りの石として霊威を放ったものが、最終的には仏法により調伏されるという伝説で知られている。

温泉地による有毒ガスの噴出のため周辺一帯には一木一草もない殺風景が広がっている。
この環境要因が殺生石の伝説を構成している節は否定できないが、宇佐美は、別にこれだけの理由で殺生石の"イマージュ"を強く感じるわけではなく、もっと根深い石そのものの"イマージュ"から来ていると述べる。
――幾十万年来、人間の伴侶であり、無言の庇護者であった石が毒素を吐きつづけ、人を殺しつづけるということはわれわれの存在の基盤にかかわることなので、じっさいの災害以上にこの石が薄気味悪く思われたにちがいない。

信仰や聖なるものが、人によりその思いを強くさせる時は、人に慶福を与える時よりも、災いや予知せぬ禍悪を人に与える時の方が鮮烈に残ると宇佐美は指摘する。
恩恵よりもまず、祟り神を鎮めるための信仰。これはよく聞く話である。

恩恵を与えてくれた石が反逆する、あるいは、人から見たら裏切るように見えた石に対して、二重の畏れを抱いたのではないかと、この殺生石を通して岩石信仰の1つの形が結論付けられている。

最後に取り零したポイントを、本文から引用して終わりたい。
――しかし現代の人間は石の内部にそのような光を見出す霊力を失ってしまった。現実の殺生石はもう人々の眼に見世物同然となり、日ごと風化をつづけている。
――子供たちはボールを投げても石は投げまい。しかし手に握った石ころの独特の重み、形状を感じながら標的を狙って力まかせに投石するさいには(中略)何か生得的な、本能のよろこびに近い快感がある。

2017年1月31日火曜日

中沢けい「ひでちゃんの白い石」~『日本の名随筆 石』を読む その13~

――私はこの子から真っ白く透明感のある石をもらい、学校を変った後にも、大切に持っていた。

小学1年生の時、作者はひでちゃんというクラスメイトから石をもらった。
――男の子の名は、ひでちゃん以外は全部、忘れている。
石が、作者とひでちゃんをつなぐ記憶の装置。
――ただ白い石の記憶だけが、彼がいたんだと教えてくれる。
関連付け記憶だから忘れないというのはよくある話。
でも、なぜ石が主題になりうるのだろうか。
――石はしばらくの間、私の引き出しの中にあった。それからオルゴールの中に移った。そのあとは、金魚鉢の底に沈んでいた。鉢の中でも、その石だけは白く輝いていたが、いつの間にか緑の苔で被われてしまった。
作者にとっての、時期ごとの石の機能の移り変わり。
一人の人間の中での、年単位、月単位、日単位での石への心持ちの変遷。
いざこれが歴史研究になると、個人は捨象され、実体の掴めない"当時の人々"へと統合されていく。
歴史研究とは、これほどに危なっかしい。
――苔を洗い流し、また机の引き出しに戻した私は、何を思ったのか、緑色のサインペンで全部を塗りつぶしてしまった。

「白を緑に変えようとした心持ちは、自分のことながらさっぱり解らない」というが、「男の子が石をくれた理由を三年目か四年目かに気付いた」作者は、「石にではなくひでちゃんに、何かをしたかった」のだという。
自分のことながらさっぱり解らない自分の心理・行動は、石に限らず誰にでもあるだろう。
では、石の存在価値とは?
――ガラス玉のネックレスや夜店で買ってもらった指輪が乱雑に投げ込まれているオルゴールの中を探しても、白い、いや、緑色になってしまった石は見あたらなかった。

――石を見つけられないまま私は再びひでちゃんを忘れてしまった。

ネックレスや指輪は、記憶と共に今も残り、石を緑に塗ったサインペンですら、引き出しの中に残っていた。
石だけが、なくなってしまった。
なぜ石だけがあちらこちらに移動し、作者の意図と逆の結末に至るのだろうか。
どうでもいい時はあり、求めたい時にはないのである。

石が記憶装置であるなら、石がなくなった時からひでちゃんのことも忘れ、この話も書けなかっただろうに、それは書けている。
どうやら石は単なる記憶装置でもないらしい。

自分事だが、私の父が亡くなる前日に偶々この話を読んだことを、今も昨日のように思い出す。
関連付け記憶の1つなのだと思うが、これと何か違うのか。

2017年1月19日木曜日

豊島与志雄「狸石」~『日本の名随筆 石』を読む その12~

「狸石」は、小説家の豊島与志雄による作品。

創作であるが、豊島与志雄という紛れもなく一人の人間が石に抱いた感情の発露である。
作者の意図があっても、読み手によって受け取る反応は違うはず。私も私のアンテナに反応したところをメモしておきたい。

狸石は、戦後間もなく焼け跡の町の片隅に立つ石である。
石の格好に特に目立つ点はなく、通行人で注意を向ける人はほとんどいなかったが、見様によっては狸が空を仰いでいるような風体に見えた。

狸石の周りは丸石で囲われていた。

ある夜、青白い火が灯り、亡くなったとある男が狸石の傍に姿を現す。
男は狸石を溺愛していたようで、狸石に声をかける。
――ほんとは、お前を買ひ取つて家の庭に据ゑたかつたんだ。

――お前も、空襲に堪へて、よくここにじつとしてゐてくれたね。

――無事にここに立つてゐてくれてること、つまりお前の存在が、それだけが、僕には大切なんだ。

そこに、もう一つ青白い火が現われ、死人のような感じの女が現われた。

男と女は目を合わせなかったが、男は狸石の肩にもたれ、女は狸石の根元にしゃがみ、狸石を挟んで会話をし始めた。
――あなたはやつぱり、あたしよりこの石の方を愛していらつしやるのね。

――この狸石に聞いてごらんなさい。

――この石のところまで逃げて来て、あなたが追つかけていらつしやるのを待ちました。けれど、いくら待つても、あなたは追つていらつしやいませんでした。
女は、最後に一、二、三・・・と十を数えはじめ、それを五周繰り返しても男が追いかけてこなかったので、あきらめて立ち去ったのだと男に恨み言を述べる。
男も負けじと言い訳を述べる。
――いや、僕は追つかけて来たんだ。

――お前は早すぎたし、僕が遅すぎたんだ。然し、この石はいつまでも待つてゐてくれた。

――ねえ狸公、お前は待つてゐてくれるね。千回でも万回でも十を数へてくれるね。
 狸石が突然口を開く。
――十を数へるなんて、そんなばかなこと、わしはしないね。

男と女は黙り、月が雲がかり、青白い火がどろどろと燃えたと思うと、二人の姿は消え失せ、狸石だけが立っていた。

その数日後、狸石はだれかにどこかへ撤去され、整地された。やがて家を建てるために。
小説の最後は次の文でしめられる。
――狸石ももう人目にふれず、忘れられてしまふことだらう。

2017年1月16日月曜日

澁澤龍彦「石の夢」~『日本の名随筆 石』を読む その11~

――自然が石の表面に意味のある形象を描くわけはないので、これを意味のある形象として捉えるのは、もっぱら人間の想像力、いわば「類推の魔」であろう。

澁澤龍彦は、極めて理性的である。
批判主義者好みの出だしであるが、ここからどう話を展開するのか。
――あたかもロールシャッハ・テストの図形が、ひとたび私たちの目に「花」として知覚されるや、もうそれ以後、どうしても「花」以外のものにはみえなくなってしまうようなものだ。

でも、これは否定的な意味合いで書かれていない。次にはこう来る。
――こうして、無意味な形象が夢の世界の扉をひらく。

昨今の、様々な人の石に対する見方や意見や仮説を見るかぎり、私にはまったく思いつかない、時には相容れないような価値観に出会うことはしばしばである。
時代のトレンドによって形は変われど、昔も今も石への想像力は衰えていないと感じる。

澁澤は、ローマ帝国時代のプリニウス『博物誌』の石の記述から、中世の学術書や詩にいたるまで、数々の「石の夢」を紹介していく。
――当時の自然哲学的な考え方によれば、石や鉱物は生きているのであり、地下で成長したり、病気になったり、老衰して死んだりするのである。
――パラケルススによれば、長く土中に埋もれていた異教徒の古銭は、だんだんと石に変化してしまう。 

澁澤はこれを、価値のある金属が土中という"適切ではない環境"に置かれることで、"石"という"価値のないもの"に悪化したと解釈している。
「異教徒の古銭」という立ち位置が、他の解釈も夢想させるあたり、石の夢は果てしない。
「異教徒の古銭」に、価値はあるのだろうか。変化した「石」は、悪化ではなく、浄化かもしれない。あくまでも敵にとっては。

ここから、澁澤は数々の石の夢想家の例を著述する。



2016年9月23日金曜日

會津八一「一片の石」~『日本の名随筆 石』を読む その10~

――石は案外脆いもので寿命はかへつて紙墨にも及ばないから、人間はもつと確かなものに憑らなければならぬ。

今まで紹介した随筆群とは毛色が異なる。

石は堅固で、恒久性の象徴として描かれることが多かった。
會津八一はそうみなしていない。
厳密に言えば、石が一般的にそのようにイメージされていること自体は理解しているが、そのイメージが実体とは違うと指摘するのが本論である。

――石といへども、千年の風霜に曝露されて、平気でゐるものではない。

それは、古い墓石を遡れば遡るほど、人が死に、造られた墓石の数は累々たるものであるはずなのに、現存する数が造られた数に比して少ないと目されることからもわかる。

その原因は、火災などの自然災害に起因するものもあれば、人が押し倒して墓石を蔵の土台や石垣の下積みなどへ再利用したケースもあったのではないかと會津は思いをはせる。

會津は、 中国・晋王朝の偉人として知られる羊祜と杜預のエピソードを紹介している。
羊祜は、山が宇宙開闢から変わらぬ形であるのだから、私の死後、私を思い出してくれる人がいるなら、私の魂魄はこの変わらぬ山にあるだろうと言い、死後、それを聞いた人々が羊祜を顕彰する石碑を建てたという。
杜預は、自らの業績を刻んだ石碑を二基造らせ、一基を山の上に、一基を海の底に沈めた。後世、天変地異が起こって山が海に沈んだとしても、逆に海底の石碑が地上に現われるだろうと踏んでの策だった。

はたしてこれらがどうなったかというと、杜預の石碑は二基とも行方知れずとなり、羊祜の石碑も死後270年を経過した頃、破損が目立ったため、摩耗した石碑の残石を用いて文字を彫り直したということである。
しかも、一度修繕したはずのこの石碑が、後代、唐の李白の歌に読まれているのだが、そこでは石碑どころか一片の石と化しており、そこには苔が一面に覆っているありさまだったという。

羊祜・杜預の著作は後世に残っているのに、紙よりも頑丈と信じられたはずの石が、期待に反して後代に残らないこの不思議さに、會津の関心興味はある。

このような石の現実があるのに、人間たちは根気よく、今も石に頼り続けている。
いつもでもこの世にとどめたいと思うものを欲するために、石は用いられる。
石がまるで故人であるかのように拝まれる。
その石が大きいほど貞女孝子と褒められる風潮がある。
會津から言わせると、これは極めて滑稽な現象ということにならないか。


では私は、會津が触れなかった視点を1つ述べてみたい。
人が人工的に刻み、置くのが石碑である。置かれた場所は自然のままではなく人間の意思が介在し、自然が造った石肌のままでもなく、人が刻みを入れた加飾によって石碑はできあがる。

その石碑が、僅かな時間で摩耗し、消滅してしまうという話である。
それは、石本来が持つ特性を生かしているようで、生かしていない。

自然の場所に根ざし、自然の肌を持ったままの石は、悠久の姿を保っているものも多いのではないか。
また、人の目につきたいという欲のもと造られた石碑よりも、人が目につけていない自然石こそ、逆説的に長く生き永らえるという性質が得られるのではないか。

石の性質をあれこれものしたり定義付けるのも、人間の意思の介入しだいな気がする。

2016年9月16日金曜日

竹山道雄「竜安寺石庭」~『日本の名随筆 石』を読む その9~

――「お前の世界表象はあまりにも凡庸で日常的だ。ただ受身に外界を映しているだけだ。このように自分が構成する可能性をもて」といわれた気がした。

竜安寺石庭を見た時の竹山道雄(ドイツ文学者)の感想である。

竹山は竜安寺石庭を様々な言葉で評する。
列挙しよう。

  • 世界の裏側を見せられたような気になる。
  • 石庭に使われた石は決して立派なものではなく、貧弱である。
  • 逆に、堂々とした巨石を置いたら、ここまで評価されなかっただっただろう。
  • わざと貧弱な石を用いて、石の形ではなく、石の配置に価値観を持たせることに集中した。
  • 竜安寺石庭は池に水もない、砂面にも何もない、目を見張る石もないの、ないないづくしである。
  • 見る人が、そのないないづくしの空白を埋めるようにしてあるようだ。


竹山は、石のフォルムが持つ性質に「絶対感」と「無限感」を挙げている。
竜安寺石庭には、とりわけ「虚」「空」「否定」という意味合いの無限感があるという。

人にとって、とりつくしまもないような雰囲気を「絶対感」「無限感」と表現したのかもしれない。
今回は、石のフォルムや規模ではなく、石の並べ方で「否定」の世界観を伝えた。
竜安寺石庭に並べられた十五個の石は、完全な円弧の配置ではなく、不規則で、不完全な弧を描いて並べられている。
これはわざとである。「一つの石も動かせない」のだそうである。

1つ1つの石は貧弱であることから、石が本来持つ性質は発揮されていない。
それでも、石が持つ「無限感」を、石そのもの以外の要素である「配置」によって表現した。

だから、竹山の言葉を借りれば、竜安寺石庭は「石」の庭ではなく、むしろ砂庭なのだという。

――茫漠たる大洋を見まわしたときと、その中に遠く一点の孤島を認めたときとでは、われわれの心的状態はちがう。

庭石だけでしか岩石を哲学できないわけではないが、竜安寺石庭という一つのモチーフ(しかも人為的な石の作品)から、逆説的に岩石の性質があぶりだされているような名文に感じた。


2016年9月1日木曜日

久門正雄『愛石志 抄』~『日本の名随筆 石』を読む その8~

 文章がやや難解かつ長いので、内容を簡単に咀嚼して箇条書きにしておく。

  • 人が美しいと感じるものには、自然物と人為物がある。
  • 人為物には、よほどの作品でない限り、意恣が見える。
  • 自然物にはそれがない。人間の体臭からは程遠い存在である。
  • 築庭における捨石は、橋や路傍や滝などに風致を添える石のこと。
  • 庭に対しては無用の用を果たしているが、そういう実用性がない分、むしろ石そのものを生かした存在となっている。
  • 捨石は、茶道の寂の精神に通ずる。自然さ、静けさ、古めかしさ、内包感、安定感。石の持つ属性に通ずる。
  • 実用でなく、非実用に存在している地道な味わいが、石の性にふさわしい。
  • 飛石は、庭において歩道としての実用性を持った石である。実用物なのに美しさを感じる理由は何か。
  • 一つは、美しさを狙って置いたものではなく、実用に終始する忠実さ、つつましさ。そこに美を発見した。
  • 二つは、石を歩く間隔にただ並べただけという簡素さの美。土偶・埴輪・神社・茶室・能の所作・茶器・和歌・俳句などに通ずる簡約の美である。
  • 護岸石は、掲げて見るものでも、正面に立てて観賞するものでもなく、土に埋もれ、地と一緒になり、崩れの支えとなっている。
  • 石を愛する者は、自然の状態にある頑石らしい頑石を好む。その意味では、偶然に観賞する対象となるのが始めで、それを日常の手近なところに持ってこようとしたのが庭石である。

庭石という世界の中でしか、石は語れないだろうか?

2016年8月17日水曜日

小泉八雲「日本の庭―抄―」~『日本の名随筆 石』を読む その7~

――日本の庭園美を理解するためには、ぜひとも、石の美しさを理解すること。

まるで『作庭記』のようなことを言う小泉八雲は、事前のイメージ通り、日本人の精神性を事細かくついてくる。石一つとっても、その記述に手は抜かれていない。彼をそこまで突き立てた衝動は何だったのだろうか。

――人間の手が細工を施した石の美しさではない。天然自然によって形のそなわった石の美しさである。

日本人は生まれながらにして、自然のあるがままの美しさを身につけているから、欧米人は日本で暮らして感得してみるべしと薦める。
いや、今の日本人もどうかな・・・自分含めて自信はない。

――ちょっとそこらの町を歩けば、諸君の修むべき石の美学の問題集は、見まいとしても目にはいってくる。寺院の入口、道のはた、鎮守の森の前、さては到るところの公園・遊園地。あるいは墓地

四角四面に切った石柱や、神仏を彫りこんだ石碑よりも、自然石を用いた墓石のほうが値段は高いという。
自然石に数多く触れることで、自然石それぞれの性格、そして、自然石の色調や明暗を知ること ができるという。

――かりに諸君が、多少でも生得の美的感覚をもちあわしているとすると、これらの自然石が、石工の手に切り刻まれたどんな加工石よりも、それほど美しいかということを、遅かれ早かれ、かならず発見されるにちがいない。

若干の上から目線は置いておき(笑)、ありふれている光景こそが、美しいという価値を持つことを八雲は論じていると言える。ありふれているのに、美しいと認めることは相反する現象にはなりはしないか。
異形な石、巨大な石こそが、価値を持つのではないか。そう後世の学者は説明してきた。

――石の形によって、文字のあるなしがきまっているかのごとく、この石なら文字がない、この石なら文字がないはずだと、文字のない石、ないはずの石に、べつの彫刻、あるいは碑銘のようなものを、しぜんと捜すようなことになってくるだろう。

墓碑や石碑、石塔、石仏に、精緻に掘りこまれたものと、なぜか自然のままのものがある。
そこに法則性や一体感は一見認められない。
しかし、石の形によって文字のあるなしが決まっていたとするなら、私はその次元に達していない。

――とくに日本の国は、石の形に暗示的なものが多い国だ。(略)天然物の形からくる暗示が、こんなふうに認識されている国では、おそらくそういうこともあろうと想像されるとおり、日本の国には、石に関する奇妙な信仰や迷信がじつにたくさんある。

八雲はその例の1つとして、釈迦のことばを説いた相手が、大燈大師にお辞儀をした石だったという話を取り上げているが、このチョイスがすでにマニアック。
どこにある何という石なのか思い当たらない。ご存知の方はお教えください。

2016年7月19日火曜日

唐木順三「石」~『日本の名随筆 石』を読む その6~

――彼は石について語らなかった。語りたがらなかった。語らなかったからこそ、石が彼に語ってくれたのかもしれない。

「彼」とは、筆者の唐木順三が知る一人の教師である。
学校では子供たちに慕われていて、快活な性格の教師だったが、酒を飲むと、彼は石に会いたくなるのだという。
天竜川の川原をさまよい、石を見つめるだけではたりず、頬にこすりつけたり、持って帰って部屋に並べたりするのだそうである。

彼の部屋に並べられた石には手脂がしみていた。並々ならぬ思いがそこからも感じられるが、彼は石に対する思いを決して人には語らなかったという。

モダン・アートの画家である沢野井信夫が『石にたずねる』(創元社、1958年)という本を出した。
これを唐木は「内容はつまらない」と断じた。
その理由は「石庭の石であったり、城壁の石、石段の石、道路標の石」で「みな人間の手の加はつた石」だったからだという。

この時、唐木はふと、冒頭で紹介した教師に「同じ題名で書かせたい」と思った。
「彼が石を書いたら、どういふものになつたらう。」
彼が石に多弁であることはなかったが、もし石の本を書いたら、石を書くとともに己れを書いたのではないか?唐木はそう妄想する。


ここからは私(吉川)の個人的な実感を話すが、世に発行されている石の本はそう数が多いものではないが、そんな狭い石の世界の中でも、人の興味関心は千差万別であると感じることが多々ある。
作者によって、石を取り上げる角度のふり幅は広い。
私が本を書いた動機も、私と同じ視点で石を見ている本を見つけられなかったから、である。

私は考古学畑で石に接することが多かったが、考古学における石の取り上げられ方も、極めて一面的である。歴史学全体に目を広げても、一緒かもしれない。
特定の本を例に出すと棘があるので自粛するが、唐木と同じく「人間の手の加わった石」だけに目を向けているケースが多い。
「石の~」と題しているのに、その実は勾玉だけだったり、石棺だけだったり、石はそっちのけで仏像の話に終始していたりする。何かが違う気がする。

 一方、宝石や特別な種類の石にばかり執着するのも、また一面的である。

かつて、宝石や珍しい石を集める人に出会ったことがある。
この人の中に、路傍の石はどう映っているのか、恐くて聞けなかった。

男根や陰石など、性神の類する石を追いかける人もいる。それは石そのものというより、他のものを追い求めているようだ。
巨石を好む人にも、私は路傍の小石をどう思っているのか、恐くて聞けない。

人の興味関心は細分化されすぎていて、あれもこれも、抜け落ちるものなのだ。
私だって、石と天文の関係については興味が薄いため、あまり首を突っ込まない。自分の身の程を察しての防衛本能だが。
しかし、岩石信仰に触れるなら、決してそんなことはしてはいけないはず。
なぜなら、岩石信仰という言葉は、細分化されすぎた人の興味関心を集約化した上に成り立つ世界だからだ。

この矛盾をどう解決したら良いのか?
各個人が好き勝手言っている時代は終わり、学際という言葉が生まれているように、各分野の専門家が1つのテーマをすり合わせる段階なのかもしれない。

その時代についていくためにも、私はいましばらく、歴史と文学と哲学の狭間を磨き上げていくことにしたい。

2016年7月7日木曜日

薄田泣菫「石を愛するもの」~『日本の名随筆 石』を読む その5~

――いろんなものを愛撫し尽した果が、石に来るといふことをよく聞いた。

本作は、石を愛する者の伝記を数名紹介したものである。

1人目
屠琴塢(清朝の文人)
一生かけて36個の奇石を集めた。その1つ1つに名前を付けて、来客に見せびらかした。

2人目
鄭板橋(同じく清朝の文人)
石の絵を好んで描いた。なぜか醜くも、雄偉な石を描いた。

3人目
東坡(宋の文人)
「石は文にして醜だ」といった。石の醜さを含めて愛した。

4人目
米元章(宋の文人)
醜くも大きな石を見ると、衣冠を整えてお辞儀をして、その石を「兄弟」と呼んだ。

5人目
瞿稼軒(明の武人)
石を見かけると、そのまま通り過ぎることができない人だった。
石の形相を見て、襟を正し、お辞儀をして、いつまでも立ち去ろうとしなかった。


取り上げられたラインナップが、宋~清の文化人ばかりである。
詩人である薄田の嗜好によるものであろうが、やや偏りがあるのは否めない。
いわゆる"名もなき庶民たち"の石の接し方はどうだっただろうか。

2016年7月4日月曜日

上村貞章「石の表情」 ~『日本の名随筆 石』を読む その4~

――いま私は石を研究の対象としようとしているのではなく、石のなかに一つの人生を見たいと思っているに過ぎないのです。

上村貞章は、石を見ることで、石を見ている人間の「欲情」や「私自身」が見えてくるという。それをまとめて石は「人間の模造品」と評す。

上村が呈する石の魅力は以下の点である。
  1. 夜の石のたたずまいや、雨風にさらされている石は、木石ならぬと形容される人間よりも立派である。
  2. 草も木も人もいなくても、石があるだけで落ち着くさまは、かえって人の醜さを浮きだたせる。
  3. 人の意図が入った石庭などではなく、人の手が入っていない石にこそ美しさがある。
  4. 石ほど、濡れて美しさを増すものはない。
  5. 机にすえて眺めるもよし、掌の上にのせるもよし、石のそばに佇むもよし、石を見に行くもよし。石の表情を見る楽しみ方はいろいろある。

これらの点から伝わるのは、あわただしく考え、動き回る人間と、まったく動かない石との対比である。
足し算的発想を「発展」ととらえる人間の価値観を全否定するかのように、石は引き算的発想の極致にこそ価値観があることを語っている。

夜になるのも、水に濡れるのも、周りに何もないのも、それが天の配剤であれば、それは人には全く見当の及ばない「表情」として映る。

石は、人とは完全に対照的な存在として描かれている。

石と人はまったく相いれない性質の存在だからこそ、石に対峙する楽しみかたは自由であり、おそらくは、その自由な選択をした結果見えてくる各人間のキャラクターが逆に映し出されるのだということを上村は語っているのではないか。

2016年6月19日日曜日

尾崎放哉「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その3~

――私は、平素、路上にころがつて居る小さな、つまらない石ッころに向つて、たまらない一種のなつかし味を感じて居るのであります。

大きな巨石や、形が変わった奇岩怪石を嬉しがらないのが尾崎放哉である。
小さな石ころにこそ、可愛いという愛情を抱くらしい。
そういう意味では、すべての石に興味を持つのではなく、人工の石造物でもなく、自然の小石に愛着を持つ男の一人語りと言える。

――なんで、こんなつまらない石ッころに深い愛情を感じて居るのでせうか。つまり、考えて見ると、蹴られても、踏まれても何とされても、いつでも黙々としてだまつて居る・・・・・・其辺にありはしないでせうか。

堀口大學の「石は黙ってものを言ふ」に通ずるものがある。
堀口は、これを石の反抗心と捉え、尾崎はされるがまま黙る石を愛らしく感じた。

――物の云へない石は死んで居るのでせうか、私にはどうもさう思へない。反対に、すべての石は生きて居ると思ふのです。

――石は生きて居るが故に、その沈黙は益々意味の深いものとなつて行くのであります。

引き算的発想で、何もしない、何もない、静の世界に意味を求めるのは、人のどのような思いによるものだろうか。

――鉱物学だとか、地文学だとか云ふ見地から、総て解決し、説明し得たりと思つて居ると大変な間違ひであります。石工の人々にためしに聞いて御覧なさい。必ず異口同音に答へるでせう。石は生きて居ります・・・・・・と。 

石が石を産む話や、石が大きくなるという話を、学術的見地から説明することのナンセンスさを指摘している。
尾崎は石を加工する石工から、木でいう木目を石の場合「くろたま」と呼ぶことを聞きとっている。

――石も、山の中だとか、草ッ原で呑気に遊んで居る時はよいのですが、一度吾々の手にかかつて加工されると、それつ切りで死んでしまふのであります。

しかし、自然の石をひとたび切りとり、加工してしまうと、その石は死んでしまうのだという。
たとえば、墓石の石塔として一度切り出された石を、後で他のものに代用し直す場合、石の表面を削ると中身はボロボロになっているのだという。これをもって、尾崎は石が死んでいると悟った。
尾崎は、墓石塔が立ち並ぶ姿を、その地中に眠る死者と同様、「みんなが死んで立つて居る」ように見ている。
自然の石も黙っていて、加工された石塔も同じく黙っているが、前者は生きていて後者は死に絶えていることの表れだとみなす。

では、文字を刻まれた石は、傷ついているのだろうか。
石に何も施さないことが、石にとってもっとも「ピンピン」していると感じる価値観をここに見るのだった。

2016年6月18日土曜日

草野心平「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その2~

――庭の樹木の全部をひつこぬいてしまひたいと思ふ。そしてずしんと大きな石を、それも何丈かある石を一つだけ埋めてやりたい。
庭の作り方を考え続けた草野心平が最後に辿りついた境地が上の文である。

自然の山とあえて区別するために、庭には人工的な造作を込めて作る。
それは木の種類の選定から、木を産める位置、木の数に至るまで、人の意思が介在する。

しかし、ややもすると庭にあれやこれやと多種の木を植えてしまうことで、「乱然」で「幼稚」な庭の世界が完成する。

草野が行きついた境地は、このような足し算的発想とは対極の引き算の発想である。
木を植えない庭ということになるが、その代替案として草野が提示するのが「石の庭」である。

草野は「竜安寺以外に石の庭はあるのだらうか。ないとしたならばどうしてないのだらうか」と疑問を呈する。

その難しさを、草野は自分自身でたとえようとする。

いわく「石を、庭のまんなかに一つどつかとおくことはをかしな話でもなささうである」と言いながらも、「私の現実はその実行よりはずゐぶんとほい」と評し、その理由を「今晩のおかずは何んにするか」「せつかくとつてきた苔もまだそのままだ」と、自らの現状の雑念や足し算的発想に求めるのである。

自分が欲してつくろうとする庭を、石一つに託せるかどうかという気持ちの問題である。

2016年6月16日木曜日

堀口大學「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その1~

奈良本辰也・編『日本の名随筆88 石』(作品社 1990年)を購入しました。


















こんな本があるなんて、石に魂を惹かれていない人には微塵も想像できないでしょう。























裏面に収録作一覧。

石・石・石・・・

巻末に、思ってみなかった収穫がありました。























石にまつわる随筆・エッセイの文献一覧が収録されており、石の世界は果てしなく広がります。

石に"狂"じた人々の随筆は、彼らの中だけの哲学と決めつけることはできません。

石に惹かれていない人の中にも眠る、石の哲学の共通項が見出せるのではないか?
この視点から、石に一念を持つ者と持たざる者の比較対照をおこなっていきたい。

1作ずつ読みながら、私の思うところも述べていこうと思います。



堀口大學「石」
―― 石は黙ってものを言ふ
六行の散文詩。
メインテーマは冒頭の引用部分。

雨で濡れようが、太陽で乾こうが、川の流れに当たろうが、それこそ雨にも負けず風にも負けず、泰然自若とする石。
普通は、それに何の意思も気持ちもこもっていないと捉えるのが常識的発想。

堀口大學は、そこに「動かないという主張」を見た。
動かないのは頑固で、反抗的で、周りにおもむらないことの反映。
今風に言えば、空気が読めない。
空気が読めないということは、当世風な存在ではなく、時代を超越した存在とも言える。

単に、悠久不変と石を評価付ける以上の何かは得られそうである。


2016年4月21日木曜日

ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その3

石に変えられた世界のイマージュは、宇宙の美に敏感な詩人のこうした凝視のさなかに出現するか、あるいはまたユイスマンスの作中のように、侮蔑的凝視のペシミズムを帯びるかどちらかであったが、想像力の作用をすべてつくしたわけではない。とくにある詩人たちには、石に変えようという一種の意志がみられる。換言すれば、メデューサ・コンプレックスは内向的であるか、外向的であるかによって、二つの機能をもちうるように思われる。

人間よ
きみに似ている石材を
どうしてもぼくは使うことができない
(『打出なき槌』コルチ版、一九四五年、一七ページ)

ティヴォリで発掘をいくつもやった英国の貴族のことであった。かれは女帝、アグリッパあるいはメッサリナか・・・・・・どちらでもかまわないが、その彫像を発見した。とにかくかれは自分のところにそれを運ばせたが、あまりにほれこんで眺めすぎたか、感嘆しすぎたためか、かれは常軌を逸してしまった・・・・・・大理石であるにもかかわらず、かれはそれをわが妻マイ・レディとよんでは接吻した。かれの言によれば、彫像はかれのために毎晩生きかえるのだ。そのあげく、ある朝この貴族はベッドで死んで固くなっているのが見つかったのだ。

想像する主体が狂気になったといってイマージュを合理化することは、たしかに文学のありふれた手法である。だが、この安易な手法は最終的にはイマージュへの参入の障害となるのである。

ときには、生気のないものを眺めていて、逆にこの意志のとりこになることがある。石、青銅、つまり物質の基盤そのものにおいて不動である存在が、突如として攻撃にうつるからである。

たとえば彫像とは、人間の姿で生まれようとしたがっている石であると同時に、死によって動けなくされた人間存在でもある。そのとき彫像を眺める夢想は、不動化の作用と運動を惹起する作用の律動にのって活動するのだ。夢想は死と生の両面価値にごく自然に身をゆだねるのである。

石化作用のイマージュに、氷結のイマージュや寒気のイマージュを比較するのは、まったく自然である。

たまたま、夢のなかでわたしは葡萄酒を飲むことがあったが、匂いもしないし味もなかった。それにシャンパーニュ人にとって我慢のならないのは、夢のなかで飲む葡萄酒が室温にしてあることだ。それはなまぬるい――当然――牛乳のようだ。夢のなかで冷たいものを飲むことはありえないのである。

とくに新時代の詩人、現代の詩人が、直接的な素速いイマージュ、寒さの全石化作用、全鉱物化作用を数語で生み出すイマージュを作ることができる。

常識の立場から見るならば誇張と思われるイマージュをとりあげよう。というのは誇張の遠近法はひとつのイマージュの力を示すのに特有のものなのだから。ヴァージニヤ・ウルフの小説『オーランドー』にいくつか見られる。まず小鳥だ。空中で凍てつき、ただの石ころみたいに空から突然落ちてくる。凍った川。魚を動けなくするだけではなく、不意うちをくった人間たちまで動けなくする。かれらは川がまた流れはじめるときでさえ、石像のような状態をつづけている。この女流作家はいう(三一~三二ページ)。長い冬の間「氷の猛威は度はずれなものであって、時には石化作用まがいのことまでもする。ダービージャーのある地方で注目を集めた岩石の出現だが、これは溶岩の噴出のせいではなく・・・・・・突然、不運な旅人が凝固し、しかも疑問の余地なく本物の石に変えられたものなのだと広くいわれている。この時に、協会は大した手助けはできなかった。地主の何人かは、これは本当の話だが、この人間のなきがらを、祀った。しかし、多くはこれを境界石に利用した。・・・・・・あるいは形がそれに適しているものは水飲み槽に使用した――大半のものはこれらの役目を現在まで立派に果している。」

このページが英国人の読者とフランス人の読者とに同じ影響をもつとは思われない。まずわたしの考えをのべると、わたしはこのページをいつも同じように読むことはできない。読むたびにつまらなかったり、あるいは面白かったりする。

まったく単純なテーマに関して、読者たちが多様な傾向を示すだけではなく、同一の読者のうちにも読書にさいしいくつかの相違なる気分があらわれるために、判断の可変性のあることが明らかになった。

とどのつまり、結氷が生きた人間を動かなくするということは正しいのではないだろうか。

そうするとこういうちょっとした事実が、夢みることを許可するのであり、宇宙の石化作用開始の許可を与えるのである。


2016年4月19日火曜日

ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その2

レオナルド・ダ・ヴィンチは画家にその想像力を支持しまた同時にそれを解放するために、壁の亀裂を眺めながら夢想することをすすめたことがある。このテーマがユイスマンスの夢にもあるのだ。古い壁には(『仮泊』五四ページ)「ぞっとする老年の持病がならんでいる。水のカタル性の喀出、漆喰の赤色膿疹。窓には目やにがつき、舗石は瘻ができ、煉瓦には癩病がとりつき、塵芥の大出血だ。」

この金属的な壊疽や石化した傷口は絵画的なものの単なる行きすぎではなくて、あらゆる実体についての深い疑惑を含んでいる。

小説『仮泊』の冒頭には石の夢が描かれている。そのテーマは精神分析の初歩的教育の基本練習問題となるだろう。その上面白いことにはこの小説のあとの方で、ユイスマンスがこの夢の解釈をおこなうことである。

石にされた果物は、地上の恩恵を拒絶する、大地の想像力の食慾欠乏という特色をあらわす

「それぞれ一個の石から切りとった葉が、いたるところにからみついていた。いたるところに、葡萄の株の赤い炭火が燃えない炎をあげている。その炭火には蛇紋岩や大理石や、さまざまの微光をはなつ、明るい緑のエメラルドの光をきりとった葉をつけた、鉱物の薪がさしかけてある。葉は草色の橄欖石(オリヴィヌ)、海緑色の藍石、黄色がかったジルコン、空色の緑柱石。いたるところ、上から下まで、支柱のてっぺんから、幹の根もとまで、葡萄の木は、ルビーやアメティストの葡萄の粒をつけ、ガーネットやアマルディヌの葡萄の房や緑玉髄の白葡萄や、うすい橄欖石や石英のマスカットを稔らせ、赤い稲妻、紫色の稲妻、黄色の稲妻の信じられないような光線を放射し、梯形に火のような果物をつるしていた。その外観は、螺旋の圧搾機の下で、まばゆい炎のように葡萄液を吐き出すばかりの、収穫したての葡萄とまったく見まごうばかりのものであった。」

おそらく大地に無神経な読者は、こういう個所はなんのためらいもなくとばして読んだことだろう。つまりここに具象的な描写のための安易な手法しかみとめないはずだ。もし読者がポール・クローデルの『宝石の神秘学』に捧げたあの文章のように深い象徴的価値が働いているのを感じたら、そこに吸いよせられただろうが。夢の心理学者もユイスマンスのこのページに、同じようにきびしい態度をとるであろう。あまりに盛りだくさんなので、この夢に正統的な無限状態をみとめることを拒否するだろう。けれども文学的夢想の精神分析家は、この積みすぎこそ作家を導く関心をまぎれもなく示す契機だととるべきである。

石に変えられた葡萄の根は「たましいの暗黒部において作用している地下の糸」でありその道筋をたどっていくと、夢想家の「忘れていた地下倉が突然照らし出され、子供のころに使っただけで、放ってあるその物置とつながっていくのを見る」(六〇ページ)ということができる。

「緑石(マドレポール)」は石化した泉に参入することではなかろうか。イマージュを全体化しようとする夢想のためには、湧水と水盤の共生がある。

夢想の独立したひとつの世界が石と水を結合するイマージュ群のなかで活動しはじめる。そのイマージュは石を分泌する力を水に与え、石には鍾乳状に流れる力を与える。泡だつ白い水はガラス状になったもののイマージュを喚びおこす。

パリシィは石や水晶の形成を、水が凝固し、水が大地を濃縮し、それにインクの価値を与える作用だとみなしている。ペンの夢想家ならだれでも、この白いページの上の黒いインキの価値に敏感であるべきだ。

しかしふたつの物質の元素の境界で形成されるイマージュ群をことごとく研究しようと望んでもきりがない。大地の元素にとって、すべての泉は石化しうるものだ。大地から出てくるものは、岩石の実体の徴しを保っているのである。


2016年4月13日水曜日

ガストン・バシュラール「石化の夢想」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その1

大地的な人間は大地を好まない。大地も、岩石も、金属もかれの嫌悪を表明するに役立つだけであろう。

石化する夢想については、ユイスマンスが数多くのページをさいている

小説『仮泊』(クレス版)を選ぼう。それは多くの点で反-大気的な人間、つまり大地的な人間によってものがたられた月旅行の話である。

月そのものの上でも「眼があちこちと落ちつかなく動いている間に」ユイスマンスは「乾燥した漆喰の無限の砂漠」を見てとる。漆喰という貧困で安っぽい物質のこの名詞ひとつで、大空の光はすべて石化されるのである。水の夢想家なら月の水として、あるいは大気の夢想家なら月の流れとしてすぐ感じるような月の光の運動が、停止させられてしまったのである。

「空虚。虚無。芳香の無。嗅覚と聴覚という感覚器官の廃絶。そこでジャークは、実際に足の先で石の塊を地面からひきはなして蹴ってみた。それは紙風船でも転がるようにことりとも音をたてず坂を転がっていった。」たしかにこの記述のどこをとっても、かなり空しい文学的な試みだと見ることができるほど、暴力的イマージュを盛りだくさんに積み重ねている。

截然たるイマージュ群を喚起するこの意志こそは、外科的な真のサディズムをあらわすものではないだろうか。ユイスマンスはまさに月の「白いテーブルクロス」の上に「外科の手術器具箱」をひらいて見せる。

作家は声も物音も真空のなかでは伝達されないことを学校で習った。近代の書物で、月は大気のない天体であり、空虚な空のなかに迷いこんだものであることをかれは読んでいる。かれはこの知識をすべて配列し、うまく結合するイマージュ群を作り出した。しかしこういった合理性の萌芽も、石化作用という このイマージュ群の直接的性格を、われわれの目からそらすことはできない。ユイスマンスのこのページをメデューサ・コンプレックスの挿絵とみなすことができるほど《石に変える》意志を前にしていることはうたがいないからだ。

そこに、沈黙した激怒、石化した憤怒、度をこした瞬間に突如として封じこめられた怒り、を知ることができるだろう。

この巨匠の作品には、このような怒りのスナップの写真がほかにもたくさん見られる。

経験に富んだ心理学者なら、この調子(トーン)には《メデューサ・コンプレックス》つまり一語や、一瞥をもって、他者をその人格の根源において支配したがる、催眠術師の悪い意志の存在を、みとめることができる。

自己自身を無感動な硬い物質に変えることができるならば、呼吸と、ささやきと、匂いとを同時に否定するという、ユイスマンスの欲求をよりよく理解できるようになるだろう。

人間の睡眠の感覚の多元性は大きい。われわれの身体全体が眠ってしまうことはけっしてない。そのためにいつも夢をみるのである。しかし全感覚器官や、全欲求がこぞって夢みることも絶対ない。われわれの夢は、したがって、ひとしい光でわれわれのパーソナリティ全体を照らし出したりはしないのである。

睡眠というただひとつの行為でも、夢みる人間は非常に相違なるいくつかの次元を沈下し、感覚的ないくつかの経験をする。しかもこの経験は、ただ一種だけの感覚器官の特権的な生命のおかげで、同質性を保持することがしばしばあるわけである。たとえば、ユイスマンスの月の夢は、硬さ、冷たさのまったく視覚的な感覚を残すのみである。

ユイスマンスのほかの多くの著作でも、鉱物化された風景という理論の裏打ちができるようだ。

ユイスマンスにとっては、金属のイマージュは呪詛の用具である。

詩人は《もの》を憎悪できることが理解できるだろう。


2016年4月12日火曜日

ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その4

ダンテが「凡庸な登山家であることが明らかになる」とラスキンは結論した。「すべてこういう個所ではダンテの注意は、登頂できるか、あるいは登頂できないか、という特徴に完全に集中している・・・・・・かれは、切りたった、怪物のような、切りとった、有害な、けわしい、以外の形容詞は使用しない。」

ダンテ的という形容詞がだれか作家のペンの先にあらわれるときは、それは大半が岩の世界、石の世界を表すのだということである。ダンテの岩石は原初的イマージュである。

恐怖をあらわすすべての比喩と同じように、並はずれて大きい岩石も笑いの対象となることから免れることはできない。

岩石はまた非常に偉大なモラリストである。たとえば、岩壁は勇気をもつ師の一人である。

ヴィクトル・ユーゴーは「奇怪なかたちの岩礁に対する波の戦闘をすべて知覚できる」とベレはいう。

「二つの岩礁は昨日からの嵐になおも見舞われていて、汗びっしょりの闘士のように見えた。・・・・・・」(V.ユーゴー『海の労働者』ネルソン版、第二巻)
アンドレ・スピールの一行も同じ力学を追求している。
岩礁は笑いながら、泡をきみに吐きかける。(A・スピール『嵐。不条理の道の方へ』)
力動的想像力と力動化する想像力の法則である力の本質的変換をこれ以上によく表わすことができようか。無限の海を前にした岩礁は男性的存在である。

おそろしい岩壁のなかを吹く風は、どうしてつんざくような声を出さずにいられよう。岩の喉は狭い通路だけではなく、大地のすすり泣きにも震えだす喉だ。

日々の労働生活を勇気をもって推進するためには、人間は真の宇宙的モラル、自然の雄大な光景のなかで表現されたモラルを必要とするのだ

現代の読者は、こういうイマージュにほとんど重要性をみとめない。しかしこの不信が不誠実な文学批評、ひとつの時代の想像力を発掘できない批評に、読者をおもむかせているのだ。こうして読者は文学のよろこびを喪失する。合理化するだけの読書、イマージュを感じない読書は、文学的想像力を当然軽視するにいたることは驚くにあたるまい。

ゲーテなどが岩を眺めて見出した、安定性の教訓をすべて跡づけるには、多くの紙幅が必要だろう。

ゲーテは、花崗岩、この原岩石に情熱的な愛着を感じていた。花崗岩は「もっとも深く、もっとも高い」ものを示している。

木の生えていない高い頂きにすわって、ゲーテは自分に向ってつぎのようにいうのが好きだった。「ここでお前は大地のもっとも深部まで達している基盤に直接休息しているのだ。・・・・・この瞬間に・・・・・・大空の作用と同時に、大地からの内密な力がわたしの上に働きかけているのだ。」

別のところでゲーテは書いている。「岩山、その力がわたしのたましいを高揚させ、そしてゆるぎないものにする。」花崗岩の岩壁は賛美されたかれの存在の土台石になるばかりか、内面を鞏固にしてくれるわけである。

大地ではなく、岩石に所属することは、大きな夢であり、文学のなかにも無数の痕跡をのこしているのが見られる。岩壁に築かれた城の栄光をうたい、岩石の間で生きる人々の勇気をたたえる作品のいかに多いことか。

クレメンス・ブレンターノ(デュルラー『ゲーテとドイツ・ロマン主義における鉱山の意義』二〇三ページの引用)もまた花崗岩の誇りを分有した。
この永遠の法則、 社会の根底となる原花崗岩をお前が罵るなら 山脈のなかで光にせまる 地球の核心を侮辱することになろう

ヘーゲルにとって花崗岩は《山々の中核》である(『自然哲学』仏訳Ⅱ巻三七九ページ)これはすぐれて具象的な原理なのである。金属は「花崗岩より具象的でない。」「花崗岩はもっとも本質的、基本的な実体であり、それになにか形成物が付着するのだ。」ひとつの物質にたいするこの偏愛、予期しないこの断定は、人間がイマージュに服従するものであることを十分に証明している。

花崗岩がその存在の恒久性を主張するのは、その小さな粒子そのものにおいてである。それは浸透も、傷も、磨滅も、一切受けつけない。そのとき、一群の夢想が発生し、それが意志の教育に大きく役割を果す。ゲーテの様に花崗岩を夢みることは、動かしがたい存在として自己を示すだけでなく、あらゆる打撃や、あらゆる侮辱にも内面的には自分が無感覚でいるようにするためなのだ。軟弱なたましいは硬い性質をほとんど想像することはできない。

たった一行で、詩人は硬い物質の高貴さを感じとらせることができる。
手にかくもなつかしきある言葉、花崗岩。
と『手帳』に書いたのはヤネット・ドレタン=タルディフである(『生きる試み』七三ページ)。岩石の実体をあらわす語そのものが、固い単語であることは注目すべきではないだろうか。

口で話す場合にも、人間はその手の経験を保存しようとするのである。こういう単語を口を動かして発音してみれば、優れた地理学者、ウェルナーが鉱物の名称は原始的語根であると躊躇なく断言したことを、だれしも大目に見るはずだ。岩石は硬質な言語というものをわれわれに教えるのである。

2016年4月10日日曜日

ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その3

岩壁の機能は、風景に一点の恐怖をそえることにある。

「英国人なら岩壁に対し、ただ危険な印象を与えるほど大きくあれとしか願うまい。もし岩壁が崩れ落ちてきたら、わたしは確実におしつぶされるだろう、といえることが必要なのだ。」(ラスキン『思いの出の記』)

実際数多くの夢想家にとって重厚な岩壁は、自然の墓石である。

さて、ある種の伝説の人間的象徴体系は、きわめて明快なときもあるので、その伝説が利用しているイマージュの素材から、いともやすやすと関心をそらすことがある。知的文学はイマージュの文学に被害を与えるわけだ。知的文学は人間の性格を説明する。そしてイマージュの生命に能動的に参加することをやめる。

なぜ象徴体系のフォルムしかとらえず、その力動性を生きようと試みないのだろう。ここでの関心はきわめて貧困である。われわれはこの石をいま生きない、石をもはや生きないのである。石切場に足をふみいれることなく、前を通りすぎるだけの散歩者がいかに多いことだろう。それでは石の脅威や支柱の勇気をひとは理解できないのではないだろうか。

努力の瞬間についてカミュは謎めいた表現をとっている。「石にぴったりくっついて労々辛苦するひとの顔は、すでに石そのものである。」わたしなら逆に、人間の努力をこれほどふんだんに受けとる岩はすでに人間そのものであるといいたい。

厄介なことは、岩の無表情はどれだけでも脅威だということである。

ひとつの石がお前にほほえむのを もしいつかお前がみたら お前はそれを話してくれるだろうか。(ギルヴィク『水と陸よりなるもの』)

ソーローは沼の《深さ》のしばしば伝説化される意味について模索している。水の深いことはかならずしも必要ではない。もし岸が山のようにそそり立ち、岩壁の頂が水に影を落しているとするなら、ひとは深さを十分夢想できるからである。夢想する人は《深く》ない鏡の前では夢みることができない。そこでソーローはつけ加える。「われわれの身体でも、ぴんとはり出した眉毛は眼に影をおとし、それに応じて思索の深さも示している。」

こうしてあらゆる繊細微妙な心理さえも無感覚な岩のなかに最終的には表明されるのである。人間の伝説は生命のない自然にその挿絵を見出だす。あたかも岩石に自然の碑文が刻まれるいるかのようだ。詩人はそうすると、もっとも古い古文書学者となるだろう。物質はこのように深く伝説的なのである。

ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その2

岩石を夢想するひとは、もちろんそのプロフィルのたわむれだけに満足することもないし、その一時的なフォルムに名前をあてはめていくあそびにも満足しない。

「砂岩はこの世にあるうちでもっとも面白く、もっとも奇妙なふうに捏ねあげられた岩である。それは岩のなかでは、ちょうど木でいうなら楡の木のようなものなのだ。表面をとりつくろわず、むら気なところもなく、夢を追うこともない。それはあらゆる顔かたちをとり、あらゆる渋面を作る。それは複雑なたましいによって動かされているようだ。こういうものについて、たましいということばを使ったことをお許しいただきたい。」(ヴィクトル・ユーゴー『アルプス山脈とピレネー山脈』)

メンヒールたちは夜になると行ったりきたりする そしてお互いに少しずつ噛りあう ・・・・・・ 冷たい舟が岩の上に人間をおしあげ そしてしめつける。(ギルヴィク『水と陸よりなるもの』[カルナック])

巨大な石はその不動性そのものによって、むしろ浮き出してくるような能動的な印象を、つねに与えるように思われる。

「大地の外につきでた大理石の巨大なかたまりや荒野の原始的場景。」「人間たちがどうして石を熱愛するのか手にとるように判る。それは石ではないのだ。それは人類以前の時代の強力な大地の神秘的な力の顕現である。」(D.H.ローレンス『カンガルー』)

理性が岩を不動といったところで無駄なのである。知覚が石はあいかわらず同じ位置にあると確認しても無駄だ。経験が奇怪な石も温順な形であるとわれわれに説得しても無効だ。挑発的な想像力が戦闘に参加してしまったからである。

「かれは力をこめ、威嚇的に石のまわりを睨みつける。かれはその石を割るのだ。どうしていけなかろう。一個の石に許しがたい憎しみを感じるとき、石を割るのは単なる儀式にすぎない。それがもし、石が抵抗し、倒れることを拒否したならばどうだろう。そのとき、情容赦のないこの死闘で、どどちらが生き残るか判るはずだ。」(クヌート・ハムスン『奴隷の土地の目覚め』)

ではなぜ石の世界は敵意に対する敵意、制御された恐怖に対する無言の敵意を、人間に送り返えさないことがあろうか。

岩石を行動的に眺めるということは、そのときから挑発体制下におかれることを意味する。それは巨大な力に加担し、そしておしつぶすようなイマージュ群を支配することだ。

岩石はこのように原形のイマージュなのであり、現実のすべての深みと冗漫さを生きるすべをわれわれに学ばせる能動的文学、行動性の文学を体現するものなのである。